読書

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 越谷市立図書館南部分室へ仕事の帰りにひょいと入る。平土日祝問わず、21時まで開いているのはまことに有り難い。

 吉村昭の小説を借りる。「ポーツマスの旗」。

 日露戦争当時の外務大臣、小村寿太郎が主人公だ。

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 去年の秋にNHKで「(くらら)」というドラマを見た。葛飾北斎の娘、葛飾應為(おうい)がモデルだった。それで興味を覚え、朝井まかての原作を読んだり、緒形拳・田中裕子・西田敏行が出演した昔の映画「北斎漫画」などを見たりした。

 先週「眩」の原作を読んだので、もう一度ドラマのほうも見たくなった。

 昨夜帰宅してから、もしかして、とHDDレコーダの録画リストを見直したら、まだ消さずにそのままだった。もう一度見てみた。やはりよく出来たドラマだな、と思った。

 概ね原作の精神に忠実に作られているドラマだが、原作で悩みの種として描かれている北斎の孫の時太郎に関することは、このドラマではバッサリと切り捨てられている。


 国会図書館へ行き、故・杉浦日向子の有名な漫画「百日紅(さるすべり)」を読んだ。これも葛飾北斎・葛飾應為父娘と、渓斎英泉こと池田善次郎らを主人公にした漫画だ。

 應為と善次郎の、友情のような、仄かな恋情もあるのかないのか、……という微妙なところが描き出されていて面白い。

 昭和58年(1983)から昭和62年(1987)にかけて連載されていたというから、もう35年も前の漫画だ。この漫画のことを全く知らず、作者も死去した後とは、今まで本当に惜しい時間を過ごしてきてしまったように感じるが、反面、今になってこの作品に巡り合えたことは幸せでもある。

 白状すると、最近、本代をケチるために図書館へ通っている。漫画は県立図書館にはほとんどないので、読みたい本が必ず在架している国会図書館で読むことが多い。それで今日も国会図書館へ行った。ところがこの「百日紅」、味わって読んでいたら、今日半日では2冊全部読めなかった。

 結局、帰りに新越谷の旭屋で上下二冊を買った。

 私自身、馬鹿だなあ、と思う。国会図書館までの電車賃と本代を合わせたら、結局高くついてしまったわけである。

言葉
半鐘泥棒

 背の高い人をバカにするとき「半鐘泥棒」というそうな。半鐘は火事などの時に鳴らすもので、火の見櫓の高いところにぶらさげてあるわけだが、これが盗めるような奴ァあいつだけ、というような意味らしい。

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 去年の秋にNHKで見たドラマ「(くらら)」の原作が図書館にあったので借りた。

 葛飾北斎の娘、應為(おうい)をモデルにしたもので、朝井まかての作品だ。

 以前から読もうと思い、図書館に行くたびに朝井まかての文庫本の棚へ寄るようにしていたのだが、いつ行っても、ない。検索端末で調べると在架と出るのだが、棚にはない。おかしいなあ、と思っていたら、単行本のほうにあった。文庫本と単行本は、同じ番号が振られているが、棚が離れているのだ。最初から気づいておけばよかった。

 しかし、そのせいで思いがけず面白い読書もできたからよしとしよう。朝井まかての文庫本の棚へ行ったときになんとなく借りた「御松茸騒動」という本が面白かったのである。

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 「プリズンの満月」読み終わる。

 東京裁判に対する作者の抗議の思いがにじみ出るようで、いい本だと思った。

 あとがきにあるが、登場人物や出来事は事実だが、そのリアリティにもかかわらず主人公の刑務官は架空の人物で、モデルはいないそうである。

 巣鴨プリズンが、その廃止直前にはほとんど刑務所としての機能をなくし、戦犯らがほぼ自由に外出や外泊をしていたことなどを、本書で初めて知った。

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 仕事の帰りに図書館へ寄り、一冊借りる。

 吉村昭の「プリズンの満月」。

 読み始めてみると、期待通りの吉村昭作品なのだが、その一方で、極東軍事裁判への静かな憤りが感じられる。

角川の俳句大歳時記

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 角川の俳句大歳時記が最寄り図書館に在架だったので借り出してみた。

 長年俳句を趣味にしてきているが、持っている歳時記は一般的なもの(平凡社や角川の合本俳句歳時記など)ばかりである。この「角川大歳時記」(春夏秋冬正月の全5巻)は前々から勿論ほしいけれども、なにしろ1巻4320円、全部で2万円近くもするのだから、ヒョイと買い込むわけにもいかない。

 しかし、図書館の歳時記を借り出そうなどと言う人は少ないらしく、どうやら5巻全部、常に貸し出し可能であるように見える。これは借りなければ損だ。

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 先週の土曜日、出かけた帰りに図書館へ寄り、ふと目に付いた本を借りた。さくらももこの「焼きそばうえだ」だ。

 今日の帰りの電車で読み終わった。

 さくらももこのエッセイは、「もものかんづめ」「さるのこしかけ」「たいのおかしら」その他何冊かを読んだことがある。読んだのはまだ私が20代の頃だったと思う。だいぶ昔のことだから、ほとんど内容も忘れてしまったが、どれも平易で味わいのある、面白いエッセイだったことは覚えている。

 それら昔読んだエッセイは、どれもさくらももこの子供時代などが題材だったと思う。しかし、「焼きそばうえだ」については、さくらももことその友人たちがふざけてした最近の面白いことを題材にしている。「最近」と言っても、この本の出版は平成18年(2006)なので、もう10年以上も前のことではあるが……。

 洒落(シャレ)とおかしみが溢れ、かつ、「優しさ」のようなものも感じられて、面白かった。

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 井上靖の「おろしや国酔夢譚」、読み終わる。

 高田屋嘉兵衛の伝記小説「菜の花の沖」(司馬遼太郎)を読んだことから興味を持ち、これまでに吉村昭の「大黒屋光太夫」と、江戸時代に桂川甫周により記録された「北槎聞略」を読んだ

 「北槎聞略」は一種の学術書であり、相当読みごたえがあった。なによりも新鮮だったのは、江戸時代の一介の雇われ船頭に過ぎない大黒屋光太夫が、驚くほど精密な情報を持ち帰っていることだ。

 後世に至って、北槎聞略にはソ連側から学術的な検証が加えられ、少なくない誤りが指摘されているのは岩波文庫版の注釈からも窺える通りであるが、全体のボリュームとそれらの誤りの比から言って、むしろ光太夫の体験談は、鎖国下の江戸時代としては逆に正確であることが裏付けられていると言ってよいと思う。

 さておき、「おろしや国酔夢譚」は大黒屋光太夫の伝記小説としては最も知られたものだ。

 井上靖は明治生まれの、いわば「昔の人」だし、出版も少し古いので、登場人物の心の動かし方などがどうも昔風だ。「何でここで怒るかな」というようなところで怒ったり、「何でここで泣くかな」というようなところで泣いたりする。かなづかいは現代かなづかいではあるものの、「(はだか)」を「裸か(はだか)」とかなを送って書いたり、「(しか)し・しかし」を「(しか)し」と書いていたりと、少々古臭い。また、吉村昭の「大黒屋光太夫」の読書感想にも書いたが、この作品が書かれた頃はまだ大黒屋光太夫に関して発見されていない資料があったらしく、その晩年について多少見解が異なるようである。

 そうはいうものの、吉村昭の「大黒屋光太夫」にも「北槎聞略」にも書かれていないエピソード、例えば光太夫を送還してきたラクスマン一行への歓待饗応時の料理メニューが取り上げられるなどしていて、面白い作品だった。

言葉
逍遙(しょうよう)称揚(しょうよう)慫慂(しょうよう)

 「おろしや国酔夢譚」の中に「慫慂(しょうよう)」という言葉が出てきた。

 私は「逍遥(しょうよう)」と「称揚(しょうよう)」は知っていたが、恥ずかしながら、「慫慂」については今日の今日まで意味を知らなかった。

「コトバンク」より引用

〇 しょうよう【逍遥】

( 名 ) スル
 気ままにぶらぶら歩くこと。そぞろ歩き。 「河畔を-する」 「此庭上を-して、其感を楽み/薄命のすず子 お室」(三省堂「大辞林」)

〇 しょう‐よう〔シヨウヤウ|シヤウヤウ〕【称揚/賞揚】

[名](スル)ほめたたえること。称賛。「善行を―する」(デジタル大辞泉)

〇 しょう‐よう【×慫×慂】

[名](スル)そうするように誘って、しきりに勧めること。
「今日牧師が来て、突然僕に転居を―した」〈有島・宣言〉(デジタル大辞泉)

 「おろしや国酔夢譚」の中では、次のように使われていた。

「おろしや国酔夢譚」(井上靖、文春文庫、ISBN978-4167902087)p.315から引用

 光太夫はまた大学の近くのネワ川の岸に建てられてあるクンストカーメラに出向いて行って、火箸、象牙の箸、椀、扇子、硯箱、鈴、そうしたこまごましたものを寄附した。いずれも日常使用していたもので、こんなものを寄附して何になるかと思うような品ばかりであったが、ラックスマンの慫慂(しょうよう)に依ってのことであった。

遣日使節御馳走づめ
「おろしや国酔夢譚」(井上靖、文春文庫、ISBN978-4167902087)p.357~358から引用

 六日にロシア使節の主だった者はこの地の高名な豪商であるという人物の案内で、小舟で埠頭に運ばれ、街を一通り見物させられたあとで、“露西亜屋敷”と真新しく書かれた立札のある家に入れられた。この時は光太夫も一行の中に加えられていた。そしてそこで、風呂の接待を受け、入浴後大きな庭園に面した広間で、幕吏、藩吏、代官、土地の有力者と思われる人たちの饗応を受けた。卓の上には山海の珍味が並べられた。塩味の焼魚や煮魚、そのほかにえび類が大きな皿の上に並び、パンの替りに米飯が出された。

 この時の献立は、『江戸旧事考』に「寛政年中魯西亜使節饗応の献立」として記録されている。

 ――熨斗鮑(のしあわび)(三宝)、たばこぼん。
 ――茶。
 ――(御座付)、吸物(味噌小魚吸口)、小皿(打焼小串魚青山椒(あおざんしょう)猪口(ちょこ)(花鰹寄鰊子(はながつおよせかずのこ))。
 ――(膳)、白か(はつか)大こん、青海苔、ふ()の魚、岩たけ、たん()く玉子、蜜柑酢。
 ――(汁)、みそ、青菜、竹輪かま()こ、小しいたけ。
 ――(香物)、干さんしょう、なら()け、花輪。
 ――(壺)、すり山葵(わさび)銀杏(ぎんなん)煎海鼠(いりなまこ)、砂糖仕立。

 以上が一の膳で、二の膳は、

 ――(地紙形)、草花かいらき、ちりめん大根、も魚子(もろこ)()け、鱒平造り、海そうめん、とつがさ。
 ――(汁)、針午房(ごぼう)、くじら、ねぎ。
 ――(猪口)、いり酒、おろし大根、衣きせ鱒、掛しょう()、油揚たら。

 三の膳になると、やたらに小皿が並んだ。

 ――(汁)、うしお仕立、(すずき)こせし。
 ――(大猪口)、()るま午房、ことしからし。
 ――(向大皿)、焼物。
 ――(平)、煮()まし、かま()こ、大竹のこ、結ゆ()、わら()
 ――(銀置露)、枝山升(さんしょう)、こん()、玉子、鴨、松たけ。
 ――(台引)、塩鯛、花鮑(はなあわび)、揚昆布造物。
 ――(引盃)、吸物、ちりめん(じゃ)こ、松露(しょうろ)

 以上のあと、銚子が運ばれては、その間に、猪口、小皿、口取、硯ふた、丼、鉢、小皿、雑煮(花かつお、わら()、串貝、こん()、磯とうふ)、平、猪口と、いつ尽きるともなく並んでいる。

(ルビの一部は佐藤俊夫による)

 ……いやもう、呑めるクチには、読んでいるだけで唾が湧きますなァ(笑)。

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 岩波文庫の「北槎聞略」を読み終わった。

 大黒屋光太夫の伝記については、もちろんこの北槎聞略が基本であるが、従来よく知られるのは井上靖の「おろしや国酔夢譚」である。

 最寄り図書館に在架であったので、さっそく借り出す。

読書

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 引き続きゆっくりゆっくり、岩波の「北槎聞略」を読み進めている。通勤電車内の楽しみだ。

 もうこの本も終わりのほうに近づいてきたが、次のような面白い部分があった。引用し、現代語訳を付してみる。

北槎聞略(岩波文庫、ISBN978-4003345610)p.248~249より引用

 帝号を称する国をイムペラルトルスコイといひ、王爵の国をコロレプスツワといふ。彼邦(かのくに)にて他邦の者どもおち合、(たがい)其許(そこもと)の国は何国(いずく)にて何爵ぞと(とう)とき、コロレプスツワなりといへばとり(あう)者もなし。イムペラルトルスコイなりといへば席中(せきちゅう)形を(ただ)し上座を(ゆず)ると也。世界の(あいだ)四大部洲(しだいぶしゅう)にして其(いる)る所の諸国千百に下らず、其内帝号を称する国(わずか)に七国にて、皇朝其一に居る。されば光太夫等何方(いずかた)(ゆき)ても少しも疎略にせられざりしなり。

現代語訳(訳:佐藤俊夫)

 「なになに帝国」という国のことをロシア語では「империя(インペリア)」と言い、「なになに王国」という国のことを「королевство(コロレフストフォ)」と言います。

 ロシアで外国人同士が寄り集まって、「あなたの国はどこですか、王様の位は何ですか」と尋ねあうような場合、「なになに王国です」と答えると、誰も相手にしてくれません。

 ところが、「なになに帝国です」と答えると、集まった外国人達は姿勢を正し、上座を譲ります。

 世界、つまりヨーロッパ、アジア、アメリカ、アフリカなどの中には、数え切れぬほど多くの国々がありますが、そのうち「帝国」を称する国はたった7か国しかありません。わが日本はその7か国のうちの一つに入っています。

 そのため、大黒屋光太夫らは、ロシア国内のどこへ行っても、少しもぞんざいな扱いを受けることはなかったのだそうです。

同じく北槎聞略(岩波文庫、ISBN978-4003345610)p.249より引用

 キリロおよび今度来れる蕃使(ばんし)等が説に、日本国国体(こくてい)風教(ふうきょう)、礼儀、衣服、制度に至るまで(こと)全美(ぜんび)にして議すべき所あらず。そのうへ軍事、武備(ととのお)り、武芸の精練なるに至りては諸国のおよぶべきにあらず。刀剣弓矢(とうけんきゅうし)の制作器械の良好なる、実に万国に(かん)たり。(しか)るに外洋(がいよう)の諸国を畏怖し(おそれ)、我魯西亜(ロシイヤ)をも(おそ)(はばか)らるゝと(きき)およべり。大に(いわ)れなき事といふべし。これしかしながら和蘭(オランダ)国人等久しく貴国に通商し、その貨物(しろもの)を諸国に市易す。もし諸国より貴国に通信互市(ごし)の事あらば其()を失はむ事をいめる根なし(ごと)より(おこ)りしなるべし。これ其(もと)外洋(がいよう)人たゞ支那と和蘭のみ通商を許されて其他諸国の(ふね)(いれ)られず、また外邦(がいほう)へ舶をも出されず、外国の形勢、事理、情実を(つまびらか)にせられざるよりしてさのごとく畏怖せらるゝなるべし。貴国人物制度の全備(ぜんび)もとより外国の軽侮(かろんじあなどる)をうくべからざる事は(かみ)にいふ所のごとし。足下国に帰るの後よく此事理(じり)をもて貴国の人々に告知(つげしら)しむべしといひしとぞ。

現代語訳(訳:佐藤俊夫)

 今回、大黒屋光太夫たちを送り届けてきたキリロ・ラクスマンらロシア帝国の使者たちは、我が国を評して次のように言っています。

 「貴日本国は、国のありよう、教え、礼儀、服装や制度など、あらゆるところがよく整っており、文句をつけるような部分がまったくありません。刀剣や弓矢などの武器を作る技術や道具も優れており、これは世界のほかの国々と比べてもトップクラスです。

 にもかかわらず、外国を恐れ、わがロシア帝国をも恐ろしがり、避けていると聞きました。これはまったく根拠のないことです。

 そのように思い込んでいるのは、おそらく、オランダ人達のせいでしょう。オランダは長年日本と貿易をし、日本からの輸出品を世界中に売って利益を上げています。もし他の諸国が日本に連絡をはかり、相互に貿易を始めると、オランダは日本との独占貿易の利権を失うのです。オランダ人達はそのことを嫌い、根拠のない説を日本に吹き込んでいるのだと思われます。

 このようなことになってしまうのは、日本のほうにも原因があります。日本は中国とオランダだけに通商を許可し、他の国々の船の入港を拒絶し、また日本からも諸外国へ一切船を出しません。そのため外国の形勢や情報、詳しい事情などがよくわからず、むやみに外国のことを恐れる結果となってしまっているのだと思われます。

 貴日本国は、国民も制度もきちんと整っており、もとより外国から侮られるような要素が全くないことは、先に述べたとおりです。

 あなた(訳者注:大黒屋光太夫のこと)が国へ帰ったら、このことを論理的に、よく日本の人たちへ説明してください。」

 使者のロシア人たちは、上のように伝えたそうです。