ううむ、参った(笑)

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 Youtubeからメッセージが来た。

 なんだかわかりにくいことが細かい字でゴチャゴチャ書かれているが、端的にまとめると、

「キサマら視聴数の少ないカスどもには、今後カネは払わねえ。反論も受け付けねえ。以上だ。」

……ということが、非常に論理的かつ丁寧な言葉で書かれているのである。

 是非もない。

 うーん、毎月、レンタルサーバのレンタル料とかドメイン代程度が稼げていたので、残念である。うーん、チャンネル登録者1000人って、私には無理だもんなあ。

 参った(笑)。

 まあ、かくなる上は、動画コンテンツは自分のサーバのみに置くしかないよね。トラフィックがYoutubeに流れるのは無駄、ってことだもんな。

人権って、文明って

投稿日:

 フランスの徴兵制のことがニュースになっており、興味深い。

 というかむしろ、普通の人々は「フランスが徴兵制を廃止したのって、たった17年前の2001年なんだ!?」というような新鮮な驚きも隠し得まい。

「あんな『基本的人権発祥の国』で!?ヨーロッパきっての文明国で!?」

 ……「人権」って、そして「文明」って、なんなんでしょうね。言えるのは、「軍事」と対立するようなものではないってことでしょうよ。

馬鹿なのだろうなあ、この人たち

投稿日:

 下のようなニュースを見ると、もう、怒るとか問題点を覚えるとかいうのを通り越して、「ふはは……」と乾いた笑いさえ漏れてしまう。この場合、「笑い」と書くより「(わら)い」と書いた方がよく(はま)るかも知れない。

(上記事から引用)

 外敵をつくりだし、市民に戦争やむなしとの感情を抱かせることにつながる

 いやもう、なんでこんな変ちくりんな理屈になるのか。もはや彼らが宇宙人かなにかのように思える。

 まあ、自分が正しいと信じたことを一生懸命やっているのだから、「悪」ではないと思うが、しかし、「馬鹿」なのではあるだろう。

(桑田佳祐『すべての歌に懺悔しな!!』より)

♪ 大学出たって馬鹿だから
 常識なんかは通じねェ

 市民活動家に限って高学歴でお偉いと来ているから始末に悪い。

 こんなの、同じ労力をかけて、北朝鮮に「ミサイル撃たないでください」と言うのが本来の(スジ)である。

 在日朝鮮人にヘイトスピーチなどで意思表示したり、(いわん)や彼らをいじめたりしても無駄なのは知れ切ったことだ。彼らは金正恩(きんせいおん)の代理などではないのだから、そんなことはするだけ無駄だ。

 意思を表示するなら、北朝鮮政権にメッセージを伝えなければならない。

 報道や外交などの「言葉によるもの」だけがメッセージとは限らない。メッセージには様々な種類があるのだ。動きをもって知らせる「戦略的メッセージ」というものもあるだろう。そうしたメッセージをどのように形作るかということを考えると、おのずと何をしなければならないかが見えてこようというものだ。

 この「馬鹿な人たち」には、そのようなことはまったくわからないと思う。だが、思うに、議論するだけ無駄でもある。こういう馬鹿な人たちは、そうした大切なことどもを、永久にわからないままでいいのではないか、とも思う。彼らは無明(むみょう)の幸福のうちに一生を終えるのだろう。結構なことだ。

九相(くそう)、死生、メメント・モリ……

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 珍しく、かつ殊勝にも死生観なんぞということを考えていて、ふと、若い頃気になった「メメント・モリ」という言葉を思い出した。いつ頃だったか定かに思い出せないが、その「メメント・モリ」という題の本が書店に置かれているのを見つけたことがあったのだ。

 それは画集のような本で、(めく)ってみると、「メメント・モリ」というラテン語の題名とは裏腹に、中身は日本の中世の頃の、ある主題の掛図などを集めたものだった。美しい女が死に、野にその(むくろ)が放置される。醜く腐乱死体となりはて、禽獣に喰われ、ついには白骨が散乱するという様子を描き、彩色を施したものが集められていた。

 その図画は宗教的なもので、生死にとらわれぬ解脱(げだつ)の境地を得るため、僧侶などが修行で見るものであったかとおぼろげに記憶する。しかし、ああいう図画の事をなんと言うのだったか、今はもう忘れてしまっている。

 改めてGoogleで少し検索するとわかった。あの種類の図画は「九相(くそう)図」と言うそうで、中世頃によく取り上げられた画題だそうである。この図を使って宗教的な思惟(しゆい)を行うことを「九相(くそう)(かん)」と言うそうな。

 中世では、死体が脹相(ちょうそう)壊相(かいそう)血塗相(けちずそう)膿爛相(のうらんそう)青瘀相(しょうおそう)噉相(たんそう)散相(さんそう)骨相(こっそう)焼相(しょうそう)という9段階を経てついに無に帰するとされていた。これが九相図の「九相」である。

  1.  脹相   死体が腐敗ガスで膨張する。
  2.  壊相   腐敗が始まり、死体が崩れはじめる。
  3.  血塗相  死体の崩れ目から血があふれ、これに(まみ)れる。
  4.  膿爛相  膿のような汁液で爛れ、腐乱する。
  5.  青瘀相  青黒く変色し、ミイラ化する。
  6.  噉相   禽獣が寄ってきて、食い散らかされる。
  7.  散相   バラバラになる。
  8.  骨相   白骨化する。
  9.  焼相   骨片が焼かれるなどして、ついに消えてしまう。

 最初の「脹相」などというのを見ると、古人も死体をよく観察していたものだな、と思う。死後しばらく経った死体を見たことがある人ならわかることだが、腐乱し始める直前の死体は膨れ上がるのだ。顔も同様で、眼庇(まびさし)のあたりが膨れ、巨人症の人のような顔つきになる。監察医など、法医学に携わる人々はこれを「巨人(よう)顔貌(がんぼう)」などと言うようだ。このようになる理由は、濃い塩酸である胃液により胃腸が溶解し、そこからガスが発生して腹部をはじめとした死体の各部を膨満させるからである。

 「九相図資料集成―死体の美術と文学」という本があったから、見てみた。これでもかというほど、何度も何度も、美しい女が腐乱死体に、そして白骨となって散乱し、消滅してしまうありさまが描かれる。

 ラテン語の「メメント・モリ」は「死を想え」という意味だそうだ。そうしてみると、九相図をもってする九相観は、まさしくメメント・モリ以外の何物でもあるまい。但し、「メメント・モリ」は、明示されてはいないけれども、死を思うことによってより生を高めようとする現世利益的でポジティブな感じもする。他方、「九相観」は、死にすらとらわれない境地を得るためにひたすら死を直視する。死への傾斜、死ぬことへの耽溺、更に言えば死への鈍磨(どんま)や病性のようなものが感じられ、少し不健康な気がする。

今週雑聞

投稿日:
コンサル男

 笑った。いい記事だと思う。最近の記事ではなく、3年ほど前の記事だ。

 ……これはもう、男女関係のことでなくても、感じるところがあるね。私が30歳前くらいの頃、職場にいた直上の上長がこんな人種だった。

「日本側は忠実に履行」……?

 日韓合意に関して韓国大統領文在寅(ぶんざいゆう)の腰の決まらなさっぷりが報道されている。

 その都度、報道では「日本側は義務を忠実に履行している」とされ、多くの人々がそうだそうだと言っていそうに思うのだが、しかし、日本側が実施したことは具体的に何か、……と問われると私たちはどうも怪しいようだ。

 端的に言えば、「10億払った」ことが「忠実に履行した」内容である。

暴言西宮市長

 ……あー、でも、これさー、多くの人がみんな、薄々、

「実は悪質なのは読売の記者なんじゃねえの?どうせ腹の立つようなやりかたで挑発したんでしょ」

……って、気づいてると思うよ。

 いや、私は別にこんな無精髭のアンちゃんなんか支持しないし、だいたい、自分の住んでる市(埼玉県越谷市)の市長さんでもないから関係ないんで、味方でもなんでもないけどね。

おいおいおい、どうしたどうした大先生
以下記事引用

 妻の腕にかみつくなどしてけがを負わせたとして、警視庁高輪署が、作家で経済評論家の三橋貴明(本名・中村貴司)容疑者(48)(東京都港区港南)を傷害容疑で逮捕していたことが同署幹部への取材でわかった。

以上記事引用

 いやまあ、三橋貴明大先生の嫁ハンが10代、ってところもいろいろと問い詰めたいわけですが。あー、なんか、ウラがあるんでしょうね、こういうのって。

成人の日

投稿日:

天皇陛下万歳

 祝日「成人の日」である。

 曇天だが、軒先に高々と国旗を掲揚する。

 長女がようやく成人式を迎えることができた。まだ学生の(すね)(かじ)りだが、なんとかここまできた。

 長女は気分が乗らないらしく、今日は特に衣装を整えたり盛り場に出かけたりと言ったことはしないようだ。せっかく準備していた振袖も、キャンセルしてしまった。それもよい。いろいろな成人式があるということなのだろう。

 私自身も、30年前、自分の成人式に出ていない。これは、長女と違って、その日は仕事をしていたからである。

 だから、数年前まで「荒れる成人式」というようなニュースを見聞するたび苦々しく思っていた。しかし今は、そういうふうに思っていない。自由に喜べ、と思う。乱痴気騒ぎをする無軌道な若者も許され、また、長女のように、静謐に成人式を送る喜び方も、また許容されるのだ。

 成人式だけではない。いまや、人のあらゆる()り方を許容しなければならなくなった。挨拶をしない、性を転換する、ホモ、レズ、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、別姓の夫婦、一生独身、子供を作らない、子育てをしない、学校へ行かない、仕事をしない……私などからするとこうしたことどもは生理が許容しないのであるが、しかし、そこを、「理性で許容せよ」と社会が求めているように思う。なかなか許容は難しいが、しかし、寛容はできる。許容と寛容は違うし、寛容されている側の立場になれば、今風な言い方をすれば「上から目線で憐れむのはやめろ」ということにもなるだろう。だが、許容できないのなら寛容するより他にない。

 たとえ苦しくとも、間尺に合わないと感じようとも、これまで自分が我慢し、それを受け入れてきた、というようなことを、相手も同様に受け入れられる、相手もできるはず、それを相手がしないのは、相手が怠けているからだ、相手に忍耐の精神がないからだ、相手の努力不足だ……などと思うのは、自分の思い上がりと言うものなのだろう。

 私などは、国民たるもの、(すべか)らく「一旦緩急あれば義勇公に報ず……」べき、というふうに考えているが、そんなの、断じて嫌だ、と言う人だって、世の中たくさんいる。というか、そんな人ばかりである。

 私は、それをも寛容しようと思う。

 しかし付言しておけば、だから、逆に、かつて「一旦緩急あれば義勇公に報……」じてきた人々、というものも、相手に受け入れられ、寛容されなければならない、というのは自然の流路と言える。

屈折

投稿日:

 ハードディスクの隅っこの方を漁っていたら、「fortune.php3」というファイルが出てきた。かれこれ20年弱くらい前に書いたものだ。

 その内容は摘記すれば次のようなものであった。

fortune.php3
<?
$hitokoto[] = "事態は好転しない。";
$hitokoto[] = "どのやり方もダメだ。";
$hitokoto[] = "人生下り坂。";
$hitokoto[] = "おしまいなのか・・・。";
$hitokoto[] = "暗黒と涙。";
$hitokoto[] = "夜と冬。";
$hitokoto[] = "青函トンネルから出られない。";
$hitokoto[] = "・・・破綻。";
$hitokoto[] = "生涯に一度の光もなく";
$hitokoto[] = "即身仏が鳴らす鐘の音が止んだ。";
$hitokoto[] = "合掌。";
$hitokoto[] = "老いてゆく。";
$hitokoto[] = "永久の苦痛";
$hitokoto[] = "君のすべてが疎ましい。";
$hitokoto[] = "助けを求める声が次第に弱々しくなっていった。";
?>
<table>
<tr><td>ラッキーカラー:</td><td bgcolor="#ff7777">システムエラー あなたのラッキーカラーが見つかりません。</td></tr>
<tr><td>ラッキーナンバー:</td><td bgcolor="#ff7777">システムエラー あなたのラッキーナンバーが見つかりません。</td></tr>
<tr><td>ラッキー方位:</td><td bgcolor="#ff7777">システムエラー あなたのラッキー方位が見つかりません。</td></tr>
</table>
<p>
<center>今日の一言:<h2>「<?echo $hitokoto[rand(0,count($hitokoto) - 1)];?>」</h2></center>

 当時、何か、相当私は屈折していたのだな、ということがうかがわれるわけである。

地球ちゃん

投稿日:

 「地球ちゃん」て、……(笑)。

 「I – I’m not flat!!」ってのもまた、笑ってしまった。

 これは、「地球平面説」に対し、古代ギリシャあたりの科学者が「大地は平面ではなく、球体である The earth is not a flat, it is a sphere.」と抵抗したであろうことを、胸のことに茶化しているわけである。

ははあ、

投稿日:

 ははあ、昨日の騒ぎの原因はコレか。

 ま、しかし、システムの改良はもちろん必要ではあるけれども、これしきのこと、目くじら立てずに「いやあ、大事に至らず、とりあえず良かった」……という反応で、いいと思う。

新発明反差別用語

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 「婦人(ふじん)」という言葉がある。訓読みすれば「婦人(おんなのひと)」だ。これは本来ゆかしい言葉で、良い言葉である。「女性」などという事務的、物理的、即物的な言葉より、よほど女性を尊敬した柔らかな言い方だ。従って「婦人警官」や「婦人自衛官」といった言葉を排撃し、廃止してしまったのは残念なことであった。

 この言葉が用いられなくなった当時の、どこかの役所の政策審議録を見ていたら、

「『婦人警官』などとは何事か、女性の警察官でも、まだ婦人ではない人も中にはいるかも知れないではないか、女性たる者すべて(とつ)いでいて(しか)るべしというような意識が底流に見え、著しく不快である。こんな差別的な言葉の使用など廃止すべきだ」

などと言う発言が見え、これは完全に「夫人」と「婦人」をはきちがえており、どこの誰かは知らないが、審議員たる自称有識者の低劣ぶりを表している。所詮(しょせん)有識者を僭称(せんしょう)して(はばか)らぬようなこの如き手合いなど、学校で習った漢字の読み方しか知るはずもなく、「婦」と書いて「おんな」「をんな」「をみな」等と()むなどとは、そしてこれらの発音が全て違うなどとは、到底知り()つ使う(あた)わざるものと見える。

 ……と、上記のようなことをブツブツと言ってみていたところ、

「『婦』という漢字は『女』が『(ほうき)』を持って掃除をしているという意味を合成した会意文字で、その根底には『女如き、清掃などの補助的・屈辱的な仕事のみをしておればよい』という男性側の差別意識がある。差別許すまじ」

などという黄色い反駁(はんばく)を浴びた。

 ならば、「男」なんて漢字はどうなのか。「田」に「(ちから)」と書いて(おとこ)()む。こんな漢字など、「田に出て力をふるってこそ男、そうでないような者は男ではない」とでも言いたげではないか。これは差別ではなかろうか。

 「男」という字には、「男性如き、肉体労働、農業労働のような仕事ばかりして奴隷的屈辱に甘んじておればよいのだ」とする差別意識が込められているとすら言えるのではないか。

 「婦人」が駄目だと言うなら、「男」なんて、これほど一方的で差別的な字が他にあるか。昔の王権が「庶民の男如き、農業的労働のみを重んじ、田に出て泥まみれになってメシも食わずに働き続け、只管(ひたすら)年貢のみ納めておればよいのだ」というような封建的価値観を押し付けようとして、ステレオタイプを称揚した結果の、呪わしい文字と言っても過言ではないのではないか。

 そこで、である。

 もう「男」とか「男性」という書き方など廃止してしまえばよい。「男」が廃止になるのなら、「女」も廃止してよかろう。「女」という漢字は美しくしんなりとした女の座り姿を描き写した象形文字で、「男」のような会意文字ではないから、そこに差別的意図が含まれているとも思えないが、いっそのことスッキリと両方廃止してしまえ。

 では、どう書くのか。これはもう、差別の意図の全く含まれない、物理的な差のみを言うといい。つまり、「(びっこ・ちんば)」「(めくら)」「(おし)」「馬鹿(バカ)」「阿呆(アホ)」「禿(ハゲ)」等の言葉を、それぞれ「足の不自由な方」「目の不自由な方」「言葉の不自由な方」「知力の不自由な方」「頭脳の不自由な方」「頭髪の不自由な方」等と言い換えたようにすればよい。

 すなわち、「卵巣及び子宮並びに膣のある方」あるいは「睾丸及び陰茎のある方」と言えばよいのだ。

 「病気でこれらを剔除(てきじょ)した人や先天的にこれらのいずれかを持たぬような人はどうなるのか」という反論があると思う。その場合は「卵巣・子宮・膣を持った方、及びこれらのいずれかを持っているか、あるいはかつて持っていた方」「睾丸・陰茎を持った方、及びこれらのいずれかを持っているか、()しくはかつて持っていた方」という風に言えばよかろう。

 これで万事解決である。

 何?「子供にとって言いにくい」だと!?……そんなもの、「おちんちんのある子」「おちんちんがない子」とでも言わせておけばよい。

 何?恥ずかしい!?だったら、「Y染色体のある方」「X染色体のみの方」と言え!シンプルではないか、男警官は「Y染色体のある警察官」略して「Y警官」だ。女警官も同様に「X警官」だ。

 おお、殺人事件裁判の判例を書き出したようになってきたぞ。「X巡査はY警官であったため、その部屋には入ることができなかったが、Y警視はX警官であったのでドアを開けて部屋に入ることができ、本件現場を視認したものである。」などと、もはや(にわ)かには意味を把握できない。

 だが、面白いじゃないか。混乱こそが改革を(もたら)すというものだ。

 何?いやだ!?……だったら文句を言わず、「男」「女」あるいは「婦人」と言っておけばいいだろう。

 何?「マチズモ」だ?!「ミソジニー」だ??!!そんなもん知るかバカヤロー!!