さえずり季題

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 さて、今日は「さえずり季題」の出題当番が回ってきた。

 何にしようか。

 今日は「重陽の節句」「旧暦七月十九日、十九夜の寝待月」、というところで、残暑もやややわらぎ、秋らしくなってきたというところであろうか。

 ふと思いついたので、さえずり季題の出題方法を書いてみよう。

さえずり季題の出題方法

 さえずり季題を出題するのに面倒臭いルールは特にない。いくつかのコツを守ればそれででよく、簡単だ。

  •  当番が回って来る。楽しく引き受ける。
  •  当季の季題を適当に選ぶ。好きな季語でよい。
  •  同じ季語ばかり出してもつまらないので、「さえずり派」のおまとめサイトへ行き、上で選んだ題が過去に出されていないか確かめる。
    •  さえずり派(Tumblr)
    •  おまとめサイトを1ページ1ページ確認するのは面倒くさいので、画面の右側にある検索ボックスに選んだ季語を入力し、過去に出題されていないか確かめると良い(下図)。
  •  この時ついでに、次の出題をお願いする人を選ぶ。
  •  一度も出題していない人にお願いするのがよい。仲間が増える。

     いつもの顔ぶれにお願いする場合、ついこの前出題したばかりの人にお願いするのはつまらないので、よく出題している人で、最近そういえば出題していないな、という人をTumblrのページをめくって調べる。だいたい3カ月、春夏秋冬に一度くらいお願いする感じで見ていくと、適任の方が見つかる。

  •  次のフォーマットで季題を投稿する。
  • さえずり季題【xxx】は「何々」です。[季語の解説] 何々が何々何で何とやら 何の誰兵衛 #saezuriha_odai #saezuriha #kigo #jhaiku #haiku
    •  この時、解説文を長々と書くと、すぐにツイッターの140文字制限に引っかかってしまうから、手みじかに書く。
  •  選んでおいた次の方にリプライでお願いする。断られたら、別の方にお願いする。

秋らしくなる

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 近所の百日紅(さるすべり)が散り始めた。立秋からひと月も過ぎれば、初秋が仲秋にかわり始める。三()九十日の花が散るのも、(けだ)(うべ)なるかな、である。

 名月にはもうひと月待たなければならないが、今日はひと月前の「居待月」、旧暦七月十八日だ。

 今朝は曇り模様だったが、昼から秋らしい空が広がり、まことに良い午後になった。

 少し気分も晴れ晴れとする。週末のこととて、楽しく帰宅してみると、東から居待月らしい、明るく、大きな月が上ってくる。

 全く秋はのんびりとして、良いものだと思う。なんと言っても、月が良い。
 

ガソリーヌーっ!(笑)

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 以前こんなこともあってむっちゃワロタ……のだったが、正真正銘だわー(笑)。

 ガソリーヌーっ!(笑)

週刊文春のその写真

 アホかお前は~ッ。

それでまた、この、車でホテルから出てくるところの写真の、この顔と来たら、まあ、どうだ。ツルツルテカテカじゃあねえか。恥ずかしい。

 しっかし、浮気する奴多いなあ、ほんっと、どいつもコイツも、のべつまくなしじゃねえか、(ケダモノ)じゃあるまいし。

さすがは

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 さ、さすがはプーチン。

 喝破してのけたもので、

「どのようなものであれ、この状況下で制裁という手段に訴えても無駄だし効果もない」

……というのは、よくぞまあ、言いにくいことを言ってくれたな、というところだ。

金ちゃん妄想

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 ああ、北朝鮮を俳優に仕立てた茶番、ロシア・中国共同プレゼンツのドラマが見えてきた。

 狡猾そのものじゃないか。

 実は、原爆や水爆と見えたものは、デブの金チャンが爪に火を(とも)すようにしてため込んだTNT火薬だったのだ。何キロトン、何メガトンとか言うが、文字通り、本当に爆薬を千トン、一万トンとため込み、せっせと山岳地帯の洞窟に運び込み、炸裂させただけなのだ。

 その爆薬は、ロシアと中国からどしどしと運び込まれた石油を遺憾なく注ぎ込んで合成したものだ。

 すっかり騙されて怒った米国が「大量破壊兵器許すまじ」とばかり北朝鮮に攻め込む。だが、もとより核開発なんかする力もないから、北朝鮮国内をいくら家探ししようが大量破壊兵器の「ヘ」の字も見つからない。

 つまり、米国は、イラクの繰り返しをもう一度やらされて、世界中に恥晒しをしてしまうのだ。

 赤っ恥をかかされて吠え面のアメリカを、ロシアと中国が糾弾する。「戦争までしておいてそのザマかよ!」「弁償しろ馬鹿野郎」「謝れアホが」……というわけだ。

死ぬのと寝るの

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 ヨーロッパは更に遥か斜め上だなあ……。

 「哀愁のヨーロッパ」(200円)でも聴きながら寝よう。

 もはや死にたくなってきたのだが、睡眠は一時的に死ぬようなもので、今日眠れば明日死なずに済む。

 Go Die Go(後醍醐)、ですかなァ。古いねえ、うん、うん。

ビンタと水爆

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 水爆よりラッパ吹きのビンタの方が問題だというお前らなんか、いっぺん全員死んだらいいと思うね。

 暴力がダメだってんなら、暴力と殺人の集合体である戦争の準備はどうなんだよ。

 何なんだよ、ヘナチョコの集合が偉そうにしやがって。

 ケッ……。

虫声寸感

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 夜来秋涼が快かったので、窓を開け放って寝た。

 明け方、虫の声が風鈴のように高く澄んで心地よく、聴いたまま微睡(まどろ)むのは本当に気持ちが良かった。

 もうすぐ節季は白露ともなれば、仲秋も近い。

 たしか、岡本綺堂の随筆で読んだのだったか。関東大震災以前の東京には、明治維新より前の江戸の色がまだ濃く残っており、裏長屋には「虫売り」が行商に来たものだそうだ。

 これは今のペットショップのような子供相手の商売ではなく、風雅の飾り物、しかも「音の飾り物」で、小さな虫篭に鈴虫を入れ、家の軒端にぶら下げてその音を愛でたそうである。

 建て込んだ東京の街は季節を感じにくいため、朝顔売りや金魚売り、虫売りなどからそれぞれ風雅を(もと)め、ほんの一輪二輪の朝顔、一鉢の金魚に寸描のような季節を見出して愛でたものだそうな。

 その話は、たしか「綺堂むかし語り」で読んだのだったと思う。「綺堂むかし語り」は青空文庫でも読めるし、Kindleにも0円でコントリビュートされている。

 岡本綺堂に言わせれば、「秋になって盛大に虫が鳴き始めるのなどは当たり前で、面白くない。まだ夏も(たけなわ)という時に、ふと秋に鳴くはずの虫がりん、と鳴いた、そこに捨てがたい涼味を見出すのが良い」……大意、そういう風なことだと思う。

 起き出して、コーヒーを飲む。この秋はじめての熱いコーヒーにしてみる。沁み入るように美味い。朝食がわりにチョコレートを3(かけ)ほど。

 コーヒーを啜りつつ、ふと思い出す。亡くなる前の正岡子規の句に

秋もはや塩煎餅(しおせんべい)渋茶(しぶちゃ)(かな)

……という川柳風なものがある。涼しさが増してからの久しぶりの渋茶の美味しさ、煎餅の香ばしさ、それどころか周囲の秋の空気の匂いまでが、このたった17文字の句から伝わってくるように思う。この作品は「仰臥漫録」の最初の日、明治34年の9月2日に記されている。今日は9月3日なので、今から丁度116年前の事だ。