何について言っていないか

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 ネットでは、ある人が「何について言ったり書いたりしているか」よりも、「何について全く触れたり言ったり書いたりしないか」によって、むしろ逆にその人が何について詳しいかを露呈しているような気がする。

 というのは、この私自身に照らしてそう思うからである。

 だってさ、仕事のことなんて書けないでしょうが普通。クビになっちまうもんな。

 だから逆に、SNSあたりで面白い人物を見かけたら、その人について何かをわかりたいのなら、

「何について言っているかより、何について言っていないか」

 すなわちこれだ。

一杯

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 大阪・小倉屋山本の塩昆布が到来とあらば純米大吟醸の一升も用意して、それかあるいは、笹錦の炊き立てと宇治の煎茶の茶漬の用意でもして取り掛からなければならないのだろうが、あいにくと家にあるのは900円足らずのホワイトホースくらいのもである。

 だが、そんな貧しい酒が、なにゆえかくも旨いのであろうか。いとおしく5分ほども頬の裏側に舐めていてもうすれないこの塩昆布の滋味は。

テレビ

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 昨日夕刻NHK放映のドラマ「戦争めし」、録画しておいて見た。

 面白かった。随所で思わずじぃんと涙ぐんでしまった。

天の川

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読書

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ジェラルド・M・ワインバーグ博士死去

 私なども若い頃、この「ライト、ついてますか―問題発見の人間学」を耽読したもので、今も名作として読み継がれているという。

 思うに、今から100年後もこの本は残るだろう。

 祈冥福。

巷の美食家

 辻嘉一の「料理心得帳」と入れ替えに、開高健「巷の美食家」を借りて読む。

言葉
生え下がり
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/174616/meaning/m0u/

出典:デジタル大辞泉(小学館)

こめかみの下の部分に生え下がった毛。また、もみあげ。

extravaganza(エクストラヴァガンツァ)
https://ejje.weblio.jp/content/extravaganza

研究社 新英和中辞典での「extravaganza」の意味
extravaganza
音節ex・tra・va・gan・za 発音記号・読み方/ɪkstr`ævəgˈænzə, eks‐/
名詞可算名詞
1エクストラバガンザ 《19 世紀米国で流行した奇抜なコミックオペラの類》.
2奇抜なもの; 豪華なショー.
[イタリア語 ‘extravagance’ の意]

ほっつき歩き

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縄文―1万年の美の鼓動

 上野の国立博物館で特別展「縄文―1万年の美の鼓動」というのをやっていることを知った。電車の車内広告のポスターで知ったのだ。ポスターでは学校の教科書で何度も見たことのある火焔型縄文式土器がフィーチャーされている。

 面白そうなので行ってみた。多くの縄文式土器や土偶が集められ、何と言っても国宝の土偶・土器が6点集結していたが、これは初めての試みだそうだ。

 ポスターに載っていたあの有名な国宝「火焔型縄文式土器」や、これもまた有名な重要文化財「遮光器土偶」の実物もあった。

 かつて火焔型土器は考古学上の資料にすぎなかった。が、かの前衛芸術家・岡本太郎は、この火焔型土器の内包する芸術に感応した。岡本太郎が縄文式土器の芸術性を激賞したことから、以後縄文式土器の芸術性を鑑賞することが普及したのだそうである。

 なるほど、実際、間近にこれを見てみると、燃え盛るような躍動感が伝わってくる。教科書で見る限りは植木鉢程度の大きさなのかな、と思っていたが、実物はかなり大きいことも分かった。

 常設展も少し見て回った。

銀座「そば所 よし田」

 午後を過ぎても博物館でうろうろしていて、朝から何も食べていなかったので腹が減った。折から猛暑である。上野公園ではパキスタンの親善イベントが開かれていて、パキスタンの音楽やカレー料理などの出店があったが、この暑さではちょっと敬遠せざるを得なかった。

 思いついて銀座まで行き、有名な蕎麦舗「よし田」へ行ってみることにした。

 「木鉢會」のホームページでは、銀座すずらん通りにあると書かれているが、移転したらしく、この場所に行っても、ない。

 今の店舗は左の地図の場所にある。「銀座6-4-12 KNビル2階」だ。それと、実はもう1か所、このすぐ近所の「銀座7丁目5 銀座7丁目5−10 第2一越ビル 3F」にも分店があるから気を付けないといけない。

 ここの名物は「コロッケ蕎麦」だ。こう書くと、立ち食い蕎麦屋の安物を思い浮かべるかもしれないが、そうではない。「よし田」のコロッケは、この店独自のアレンジを施した独特の和食揚げ物なのだ。これは鶏肉を細かくたたき、鶏卵・山芋などと練り合わせて粉を付けて揚げたもので、パン粉は使われていない。食感は鳥のつみれ団子のようなもので、天つゆと山葵で食す。歯ごたえよく、噛むと油と鶏肉のうまみがゆっくりと味わえる。

 盛夏で、熱いコロッケ蕎麦はさすがに食べる気はしないが、もちろんこれはコロッケだけの「皿盛り」でも出してくれる。これをつつきながらの蕎麦前の一杯はこたえられない。

 盃一杯ほど酒の残っている頃合いに「もり」を一枚たのむ。旨い。

値段
コロッケ天皿 500円
日本酒 630円
もり 600円
合計 1730円

 満足して店を出る。値段はそんなに高くない。

KITTE

 帰り、東京駅で途中下車して、丸の内南口駅前の「KITTE」に寄る。

 4階の書店で立ち読みして、何も買わずに帰る。

ドラマ×マンガ 「戦争めし」

 これもまた電車の車内広告で知ったテレビ番組。

 録画して見ることにした。最近テレビよく見るなあ。

何がサマータイムだ、馬鹿馬鹿しい。

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 報道によると、なにやら東京オリンピック開催を睨んで、戦前から再燃しては消えていた「サマータイム導入」の(くすぶ)りがまた再燃しかかっているらしい。

 何がサマータイムだ、馬鹿馬鹿しい。

 日本は明治維新まで、不定時法、すなわち日の出を明け六ツ、昼を順次五ツ、四ツ、九ツ、八ツ、七ツ、日の入を暮れ六ツ、五ツ、四ツ、九ツ、八ツ、七ツとし、毎日連続量で変化させるとともに、鯨髭のぜんまいを使用した機械式振り子時計でこの不定時を正確にシミュレートさせるなど、明るさや気温、季節に合わせた刻時方法を実現していた。つまり、とうの昔に「連続式サマータイム」を実現していたのである。

 この「九・八・七・六・五・四、九・八・七・六・五・四」という数字の繰り返しは、古く支那文化に由来する五行説によるものだ。

 だが、そういう天然・自然に即した刻時が合理的でないとして無理にやめたのだ。

 それを今更、「欧米が皆やっているからサマータイム導入だ」などと、人工的で不自然なことをワケのわからない理由で強制しようとする。愚劣の骨頂である。どうして「欧米が~ッ」ではなく、「日本ではこうである」と言えないのか。主体性のなさに憫笑すら覚える。