傘と甘味品

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 珍しい時間に電話がかかってきたから出てみたら次女である。塾に行っていたのだ。

「お父さん傘持ってこなかったから迎えに来てー、お財布も持ってこなかったもんだからー」

 はて、いつの間に雨なんか降ったかな、と、外を確かめるとそぼ降っている。

 松の内はもう過ぎたが、既に一杯やっていたものだから、車を出すわけにもいかぬ。駅まで15分ほど、小走りに傘を持って行ってやる。

 なにやら走り甲斐もあった。

 最近次女と並んで歩くことも少ない。「オイ、何かおみやげ買ってやろう」と言うと、嬉しそうに「うんうん」言う。新越谷VARIE内の「ガトー・ド・ヴォワイヤージュ」で甘いものを沢山買ってやる。

キリ番キャプチャ逃した

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 Twitterの投稿が「45678ツイート」になりそうで、面白そうだからその日が来たら「魚拓」でもとっておこうと思っていた。

 ところが、うっかり二つ三つポストしてしまい、気が付いたら一つ通り過ぎて、45679ツイートになってしまった。

 うーん、うーん、惜しい。

カノン漫才

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 この「クラシックの玉川カルテット」、なんとかしろ~(笑)

 チナミに本家玉川カルテットはコレ。

エレクトーン少女の Canon Rock

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 この女の子、ちょっと前から有名だが、本当に楽しそうに弾いていて、すばらしい。美しいし、才能もある。

 「Canon Rock」って選択も、いいなあ。

(参考:本家Jerry Cの元祖「Canon Rock」)

皇居一般参賀・おじさん寸描

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 昨日、意を決して皇居の一般参賀に行き、その一部始終を書いておいた。

 ちょっと面白いことがあったが、書き洩らしたので、改めてここに記しておく。

 長和殿前広場で、私の後ろに年配の、声の大きいおじさんがいた。何人かのお連れさんと来ているようだった。70歳前後に見受けられたがもう少しお若かったかもしれない。喋る言葉は「東京弁」で、自他共に許す江戸ッ子と察せられた。

 このおじさんが微妙な面白さだった。

 長和殿に詰めかけて、私の後ろの辺りに場所を占めるや、お連れさんたちに

「いや~ァ、めぇったなァこりゃ、ずいぶンな混みようじゃァねいか、こんなンじゃあちぃとも拝めやしねいヨゥ!」

 それがまた遠慮のない大きい声で、私は「おっ、江戸ッ子が来た」と、ちょっと笑ってしまった。

 おじさんは大きな声で(あた)(はばか)りもなく気楽に喋る。

「あーっ、ああいうふうにカメラを上にあげて撮影されッと、後ろの方はたまんねェんだヨなァ、あれが邪魔で(めえ)が見えやァしねェんだから。もう、陛下がお出ましになるッてェと、コウ、みんな旗を振るだろ、余計に見えねェよゥ?!……ああっ、誰でェ、カメラはまだいいけど、なんつーんだい、アレ、なんだっけ、タブレット?……アレを高々と上に挙げてあのカメラでやられちゃア、後ろの方はたまったもんじゃアねぃやな(笑)」

 3列ぐらい前のほうにいた、その「10インチタブレットを高々と上げて背面カメラで撮影している、後ろの視界を邪魔する人」にもまる聴こえで、その人がそ~っと、申し訳なさそうにタブレットを下げる。

「オゥ、あのタブレット?を下げてくれやァがったなア、うれしいねエ~……」

 そのうち、テラスに天皇皇后両陛下、皇族方がお出ましになる。群衆はどよめき、それこそ押し合いへし合いになりだす。もう、大変な歓喜である。

 それまでは例のおじさんの聞こえよがしもあって、遠慮してカメラを下へおろしていた人たちも、今度は遠慮も糞もあったものかは、我先にカメラを差し上げ、(かしこ)きお姿を撮ろうと躍起だ。誰も彼も、カメラ視界の開けたところを確保しようと20センチ30センチ立ち位置を動こうとする。数万もの群衆がそうするものだから、一人一人の小さな動きが大きなうねりに増幅され、言って見ればリゾート施設の「波のあるプール」に放り込まれたような具合である。

 後ろのおじさんも、年配の人だからそれほど背が高くなく、どよめく群衆にモミクチャにされている。

「いやまったく、これじゃア、たまんねェよゥ!……見えやあしねェ~!」

 しかし、私は背伸びさえすれば、ほんの10センチの身長差、両陛下、皇族方のお姿をしっかりと拝することができた。そこで私が「天皇陛下万歳!」と喉も裂けよと絶叫していると、おじさん、私の後ろでモミクチャになりながら、

「いやちょイと、おまいさん、天皇陛下バンザイったって、これじゃあ、バンザイにも何にもなりゃアしねぇだろうよう!!だぁ~めだよウそんな万歳はああ~、そりゃアねエよウ!」

 私が「皇后陛下万歳!」と叫ぶと、

「皇后陛下ったって、おまいさん、ありゃあ美智子さんだよウ!」

 実は年配の一部世代の人には、「皇后陛下は民間から嫁いだ方なので、芯からの皇族ではないから、美智子さんと呼ぶ方が良い」と頑固に思っている人もたまにいるのである。ま、それはそれで、それぞれ人によって考え方もあるんじゃないですかね。

 ともあれ、だいたい年配の人は声が大きいもので、なんか面白く、おじさんには申し訳ないが、逆に(なご)んでしまった。

 その話とは別の話。

 人々がカメラやタブレットを差し上げて撮るので、その腕が邪魔で後ろの方からは全然前が見えないことは前記した。それを非と断じてか、もっとうんと後ろの方で、「カメラとタブレットを下げてくださーいッ!!」と前の人に大声で注意する「正義の参賀客」もいた。

 ところがこの人、1回、2回注意を叫んだだけでは(あきた)らず、3回も4回も、続けて5回、6回と「カメラとタブレットを下げてくださーいッ!!」と叫び続けた。正義を信じて疑わぬタイプなのだろう。のみならず、天皇陛下の御言葉が始まってもまだ叫んでいる。この男の正義の注意がうるさくて、天皇陛下の声がよく聞こえない事態となりかかった。

 これはいかん、と私も思った刹那、別の人、これは女の人だったが、

「ウルセェよ!!」

とその正義男に向けて鋭く一言ピシャリと放った。「正義のカメラとタブレット下げろ男」は、それっきり自分の非を悟ったか、シンと黙ってしまった。

 まあ、実際うるさかったからねえ(笑)。でも、ちょっとかわいそうにもなった。その男のしつこい注意で、少しはカメラやタブレットが下がったから。

やべ……

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 初詣に行って帰ってきたら、ゾクッと寒気がし、途端に気持ち悪くもなってきて、食ったものを全部もどしてしまった。

 どうやら、ひょっとしてコレは……。

 ノロウィルスにやられたかな……?大晦日、腹が張り裂けるかってくらい、本場の牡蠣を貪り食ったもんなあ。天罰覿面(てきめん)かあ。……いや、悪事は働いちゃアいませんがね。

 まあ、ノロだなんだと騒がなくったって、

「飲み過ぎ喰い過ぎによる食あたり」

だわな、早い話が。

除夜の鐘

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 近所の古刹「報土院」の除夜の鐘を聴く。

 鐘撞きの待ちキューに並ぶのも嘘臭いので、読経の始終、それから和尚の一撞き目だけ、堅実心(けんじつしん)に合掌して聴き、引き返す。

大掃除

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 大掃除。

 家の外を綺麗にする。

 子供たちが小さい頃、食ったグレープフルーツの種を庭に植えた。それがこの10年余りで手が付けられないほど大きくなり、持て余していた。とうに私の背丈を超える高さになっている。どうにかしようにも、グレープフルーツの木には鋭い(とげ)があり、手入れをする度、この棘が手に突き刺さり、痛くて扱いづらく、手に負えない。

 しかも、実でも()るならまだしも、花を付けたのは一度だけで、あとはひたすら、年がら年中鬼のようにイガイガと庭に蟠踞(ばんきょ)するばかりで、どうにもこうにもならなくなった。

 意を決し、今日はその3本のグレープフルーツの大木を引っこ抜き、雑草と一緒に捨ててしまった。引っこ抜くにもまるで抵抗でもするように棘が手を刺し、難渋した。

 なんというか、グレープフルーツの木にも生命がある。彼が悪いわけではなく、私がろくに手入れをせぬからこういう始末になったのであるが、グレープフルーツはそれに対して深い(いか)りと憎しみを表明するかの如く、私の手と言わず指と言わず、鬼の角か動物の牙のようにそこら中をグサグサと刺すのであった。おお、痛い。怒るなよ植物のクセに。悪かったよ。

 済んでから、表の雑草を抜き、掃き清める。

 ああ、疲れた。腰が痛い。

随分久しぶりに

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 随分久しぶりに、これからも二度と書けないだろうというほどの会心の文章が書けたのだが、それはあんまりにも人を傷つけるように思うので、非公開にしてしまった。惜しいかな、惜しいかな。

「何がしたいんですか」だって?知るかよ、そんなこと

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 自分のしたいことが何かをわかっておく、ということが大事なことを、例えばコンピュータのソフトウェアの要件を定義するときなどに強く思う。うまくいっていない案件の9割、というか実感としては10割は、自分(あるいは自分たち)が何をしたいのかわかっていない「要求者」の問題に帰するのだ。

 これを工学的問題と定義し、「要求工学 Requirements Engineering」として研究して、なにがしかの糧を得る学者もいるほどである。

 つまりは、「じゃあ、あなたはどうしたいんですか?」と言う単純な問いに答え得る人は稀有である、ということだ。

 同じようなことは人生行路にも言える。目標を持ち、自分が何者で、何をしようとしているのか。こういう風に言えばなにやら恰好がいいが、実際のところ、それが分かっているような立派な人は1万人に1人いればいいほうで、ほとんどの人はともかく転んで怪我などせぬように、うまく目前の道を歩き続けるのに精一杯だ。

 よくいるのが、転ばぬように歩き続けていたらたまたま手に入った僥倖を「俺はもともとこれを目標にしていた」と、はじめから目標に向かって努力していたように言う手合いだ。いや、そういう態度を間違っているなどと言う気はない。そうではなくて、人間、そういうものだ、それで普通だ、と言いたいのだ。

 であればこそ、転ばぬように道を歩く、という、そのことを卑下することはない。それはまことに、あたりまえで、素朴な尊い人生の送り方だ。