ノクターンでLチカ

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 いやもう、「オッサンとバイエル、ピアノ等」って銘打ってて、長らくなかったこのネタ。ええ、ピアノですよ、ピアノ。

「Arduinoをピアノにつなぎたいッ!」

……すなわちコレである。Arduinoをピアノにつなぎ、LEDをピアノ演奏に合わせて明滅させようというものだ。

 いまや遅しとやってみた。

ノクターンでLチカ

 一つ覚えみたいにノクターンで申し訳ないですが(笑)、すんませんレパートリーがあんまりないもんで。

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 アナログピンからピアノの音声出力を読み、それに合わせてTLC5940NTに接続されたLEDを適宜明滅させるわけである。いかにもピアノ風味に明滅させるにあたっては、乱数によるLED選択と、先日会得した「PWMを十分に使い、余韻をもって各LEDを徐々に消す」という技を遺憾なく使用した。

 これをやるには、アナログピンに上手に音声を入れる必要がある。

 こういう時、電圧レベルを知るのにオシロスコープなどが使えればいいのだが、残念ながら持っていない。そこで、あらかじめテスターのACでテレビ、ラジオ、自分のピアノなどの音声出力端子からだいたいのレベルを推定し、次に十分な抵抗を入れて、Arduinoのアナログピンに入力して読み取った。その結果、だいたい200mVの振幅程度であることがわかった。これならばArduinoに直接入れてもどうということはなさそうだ。ただし、レベルが小さいから、ソフトウェアのほうでうまくやる必要がある。

 次に、音声はアナログ信号だから、プラス・マイナスに振れる。一方、Arduinoのアナログ入力は0~5Vの間を1024分割で読むのだから、ここをうまく工夫しなければならない。

 まず、2.5Vを中心に電圧が振れるよう、2.5Vを生成して合成する。ちょうどTLC5940NTを動かすために5Vの3端子レギュレータを使っているので、ここから抵抗分圧で2.5Vを作り、それを合成する。合成するとき、出力側の音声端子に電流が流れ込んではまずいから、コンデンサを0.1μFばかりつける。周波数は見当がつくが、電圧の見当がつきにくいので、とりあえず0.1μFにして、出来が悪いようなら取り換えることにする。

 まず、大して疑問もない簡素な付加回路。たしか、パルス技術ではこういうの、「クランパ」って言ったっけな……。

音声入力のためのクランパ
「voice2tlc」の回路図

 それで、TLCなどと一緒にLEDを植え込む。

IMG_3273

 ミニジャックを接続するために、秋月電子の「ステレオミニジャックDIP化キット」を取り付けた。

ミニジャックの部分
IMG_3274

 で、スケッチはこうなった。

//
//  voice2tlc.ino
//    アナログピンに音声を入れ、TLC5940NTを使ってLEDを光らせる。
//    27.08.13(木)1000~
//    佐藤俊夫
//
#include "Tlc5940.h"
#include <stdio.h>
//
const int
  AUDIO = 0, //  アナログ0ピン
  THRESH = 8;  //  8単位以上のレベルならLEDを点灯
//
void setup() {
  Tlc.init();
  Tlc.clear();
  Tlc.update();
}

void loop() {
  int v = 0, l = 0;
  static long int prevtime = 0.0;
  static int prevv = 0;
  v = abs(analogRead(AUDIO) - 512);
  l = constrain(fmap(v, 0, 15, 0, 4095), 0, 4095);
  if(millis() >= prevtime + 10){
    prevtime = millis();
    for(int i = 0; i <= 15; i++){
      Tlc.set(i, Tlc.get(i) * 0.9);
    }
  }
  for(int i = 0; i <= 15; i++){
    if(random(0, 16) == 1 && prevv != v && v >= THRESH){
      Tlc.set(i, l);
    }
  }
  Tlc.update();
  prevv = v;
}
//
float fmap(float x, float in_min, float in_max, float out_min, float out_max) {
  //  もともとの「map()」がlong int型でこの用途に合わないので、float型を定義
  return (x - in_min) * (out_max - out_min) / (in_max - in_min) + out_min;
}

可能性

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 また、テレビでアナウンサーが「台風が上陸する可能性があります」と言っていた。

 どうも、いただけない。災害などは「上陸するおそれがあります」「土砂災害が起こるおそれがあります」と言ってほしい。

 忌むべきものに

「あとうべく……」「あとうべかる……」

……は、やっぱり違うと思う私である。ここはやはり「おそれ」だろう。

 「可能性」という言葉は、

「彼は合格する可能性が高い」

というふうに使うのがよい。

飲んだくれていて深夜になる

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 酒を飲み、ここ最近には珍しく夜更かしをしている。

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 4~5年前まで私は宵ッぱりであった。朝は今と同じ5時起き、5時半から6時までピアノの稽古をして通勤、7時半ごろ職場の席に着いて、カフェインを大量に摂っては仕事、午後に腕立て伏せ300回・腹筋300回・ランニング最低12km、更に仕事をして、その頃は17時半で定時だったので、家に帰って勉強して酒を飲み、寝るのはだいたい1時頃で、4時間ほど眠ってまた朝5時に起きる。それが10年以上の習慣だった。

 ところが、4~5年ほど前から、以前までの夜更かしがウソだったかのように早く寝るようになった。3年ほど前には、21時半には寝ていた。まるで小学生みたいだが、その頃は故あって1日20kmほどランニングしなければならず、筋トレは腕立て伏せ500回、腹筋500回にも達していたので、それぐらい早く寝なければ、なんとしても体がついていかなかった。そのために晩飯はうどん用のどんぶりに山盛りに食い、酒はウィスキーを生のままコップに指五本分注いで飲んでいた。

 今は仕事が定時ではなくなってしまったのだが、家に帰って風呂に入って晩飯を食い、妻子と喋ったらすぐに寝てしまうようにしている。テレビは見ないので、まったく問題がない。節電・省エネにもなってよい。

 テレビを見ないようにすると、非常に電気代が安く済む。新聞も読まないようにすると、森林資源や二酸化炭素などに関してまことに筋道が通る……などとうそぶきつつ、ネットやPCをバリバリ使いまくっているのだからシャレにならないが。

秋葉原路上

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 今日、知人から聞いた秋葉原の人気ラーメン店「野郎ラーメン」というところへ行った。

 私がラーメン屋に行くのは、実は最近では珍しい。北海道で暮らした頃に食べたラーメンがうまかったので、その後、他のラーメンがあまりうまいと感じられなくなったということも一因である。また、妻が作る具入りのインスタントラーメンのほうがうまいと感じてしまうので、ラーメン店から遠ざかる、ということもある。

 さておき、ラーメン好きの人に言わせると、その「野郎ラーメン」という店は、「二郎インスパイア系ラーメン店」という系列に分類されるそうで、いやはや、ラーメン好きの人たちの旺盛な探求欲には恐れ入るばかりである。

 野郎ラーメンでは、その名も「豚野郎ラーメン」というファッキンなネーミングのメニューが人気だそうだが、今日は味付卵入りの「野郎ラーメン」というのを選んだ。

 小柄な白人の女の子が片言でフロアを切り盛りしており、後れ毛がなにやらムフフと可愛らしい。

 ラーメンを食って満腹し、店の前でSwarmでも入れておこうかい、とスマホをいじっていたら、

「すいません、フジテレビです。取材なんですが」

と、お兄さんがアンケート用紙と鉛筆を持って近寄ってきた。

「はいはい、なんでしょう?」

「今、秋葉原は『カレー激戦区』ということで世間の噂が盛り上がっているんです。」

「へっ?……はあ、そうなんですか?」という私のスットボケた返事に、お兄さんは(あれっ、これはインタビュー相手を間違ったな)という顔をしたが、あきらめず、

「で、もし、おすすめのカレー店や噂のカレー店などをご存知でしたら教えていただけませんか?」

「えっ……。す、すみません、ごめんなさい。カレー、あんまり食べないもので……」

「……失礼しました、ハハッ、最初の反応で、そうだろうなあ、と思いました、いや、すみません。……今日はラーメンで?」

「ええ、それがね、ラーメンもめったに食わないんですがね。今日は噂をきいて入ってみたんですよ。」

「へえ、めったに召し上がらない?」

「秋葉原へ来ると、万世橋の向う、連雀町のほうの、じじむさい界隈のじじむさいものを食う方が性に合ってましてね」

「ははあ、それはなるほど、粋向きですねえ。……いやどうも、お時間をお取らせしました。よい一日で」

……などと、お兄さん、なかなか軽妙に人を喋らせるのであった。

 本郷通りを南へ横切って、メイドさんの並んでいるカルチャーズ・ゾーンの前を通り過ぎ、千石電商へ行ってネジ、ケース、ニッパー、蛇の目基盤、ピンコネクタなどを買い込む。

 今日の買い物の大ヒットは、このピンコネクタである。180円。

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 こんなものの何が大ヒットなのかと言うと、これは実はArduino用のセットなのである。本来はArduino製作用のユニバーサル基盤に半田付けして使うものだ。しかし、私がこれを購入したのは別の理由だ。

 これは、先日買ったArduino用のブレッドボードシールドである。

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 まことに便利なのだが、難点がある。ETHERNET SHIELD 2 とともに使おうとすると、ピンの長さが短く、ETHERNET SHIELD 2 の RJ45コネクタのシールドと干渉してしまい、下の写真のように斜めになってきちんと挿さらないのである。

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 そこで、買ってきたこのピンコネクタを、ETHERNET SHIELD 2 に挿す。

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 こうすることによりめでたくArduino UNO R3 + ETHERNET SHIELD 2 + ブレッドボードシールドの3階建てがまっすぐに挿さって、使えるようになるのであった。

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 めでたし、めでたし。

団欒と馬鹿親父

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 今日の晩飯は鉄板焼きだった。団欒の楽しさ、ホットプレートを囲み、肉や野菜を焼いて、家族で喋りながら食べるうち、テレビの話だったかスポーツの話だったか、長女と妻が連想で、

「そういえばさ、ジャパン、ジャパンって言うけど、なんで日本のことを『ジャパン』って言うんだろ?」

と言った。

 ぬぅ、ここだッ!妻子をして愛国者ならしめんとするところ、ここに他ならずッ!、と、4~5センチは体が前に出る私である。

 漢字の呉音読みと漢音読み、日本の「日」は「ニチ」とも「ジツ」とも読むことは「本日(ほんじつ)」などの語からも(うべな)えること、日本の「本」は「ホン」とも「ポン」とも読むのであって、当時の中国、明~清の読み方では「ジツポン」に近い「ジッペン」「ジッポン」と読んだのであり、これは西洋人が発音すれば「ジペ~ン」「ジパーン」となったのは当然、これを伝聞したマルコポーロと東方見聞録、黄金伝説、黄金を狙う欧米白人の邪悪な侵略思想、当時の関白豊臣秀吉の智謀とフェリペ2世の駆け引き、朝鮮半島を泣かせてでも発しようとした秀吉の戦略メッセージと国体護持、神州不滅、話を遡れば二度の元寇、神風、下って帝国の落日……というところまで話が及ぶと、

「さあーってとっ、宿題やんなくちゃ、ごちそうさまぁ~」「後片付けしようかしらねえ」

 ……すぅ~っ、と妻子は退散していくのであった。

 ぬぅ。

戦前の日本の話をすると

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 戦前の日本の話をちょっと同情的にすると、

「それは国民がそのように洗脳されていたのだ!」

「ろくな情報を与えられず、無理やり信じ込まされていたのだ!」

「国民がだまされていた!」

……と、まるで激昂して、ムキになって反駁する人が多い。

 ですが、ですがですよ。

 じゃあ聞きますが、今の皆さんは、誰にも洗脳されていないと言えますか?

 無理やり何かを信じ込まされていないのでしょうか。

 今のあなたは誰にもだまされていないのでしょうか。

 リッチで立派でネットに接続されたカッコイイ情報サイバー超絶スバラシイインターネットマスコミ朝日新聞ハイテクテレビ受像機システムパソコンタブレットから延々と流し込まれる映像と画像と音と文字列で解ったような気になるんじゃなくって、そうじゃなくって、自分のみすぼらしい脳味噌と、悲しくなるような寒々とした情報から、魂で感じ取るようにした方がいいのではなかろうか。

屈託の心情を文字列化

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 はあ、永遠も半ばを過ぎて、どころじゃない。お先真っ暗、ならまだいい。真っ暗になるべき「先」ってものが存在してねぇんだもんな、俺。

 「永遠(とわ)も半ばを過ぎて」というのは、自分で考えた文句ではない。他人の表現を借りたのだ。これは小説の題名だ。

 若いときは自分の目の前に横たわる、80年もの年月にウンザリしていた。「また日本人の平均寿命が延びた」などとテレビや新聞で言われるたびに、もう、辟易とした。80年もこんなことが続くのか、はやく終わってくれ、と思った。とっとと用事を済ませて、全部終わらせてゆっくり休みたい、と思っていたのである。

 ならばとっとと死ねばいいようなものだが、それは嫌なのである。自嘲気味に我と我が身を愛するが所以(ゆえん)だろうか。

 「キミたちにはまだまだ、将来・未来がある」と、大人や先輩に言われるたびに、「だから、その『将来や未来』にウンザリしてるんですよ」と内心は思った。80年だって!?冗談じゃない、それは「永久」とほとんど同じ言葉だ!

 アレを終わらせればコレ、コレを終わらせればまたアレ。アイツを打ち負かせば更に強いコッチの敵、課長になれば部長に負け、部長になれば社長に負け、社長になれば会長に負け、会長になればゴミ政治家に負け…。永遠に何者かに膝を屈し続ける永遠の80年。一本立ちの人になったって無駄で、例えば個人で商売をすればそりゃあ一国一城の(あるじ)と呼ばれもしようが、その主は客に負けるのだ。

 80年が大げさなら、定年までのほぼ40年だって、「40年だと!?やってられるか!!」と思ったものだ。

 だが、俺も50歳目前に差し掛かり、その永久も、半ばをとうに過ぎた。永久に過半があるなぞとは思ってもみなかった。給料を貰うようになって今34年目、早期定年の職場だから、あと数年で定年を迎える。定年まで数えれば全部で39年、もういくらも残っていない。

晴れてるけど雨だれ

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 ツイッターのタイムラインで前から知っている方が「晴れてるけど『雨だれ』弾こう」と書いておられた。テレビでマジョルカ島が取り上げられているのを見たからだそうである。

 そのツイートを見て、私も雨だれ弾こう、などと思うのであった。

 中間部のとこで雷みたいにクレッシェーーンド!してバリバリ音を出す。出口のところで泣くみたいな音に変える。

NHK見れないテレビ

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 前にもどこかに書いたことがあることだが……。

 私はテレビや新聞が嫌いだが、なにもかも全部嫌いと言うわけではなく、面白そうなものはたまには見る。NHKの放送そのものも嫌いでなく、気に入ったドラマやドキュメンタリーなどは見るし、紅白歌合戦も見る。したがって、法律の定めるところに従い、NHKの受信料は全額をきちんきちんと支払っている。もったいない、カネが惜しい、などとは思わないようにしている。

 だがしかし、この受信料の支払いがどうしてもイヤだという人も多い。また、私と違って、NHKはつまらないからまったく見ない、と言う人もかなりいると思う。

 見ない放送の料金を払わされるのは、まことに気の毒である。こういう、自分とは違う価値観を理解するよう、私も日々つとめている。世の中にはいろいろな考え方があるのである。

 そこで、アイデアであるが、電機メーカー各社は、会社の責任でもって、「NHKを受信することが絶対に不可能であることが保証されたテレビ」を製造してはどうか。そして、これを「NHK受信不可能保証書」をつけて売るのだ。

 NHKに金を払うのがどうしてもいやだという方はこのテレビを購入すればよい。NHKの集金人が来たら、この保証書と自宅のテレビを示し、「私の家ではNHKは映りません」と、堂々と言えばよろしい。

 電機メーカーのほうでは、こういうものを製造するとやや企業の評判にも影響するであろうから、そのぶん、まあ、10%くらい高値で売ってもよいのではないか。放送受信料を払わなくて済むことを思うと、ユーザーのほうも十分収支が合うだろう。

 ムダ金払ってでもNHKが見たいという私のような皆さんと違う変人は、あえて少し安い「NHKも映るテレビ」を買えばよろしい。だって、NHK見てるんだもの。俺は見たもの使ったもの、食ったもののカネは払うよ、ちゃんと。

やられたらやりかえすのはバカか覚悟か

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 テレビドラマにかぶれて「10倍返し」だなんだと言っていた人たちが同じ口で「テロへの報復は憎しみの連鎖をよぶだけだからやめるべき」なんて言っているのを、人間ってものはいろいろ揺れるもんだなと感じながら傍観している。

 ただ、成算のない仕返しは単なるうっぷん晴らしにすら届かず、返り討ちになるだけだ、ということは言えると思う。それはドラマの中の銀行員の「10倍返し」だって同じことだ。

 仕返ししても負けるから、さしあたりガマンしておこう、というのは大人の選択ではある。子供の頃、ひねこびた性格だった私は、よくそういう選択をした。

 子供だって、負けないためには覚悟をする。仕返しの連鎖の終局に勝ち残るには、相手を刺し殺して少年鑑別所に入る、という覚悟が要り、それには家族や兄弟を路頭に放り出しても頓着しない覚悟が要る。私の父は刑務所の職員であったから、家から縄付きを出せば退職するならわしも昔はあったのである。

 人に手を出す奴というのは、そういうコッチの事情を見越した卑怯なところがあるものだった。一方の、「終わりには結局負けてしまう、つまり相手を殺すことはできず、散々損をして負けることになるから、それだったらとりあえず早いうちに負けとこ」という、そういう選択をする私のような子供は、誠にかわいげがなく、老成している。

 子供の争いと国家間の戦争や紛争では訳が違うが、覚悟のあるなしという点では似たところはある。その意味では日本は老成している。

 逆に、相手を屈服させるためならどんな犯罪人にでもなる、そういう中学生のような覚悟をしている国の代表格はアメリカだろう。やっこさんたちの核兵器や化学兵器、生物兵器の保有量、9.11で殺されたアメリカ人の人数と、その報復でアメリカ人が殺した中東の人々の人数を調べれば、「はて、イラクの大量破壊兵器の保有を責め立てたのは、どこの誰だったかしら」と、常人なら頭が混乱するはずだ。非人道の極北へまっしぐら、彼らが信奉するキリスト教の教義にすら背いてでもそうする、無辜の市民の10万人や20万人、核兵器で焼き殺してでも屈服させる、そのためなら人類の文明なんか破却してもかまわん、こっちの勝手を押し通すためならどんな汚名をこうむろうと無視する、そういう覚悟だろう。いや、逆に何も考えていない単なるバカ、とするともっと簡単ではあるが……。

 強いバカ国の国民というのは、なんと能天気なことだろう、という写真がある。何年か前の写真だが、一方で戦争しながら、国民はこういう暮らしだ。

  •  http://blog.livedoor.jp/zzcj/archives/51809534.html
  •  地方のスーパーに買い物に来ている人々を撮影したものだそうだが、とても一方の手で人殺し、報復戦争をしている人々とは思えない。

     ともあれ、冷厳・冷徹な合理主義でものを決めつつ、かつ、好みや気分にも忠実、というバランスがうらやましく妬ましい。

     個人もそうありたいものだが、やっぱり、私などはリアリズムに欠ける。きっと、多くの日本人も、冷厳なリアリズムは苦手なのではないだろうか。

     災害時の医療現場でトリアージにあって残念ながら死んだ人の家族が裁判を起こして医療関係者を訴える、そういう情が日本人である。玉砕して無線機なんかないアッツ島に、打つ意味のない鎮魂の無線電信をそれでも打つ、そういう悲しい、非合理の選択をしてしまうウェットな愛、やっぱりそれが日本人である。

     日本人はマキャベリばりのリアリズムなんて嫌いなのだろう。アメリカ人のバカ写真を見ては、関連も根拠もなくそう思う。