「眼をそらす」考

投稿日:

 かなり前のことだが、新聞でこんな話を読んだことがある。

 ある工学者が、ロボット研究の一環としてちょっとした玩具を作った。縦横に走り回るタイヤがついた一種のロボットで、十数個ほどが組になっている。ランダムに走り回るのだが、ロボットの前方にはCDSセルなどに類する受光素子が、後方にはLEDの発光器がついている。これをバラバラに走り回らせて放っておくと、他の個体の後ろにあるLEDを感知して追従し、次第次第に列をなし、しまいには十数個が自然に一列になってぐるぐる走り回る、というおもちゃである。

 どの個体も、機械的に同じように作られている。したがって、どう走らせようと列をなす順番はランダムになるはずである。ところが、なぜか、どうしても先頭になりやすい個体があり、何度も試して統計をとると、統計上無視すべからざる有意な傾きで、先頭になりやすいもの、2番目になりやすいもの、ビリになりやすいもの、と、電子的な機械なのに、癖が出てくるものなのだそうな。

 工学者はそのことがどうにも不可解なのでよく調べてみたという。

 原因は意外なところにあった。

 このロボットは、正面から向き合ったときに衝突するのを防ぐため、正面にも発光器をつけてあり、別の個体が正面から向かってくるのを衝突回避用の受光器が感知すると、必ず右に向きをそらせて走行するようになっていた。いわば「眼をそらす」ようにして、衝突を避けるしくみなのである。この「眼をそらす」動作に、ほんのごくわずかな工作加工上の差があり、個体によって回避動作がゼロコンマ何秒かづつ違うことがわかったという。このやや回避動作の遅いものは、自然直進しがちとなり、どうしても他の個体はこれに追従するようになる、その回避速度の差が、個体ごとに順序の癖となって現れていることがわかった、というのだ。

 この、かなり前に聞いた単純なおもちゃの話が、私にはどうも、我々人間様も、例えば 餓鬼大将の決まり方などに、似たような理由が作用しているように思えてならなかった。というのも、子供の頃の「先頭の奴」は、かならずしも優秀とか能力が高いとか言うわけではなく、また親切でもなく優しくもなかったように思うからだ。

 どちらかというと、「適度に鈍い奴」が先頭になっていた気がする。

 中学生くらいになって、ヤンキーの怖い奴の眼を見ると、

「『めんち』を切った」

…なぞと言って因縁を吹っ掛けられるので、触らぬ神にたたりなしと、私など弱小のその他大勢は、まともにヤンキーの眼など見なかったものである。ちなみに、この「めんち」というのは、関西弁の言い方だ。私は大阪出身なので、この言い方のオイシさにゾクゾクきてしまうが、関東の人などは「ガンをつける・飛ばす」などと言うのが普通だろう。

 さておき、それよりもう少し成長して、武道を学んだり、社会に出たりなどすると、

「相手の眼をよく見ろ、眼をそらすな、相手の気持ちもこちらの気持ちも眼に現れるのだ」

…なぞと(しつ)けられるようになる。素直な若者であった私も、こうした上司や先輩の教えをよく聞いて、人の眼を見るようになったものだが、これがまた、落とし穴なのだ。

 だんだんと実際の生活を送るようになればわかることだが、いつでもどこでも誰の眼でも、じっと睨み付ければそれでいいというものではないのである。

 上司などは、目下の部下を叱責などしているときに、じっと眼なんぞ見られると「コイツ、ふてぶてしい奴だ」と不快を覚える場合もある。あるいは、これも場合によるが、女性などは男にじっと眼を見られると、恐怖を覚えたりする。これは、顔が笑っていればそれでいいというものでもなく、笑っていようが真剣な顔であろうが、眼を見られれば不快なときには不快なのである。

 ある「面接試験の受験心得」のようなものを読んだことがある。それには、

「基本的には面接員の顔、特に眼を見るべきではある。しかし、面接員の眼をあんまり激しい視線でじっと見つめすぎると、人によっては不快を覚えたり、生意気な受験者だとの印象を与えてしまう場合もある。そこで、面接員の眼がみづらいな、と感じたら、自然に胸の辺りを見れば、それほどとがった印象を与えずにすむ」

…などと書かれていて、これはだいぶ世間というものをわかった人が書いたのだな、と思ったことがある。ただ、それはかなり古いテキストで、女性の面接官や面接員があまりいなかった時代だ。今だと、女性の胸などじろじろと見ていたら、それはそれで多少問題があり、どこを見たものか、なかなか難しい。

 なにしろ、「人の眼を見ろ!」なんてことを厳しく躾けるオッサンに限って、自分の眼を見つめられると怒り出す、なんていう笑えない一幕も世の中にはよくあるのであるから、生活と言うのはこれでなかなかどうして、微妙なものである。

 人と向き合うときに眼を見ることには、このように少しばかり気遣いが必要だが、街の雑踏などを歩いていて、向かってくる相手を見る、見ないということに、いろんな類型を見いだして興味深く思うことがある。

 例えば、「あ、このまま直進すると、向こうから来るあの人とぶつかるな」と気づいた際の行動だ。こうしたとき、

● 相手をよく見て、その出方で、こちらも避ける方向を決める。

という、ノーマルな行動をとる人がほとんどだと思う。だが、ありがちなことだがこの方法は、お互いに同じ方向に避けあって、2、3度タタラを踏んでしまう、という滑稽なシーンを現出させる。

 時々見かける、決して少なくはない類型に、

● ぶつかりそうだな、と思ったとたん、「えーっと」と、横や後ろに眼をそらしてしまい、そのまま直進する。

…という人がある。意外とこういう人は多い。こうなると、相手の方が「あ、あいつ、こっちを見てないな、しょうがない、俺が避けよう、やれやれ」と瞬時の判断で自然に避けるわけである。

 これはうまいやりかたのようでいて、どうも、快くはないやりかたである。時々、双方ともそういう行動をとって、ついにぶつかってしまい、双方がすんませんすんません、と謝りあっている光景などを駅で見かける。

 実はこの私も、一時期そんな癖がついてしまったことがある。ところが、あることがあってやめた。

 大人になってからなのだが、向こうから来た人にぶつかりそうになり、その頃のなんとはない癖で、ひょいと眼をそらして直進した。ところが、向こうから来た、金髪入れ墨のヤンキー兄ちゃんは、どうもじっと私を注視しながら直進を敢行したとおぼしく、どんとぶつかって、低い声で「コラ」と言ったものだ。

 その時には、あ、ごめんなさいで済んでしまい、特段トラブルにもならなかったのだが、自分の行動様式を見直した私は、この「眼そらし直進」をやめ、向こうの眼などを見て通行するようになった。そうすると、こちらが避けるにせよ、相手が避けるにせよ、意外に通行しやすいことがわかったのである。

 困るのは、この「眼そらし直進」を、自動車を運転中に、歩行者に対して実行する人物がいることだ。これはもう、ぶつかって「すんませんすんません」ではすまない危険極まるやりかたであるから、やめるべきである。自動車を運転しているときに「『めんち』を切った」なぞと中学生のような因縁をつける者などいないのであるから、どうか周囲の車や横断歩行者の動向をもれなく注視してもらいたいものである。

 私などには、実は別の悩みもある。どうも、私は裸眼のせいもあってか、「どこを見ているかわかりやすい」らしい。自分ではわからないのだが、つまり、視線に遠慮がないようなのである。

 雑踏などで向こうから来た若い女性が、私と眼が合うや、急に胸元をかきあわせたり、そわそわと自分の服装をチェックしたりすることが多く、なんでだろう、と思っていたのだが、どうも、私がじろじろ見るのがいけないらしい。そのため、昼間はおろか、真夜中にすら視線隠しのサングラスをかけるようになってしまった。私も見ず知らずの人に視姦魔扱いされて嫌われたいわけではないからである。

 とまれ、眼を見てみたり今度は逆にそらしてみたり、なかなか視線の置き所がないものだ。若い女が極端に短いデニムのパンツなどを穿いて白い脚をむき出しに組んでいたりするのを見ると「眼のやり場に困る」という慣用句を使いたくなるが、別段裸体の女性がいるわけでもないのに眼のやり場に困っている私は、まったく因果なことを気にしているな、とも思うのであった。

改革病

投稿日:

 「土光臨調」「三公社五現業」という言葉は、私などが小学生の頃に新聞やテレビでしょっちゅう流れていた言葉である。社会科の教科書にも出ていたかもしれない。

 私と同じ歳で、──私は昭和41年生まれだ──リアルな耳への実感でこれらの言葉を覚えている人は、多くはないと思う。新聞を読んだりニュースを見たりする子は、同級生にはまれだったものだ。しかし、私は小学校低学年から新聞を読んだりニュースを見たりする変な子供だったので、これらの言葉を実感で覚えている。土光臨調の時には私は中学生だったが、周囲の者は多分高校の受験勉強に忙しかったから、リアルタイムではこの言葉は知らないと思う。知っていたとしても、リアルタイムではなく、後から知ったことだろう。

 臨調、などの言葉は、そのまま「行政改革」につながっていく。改革という文字が新聞に載らない日とてはなく、文盲率の低い文明国の悲しさ、知能の高い人であればあるほど、新聞から脳に、毎日「改革」と言う言葉が注入され続けた。それが、昭和55~57年頃(1981年頃)のことだ。

 土光臨調や行政改革の是非については、私にはよくわからない。だが、その意義や目的を理解することなく、とにかく改革、という人々が増殖したことは確かだ。

 それは、いけないことだったと思う。この時代に成長した人たちは、なんでもいいから引っこ抜き、踏み荒らし、変更し、他人に意思を強要しさえすれば「偉いねえ、頑張ったねえ、すごいねえ」と、親にも先生にも上司にも褒められて育つことになったからだ。

 その人たちが悪いのではない。そのように誰かに吹き込まれて育ったのだから、それを遵奉しようとするのは当然のことだ。そしてまた、時代が悪いわけでも、社会が悪いわけでもない。すべて正しかったのだ。だが、正しいものがすべていいことかというと、それは違う。かつて戦争は正義の眷属(けんぞく)であった、と言えばわかりやすい。

 改革が正義であるから、変えるべきものがなくなってくると、この人たちは言い知れない不安に襲われる。正義が否定されるのだ。人間は正しくなければならない。ただしくあるためには、変更だ、差し替えだ!!優れた人であればあるほど、正義のために自らも変わろうと努力し続ける。いいかげんなことは許さん!!…かくて、目的も理念も忘れた、正義の「ためにする」改革が繰り返され続けていく。

 これがまた、「改め」かつ「あらたなものを露出させる(=「革」という字は、古いカワをはがしてあたらしい中身が出てくるという意味がある)」ことになっていればいいのだが、凡人にはどうしても、「なにかよい手本をよそから持ってきて、差し替える」くらいのことしかできない。カワをはがす(革)ではなく、ペンキでゴテゴテと上っ面の色を小汚く塗り重ねるだけだ。つまり、ただの「変更」だ。そして、たいていの優れた人は、凡人だ。

 そう、「変更」が正義だ、というところが、困ったことなのだ。「生む・産む」ことではない。「あらためる」ことでもない。オリジナルを産むのではなく、アメリカ風なものに「差し替え」だ。凡人にできる改革など、そんなものだ。

 昭和後半に否定され続けたものは、実は「生まれたもの」でもある。声高にヤレ改革だ革命だと叫ばなくったって、明治維新以来、日本はレボリューションやらイノベーションやら、嵐のような改革と激動に揉まれ続けていた。新幹線が敗戦の痛手から立ち直ってゼロから新しく作られた、などと思い込んでいる向きも多いが、じつは新幹線は昭和の初期から開発が引き続き行われていたことは、満州鉄道史などを少し調べればすぐにわかる。戦時中の航空機開発史などを見ると、信じられないほどの水準と速度でものを生み続けていたこともよくわかる。

 不易流行、という言葉がある。古色蒼然として、カビか苔でも生えていそうな言葉だ。だが、この言葉が好きだ。変わってはならないオリジンの上に、しっかりと変容を受け止めていく。個人においても、組織においても、ゆらぎのない個の確立の上に、変容は迎え入れられる。

 改革だ改革だ、と、憑かれたように言い続ける必要は、ない。明治維新以来の私たちの、もともとのベースに、それは組み込まれている。

畏しや天皇陛下のお言葉

投稿日:

 本日は天皇誕生日である。

 無論、我が家の軒先には日章旗が翩翻(へんぽん)と掲げられている。

 本日にあたって、天皇陛下におかせられては、次のようなお言葉があったと漏れ伝え聞く。

 実にお心知見、幅広く内外に及び、仁慈あまねしとはこのことであろう。

 新聞記者どもの無礼な内容の質問には、実に慎重なお言葉を選ばれ、畏れ多いことである。

 軽挙な言動で内外に厄介ごとばかり惹き起こしている阿呆な政治家連中に、万分の一でも見習わせたいものだ。

「武器輸出三原則」と「武器輸出三原則等」

投稿日:
防衛破綻―「ガラパゴス化」する自衛隊装備 (中公新書ラクレ) 防衛破綻―「ガラパゴス化」する自衛隊装備 (中公新書ラクレ)
価格:¥ 798(税込)
発売日:2010-01-10

 以下、上記書籍198ページ~200ページまでを引用


「武器輸出三原則」と「武器輸出三原則等」

 一方で兵器の輸出にはメリットがあることも事実である。

 輸出によって市場経済にさらされれば、製品の質は向上する。特に実戦で兵器が使用されればフィードバックがあるので、技術面の向上には大変有用だ。これは否定できない事実である。

 わが国では新聞やテレビなどのマスメディア、政治家でも誤解していることが多いが、「武器輸出三原則」は、武器、即ち兵器の輸出を禁じてはいない。「武器輸出三原則」とは、次の三つの場合には武器輸出を認めないという政策をいう。

(1) 共産圏諸国向けの場合

(2) 国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向けの場合

(3) 国際紛争の当事国またはそのおそれのある国向けの場合

 これは佐藤栄作総理大臣(当時)が一九六七年四月二十一日の衆議院決算委員会で答弁したものである。これに該当しない国々には原則輸出が可能なのである。

 一九七六年二月二十七日、三木武夫総理大臣(当時)が衆議院予算委員会における答弁で、「武器輸出に関する政府統一見解」を表明した。これは、「『武器』の輸出については、平和国家としての我が国の立場からそれによって国際紛争等を助長することを回避するため、政府としては、従来から慎重に対処しており、今後とも、次の方針により処理するものとし、その輸出を促進することはしない」というものだ。そして、

(1) 三原則対象地域については「武器」の輸出を認めない。

(2) 三原則対象地域以外の地域については、憲法および外国為替および外国貿易管理法の精神にのっとり、「武器」輸出を慎むものとする。

(3) 武器製造関連設備の輸出については、「武器」に準じて取り扱うものとする。

 としている。わが国の武器輸出政策として引用する場合、通常、「武器輸出三原則」(佐藤首相の答弁)と「武器輸出に関する政府統一見解」(三木首相の答弁)を総称して「武器輸出三原則等」と呼ばれる。

 つまり武器の禁輸は「武器輸出三原則」ではなく、「武器輸出三原則等」によって規定されているのである。「等」がつくかつかないかで、大きな違いがある。ただ、これも「三原則対象地域以外の地域について『武器』の輸出を慎むものとする」としているので、まったく禁止しているわけではないとの解釈もできる。

なんだッ、こんな野郎!!

投稿日:

 不敬だ!謝れッ!!。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091023-00000607-san-pol

天皇陛下のお言葉に岡田外相が意見
産経新聞
2009/10/23 12:41更新

 岡田克也外相は23日午前の閣議後の閣僚懇談会で、国会開会式での天皇陛下のお言葉について「陛下の思いが少しは入った言葉がいただけるような工夫を考えてほしい」と述べ、宮内庁にお言葉の見直しの検討を求めた。首相官邸で記者団に明らかにした。

 岡田氏は「大きな災害があった直後を除き、同じあいさつをいただいている。国会に来ていただいているのだから、よく考えてもらいたい」と語った。天皇陛下のお言葉をめぐり閣僚が意見をするのは異例。

 平野博文官房長官は同日午前の記者会見で、岡田氏の発言について「(内容について)具体的な説明を避けるが、ご意見は承りました」と述べた。

岡田外相が「お言葉」発言で反論「こう言うべきと言ったわけでは」
10月23日19時44分配信 産経新聞

 国会開会式での天皇陛下のお言葉について「陛下の思いが少しは入った言葉に」と述べたことについて、岡田克也外相は23日夕の記者会見でも「内閣の助言と承認のもとで本来工夫されるべきではないか。ある意味で官僚的対応になってしまっている。もう少し自由度があっていい」と強調した。

 発言について、民主党の西岡武夫参院議院運営委員長は同日、「天皇陛下の政治的中立を考えれば、お言葉のスタイルについて軽々に言うべきではない。極めて不適切だ」と批判したが、これに対しても岡田氏は記者会見で「天皇陛下の国会開会式にあたってのごあいさつというのは、国事行為ではないが、それに準ずる行為。一定の制約があるのは事実だが、制約があるということと、同じ言葉を繰り返すことは違う」と反論。その上で「具体的にこういうことを言うべきだと言ったわけではない。陛下のご意思として従来と同じように続けるというのなら、それは陛下の判断だ」と説明した。

 なんでこんな連中が政治なんてやってるんだ。選んだ連中はバカだ。

まったくだ!!

投稿日:

 まったくだ!!私が言いたいのも、まさにこれだ!!よくぞ言ってくれた。

「子ども」「障がい者」 漢字が悪いわけじゃない
http://dailynews.yahoo.co.jp/photograph/pickup/?1255339529

10月12日11時5分配信 産経新聞

 政権交代して、新聞にやたら「子ども」の表記が目立つようになった。民主党が掲げる「子ども手当」による。筆者に言わせれば「子供」と「子ども」とは別の概念だ。小児または小児らを指すのが「子供」で、「子ども」は「子+複数を表す接尾語ども」を表す書き方だ。

 なるほど「子ども」と書いても、この「ども」に複数を表すという意識はもうほとんど薄れている。だからといって、この接尾語「ども」が完全に滅んだかといえばそうではない。野郎ども、アホども、子供どもといえば複数概念がちゃんと生きていることが分かろう。この「ども」には、相手を見下すニュアンスがある。だから、「子供」よりもよほど子供を侮った書き方なのである。

 「子ども」表記にこだわる人に、「供」はお供の供で、子供を供え物のように扱う人権無視の書き方だという人がいるが、事実は右のように「子ども」の方がよほど子供の人権をないがしろにした書き方なのだ。

 子供の「供」は当て字だから「子ども」と書くのだという人には、こう言おう。「あなたは仕事を『し事』、乙女を『おと女』と書きますか」と。

 国語表記の基本は漢字仮名交じりだ。青空、恋人、場合、芝生のような純粋和語をもあたかも漢語のように漢字2字で表す工夫をしたのは、それが最も読みやすく理解しやすいからだ。それは長い時間をかけて出来上がった先人の知恵の集積であって、おかげで現代人はその恩恵に浴しているのである。妙な理屈をこねて、国語表記を毀損(きそん)する交ぜ書きを広めることに強烈な異議を申し立てたい。

 同じような理屈で、民主党の障害者の書き方は「障がい者」である。「障害者」ではまるで“人に害を与える人”みたいではないかと、これも多分“人権派”の、ある人が思いついたものであろう。それを自治体の幾つかが使用しだし、それが徐々に広がりつつある。

 「障害」は昭和31年の国語審議会報告「同音の漢字による書きかえ」に例示された「障碍(しょうがい)」の書き換えで、その後急速に広まった表記だ。だから、筆者はこれを「障碍者」に戻すことに異議は差し挟まない。しかし、「障がい者」と交ぜ書きにすることには反対である。

 なぜなら「がい」は音声を表すだけで意味を持たない書き方だからだ。「障害者」の「害」は“そこなう”という意味を持つ。「障碍者」の「碍」は“さまたげる”という意味を持つ。漢字ならそれがありありと見える。そういう人は心身が正常に機能するのにさわりや、そこない、さまたげを持つ人と理解するのが常識というものだ。“人に害を与える人”などというのは為(ため)にする議論である。

 「障がい者」は、障害者のハンディに目隠しをする書き方であり、非障害者が障害者を見て見ぬふりをするのに都合のいい書き方とさえいえる。

 文字はもとより、人の世を映して、それを表す手立てにすぎない。人の世には善があれば悪もある。美があれば醜もある。光があれば闇もある。「供」であれ「害」であれ、決して漢字が悪いわけでない。「子ども」「障がい者」と漢字隠しをしても、問題は一つも解決しない。けしからんのは漢字ではなく人間の方なのだから。新政権はそこをよくよく考え、国語表記の襟を正すべきだ。(塩原経央)

「ロング・グッドバイ」、ところで

投稿日:

 昨日の帰りの電車の中で読了した「ロング・グッドバイ」、村上春樹訳の「長いお別れ」だ。

ロング・グッドバイ ロング・グッドバイ
価格:¥ 2,000(税込)
発売日:2007-03-08

 19歳か20歳代ぐらいにかけて、ハヤカワミステリの清水俊二訳でこの本を読んだものだ。当時は当時で夢中になったものだが、今の私は43歳。改めて読むと、また違う印象だ。

 ところで、20年以上前に読んだ頃は気にならなかったのだろうか、覚えていなかったのだが、今回村上春樹訳を読んで改めて印象に残ったことがある。この本を書いた頃、筆が闊達であったらしいチャンドラーは、筆に勢いでもあって滑るのか、登場人物にしょっちゅうこんなことを言わせるのだ。

「我々はデモクラシーと呼ばれる政体の中に生きている。国民の多数意見によって社会は運営されている。そのとおりに動けば理想的なシステムだ。ただし投票をするのは国民だが、候補者を選ぶのは政党組織であり、政党組織が力を発揮するためには、多額の金を使わなくてはならない。誰かが彼らに軍資金を与える必要がある。そしてその誰かは――個人かもしれないし、金融グループかもしれないし、労働組合かもしれないし、なんだっていいのだが――見返りに気遣いを求める。私のような人間が求めるのは、プライバシーだ。人に邪魔されずに静謐のうちに暮らすことだ。私は新聞社をいくつか持っているが、個人的には新聞など好きではない。新聞がやっているのは、人がやっとこ手にしているプライバシーに絶え間なく脅威を与えることだ。連中は何かといえば報道の自由を標傍するが、その自由とはごく少数の高尚な例外をべつにすれば、醜聞や犯罪やセックスや、薄っぺらな扇情記事や憎悪やあてこすりや、あるいは政治や経済がらみのプロパガンダを世間にばらまくための自由に過ぎない。新聞というのは、広告収入を得るためのただの入れ物商売なのだ。広告収入は部数によって決定されるし、部数が何によって決まるかは知っての通りだ。」

大金持ちの有力者、ハーラン・ポッター

「まとまった額になると、金は一人歩きを始める。自らの良心さえ持つようになる。金の力を制御するのは大変にむずかしくなる。人は昔からいつも金で動かされる動物だった。人口の増加や、巨額の戦費や、日増しに重く厳しくなっていく徴税――そういうもののおかげで人はますます金で左右されるようになっていった。世間の平均的な人間は疲弊し、怯えている。そして疲弊し怯えた人間には、理想を抱く余裕などない。家族のために食糧を手に入れることで手一杯だ。この時代になって、社会のモラルも個人のモラルも恐ろしいばかりに地に落ちてしまった。内容のない生活を送る人間たちに、内容を求めるのは無理な相談だ。大衆向けに生産されるものには高い品質など見あたらない。誰が長持ちするものを欲しがるだろう?人はただスタイルを交換していくだけだ。ものはどんどん流行遅れになっていくと人為的に思いこませ、新しい製品を買わせるインチキ商売が横行している。大量生産の製品についていえば、今年買ったものが古くさく感じられなかったら、来年には商品がさっばり売れなくなってしまうのだ。我々は世界中でもっとも美しいキッチンを手にしているし、もっとも輝かしいバスルームを手にしている。しかしそのような見事に光り輝くキッチンで、平均的なアメリカの主婦は、まともな料理ひとつ作れやせんのだ。見事に光り輝くバスルームは腋臭止めや、下剤や、睡眠薬や、詐欺師まがいの連中が作り出す化粧品という名のまがいものの置き場に成り果てている。我々は最高級の容器を作り上げたんだよ、ミスタ・マーロウ。しかしその中身はほとんどががらくただ」

同じく、ハーラン・ポッター

「きれい事だけで一億ドルが作れるもんか」とオールズは言った。「一番てっぺんにいる人間は、自分の手は汚れてないと思っているかもしれん。しかし途中のどこかでいろんな人間が踏みつけにされてきたんだ。小さな商売をしている連中は足下の梯子をはずされて、二束三文で店を手放さなくちゃならない。真面目に働いている人々が職を奪われる。株価は操作され、代理委任状が宝玉品みたいに金でやりとりされる。多くの人々にとって必要だが、金持ちにとっては都合の悪い法律の成立を妨げるために利権屋や弁護士が雇われ、十万ドルの報酬を受け取る。そんな法案が通ったら金持ちの取り分が減っちまうからさ。でかい金はすなわちでかい権力であり、でかい権力は必ず濫用される。それがシステムというものだ。そのシステムは今ある選択肢の中では、いちばんましなものなのかもしれない。しかしそれでも石鹸の広告のようにしみひとつないとはいかない」
「アカみたいな話し方をするじゃないか」と私は言った。ただからかっただけだ。
「言ってろよ」と彼は鼻で笑った。「今のところまだ思想調査にかけられちゃいないぜ。」

老練な正義漢の刑事、バーニー・オールズ

「おれは博突打ちが嫌いだ」と彼は荒っぼい声で言った。「麻薬の密売人に負けず劣らず、あいつらのことが嫌いだ。あいつらは麻薬と同じで、人間の病癖につけこんで商売をしているんだ。リノやヴェガスにあるカジノが罪のないお遊びのために作られていると思うか?冗談じゃない。そういう場所は小口の金を使う庶民を食い物にしているんだ。濡れ手に粟を夢見るカモ、給料袋をポケットに入れてやってきて、一週間ぶんの生活費をすってしまう若者。そんな連中をな。金持ちの賭博客は四万ドルをすってもへらへら笑っていられるし、もっと金をつかいに戻ってくる。しかし金持ちの賭博客だけで商売が成り立っているわけじゃないんだ。やくざの稼ぎの大半は十セント硬貨や、二十五セント硬貨や、五十セント硬貨で成り立っている。一ドル札や、ときには5ドル札がたまに混じるかもしれんがな。あいつらの稼ぎは、まるで洗面所の蛇口から水が出てくるみたいに、休むことなく流れ込み、いつまでも止まることはないんだ。博突を商売にしている連中を、誰かが叩きのめそうとしているとき、おれはいつだってそっちの味方につくね。喜んで。そして州政府が博突打ちからあがりの一部を取って、それを税金と称するとき、連中は結局のところやくざたちが商売を続ける手助けをしているんだよ。床屋や美容院の女の子たちが二ドルをふんだくられる。その金がシンジケートに流れる。そいつがやつらの実質的な儲けになるんだ。人々は正直な警察を求めている。そうだろう? しかし何のために? 特権階級のお偉いさんを保護するためにか? この州には認可を受けた競馬場があって、年中競馬が開催されている。それは公正に運営されていて、州はそのあがりをとっている。しかし競馬場で動く金の五十倍の金が、もぐりの馬券屋を通して動いているんだ。 一日に八つか九つのレースがあるが、その半分くらいは誰も目にとめないような小さなレースで、誰かがひとこと声をかければ簡単に八百長が組める。騎手がレースに勝とうとすれば方法はたったひとつしかないが、勝つまいと思えば方法は二十くらいある。レース・トラックでは八本めのポールごとに監視員が立って目をこらしている。しかし心得のある騎手にかかったら、監視員なんて手も足も出ないさ。なんのことはない、そういうのが公認ギャンブルなんだよ。公明正大に運営されて州の承認を受けている。名目的には文句のつけようがない。しかしおれには納得しかねるね。どこが公明正大だ? どんなに体裁を繕ったって所詮は賭博だし、賭博はやくざを肥え太らせるんだ。害毒を流さない博突なんぞどこの世界にもない」
「気持ちはおさまったか?」と私は傷口にヨードチンキを塗りながら尋ねた。
「おれは年をくってくたびれた、ぼんこつの警官なんだ。気持ちなんておさまるもんか」

同じく、バーニー・オールズ

 チャンドラーは小説の中に突然こんな不満と言うか、愚痴みたいなことをもぐりこませて、いったい何に怒っていたんだろう。言うまでもなく「ロング・グッドバイ」はハードボイルド小説だから、社会への批判やメッセージなどとは無縁のものだ。だが、チャンドラーはこういった文章を挟み込まずにはいられなかったのだろう。

 この本は1953年というから、日本で言えば昭和28年、戦後間もない頃の小説だ。今の日本の社会への批判としてそのまま読んでもおかしくないくらいで、さすが先進国アメリカだな、と思うと同時に、作家チャンドラーの鬱屈が登場人物を借りてほとばしり出ている感じで、なかなか読ませる。

 チナミに、この引用箇所は小説の筋書きにはほとんど何の関係もない。喋っている登場人物を主人公が憎めなく思っているという設定を際立たせる効果はある。

年号の表記がわかりにくい

投稿日:

 先ほどニュースを読んでいたら、
  ↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090929-00000080-mai-bus_all

 ・・・文脈中に

「HVを持たないマツダはガソリンエンジンの燃費性能を追求。「清」をベースにした小型車を10年代前半までに発売する方針だ。」

などと、平気で書いてある。どうも最近こういう記事が増えてきた。ナニがおかしいかって?「10年代」ですよ、10年代。約10年前の平成10年からの10年間のことかと思った。先だってなどは、別の何かの記事で「9年度」とあって、一瞬とまどった。

 もちろん、「ああ、『10年代』と言うのは、おそらく2010年代のことであろう。無論、『9年度』というのは2009年の年度であろう。」と想像はつく。この程度ならまあ、寛容しよう。だが、簡単に想像がつかない記事もたまにある。以前など、昭和30年代の話と、太平洋戦争前の世界恐慌の話がゴッチャ混ぜに書かれた新聞のコラムを読んで、反吐が出そうになった。西暦の30年代と昭和30年代が、なんの断りもなく記事中に混在するのである。

 日本は元号を用いる国だ。新聞やマスコミも、基本は元号で年号を記すべきだ。

 「2010年」に「西暦」を冠せよとまでは言わない。だが、2バイト文字で「10」なんて書くなら、「2010」だって嵩は同じはず。だいたい、4月始まりのいわゆる「会計年度」なるものは、元号を使用するべきではないか?

 結婚式を教会でやるなとか、そんな偏屈なことを言うのではない。西暦は宗教色が強いなどと言えば「そんなことを言うなら、元号だって国家神道の総本家、皇室・皇統がよりどころでしょ」と反駁されることもよくわかっている。いや、でも、キリスト教なんてものは侵略宗教なんですがね。おっと、脱線しちゃいかん。

 ややこしいでしょうと言いたいのだ。

 西暦で書きたいときは、よりわかりやすくするため、4桁で書くべきである。百歩譲って、和暦で書くときは必ず元号を接頭する、としてもよいが、もしそうするなら、西暦で書くときは必ず「西暦」と接頭しなければならない。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.47

投稿日:

 しばらくの間、夜勤をしたり帰ってきたり、と不規則な仕事が続いていたのだが、ようやくひと段落し、今日はその代休だった。

 子供が学校に行ってから家内と二人で出かけ、以前に一度行ったことのある、「くつろぎ茶房・時をとめて」という店で御飯を食べた。明後日は家内の誕生日だ。御飯のあと、家内が選ぶものを誕生日プレゼントに買ってやることにし、「越谷レイクタウン」へ行って一緒に選んだ。家内が選んだのは鞄だった。

 帰ってきて「エリーゼのために」を練習する。10回ばかりも弾いたがどうしてもミスタッチのない演奏ができない。

 「エリーゼのために」、通して弾けば3分もかからない。だが一体、ピアノ演奏に限らず、私は3分と言う短い時間、誤りなく何かをするということが、出来るのであろうか。

 改めて考えると、一日中、毎時毎分、間違ってばかりであるような気がしてきた。朝起きるなり身支度の順序を誤り、おはようの挨拶を間違え、屁なんかひってしまい、家を出れば近所の交差点の信号は無視して横断、雑踏で人に道をゆずらず、駅で他人にぶつかって詫びも言わず、電車で年寄りに席を譲らず、職場について挨拶を忘れ、姿勢悪く席に座り、服装が乱れ、決められただけのスピードで仕事を進捗させず、同僚上司に間違ったことを言ってしまい、手書きで何か文書を作れば、3文字目にはもう漢字を間違っている、お茶をこぼしコーヒーをこぼし、弁当を食べこぼし・・・。こうして普段の一日をたどっていくと、たった3分の間、間違いをせず生きているのなど寝ているときだけなのではないか、否、寝ているときですら姿勢が悪かったり何か間違った夢を見たり、誤っているのかもしれないなどと思える。

 もし今、手近の新聞か雑誌を手に取り、どこでもいいから3分間朗読せよと言われてそれをしたら、必ず1箇所以上はどこかで噛むかトチるかしてしまうだろう。

 たった3分の「エリーゼのために」の演奏を間違いなくすることが出来ない私だ。それは私の生き方に比例している。

 思えば誤りを漫然と許容して歩んできた人生であることだ。私が自分に甘いため、他人や身内にも私は甘い。だから、私にかかわる人々は、私を優しい男だと思っている。だが違う。私は単に甘いだけだ。

成人の日所感

投稿日:

 成人の日、祝日である。朝から我が家の玄関先には日章旗を掲げて祝意を表した。

 だが、本心を言えば、私はあまり喜ばしく思っていない。

 テレビや新聞は、どうせ今年も荒れる成人の日、などという面白くもないニュースで塗りつぶされているのだろう。見る気もしない。電気代や新聞代を自腹で払って不愉快な思いをする必要などない。

 20年以上前、自分の成人式の日、私は仕事をしていた。だから、いわゆる世間一般の人が言う「成人式」というものには出ていない。その日は朝からなぜか一日中忙しかった。職場の下の者に私と同い歳の者が何人かおり、午前中、時間になると彼らを成人式に送り出してやった。私は職場に残ってなんやかやと深夜までコマのように働いて、自分の成人式がどうとか言っている暇はなかった。深夜1時、職場のきしむベッドにもぐりこみながら「ああ、成人式だったな。日がまわっちゃった。俺、成人じゃないか、ハハ」と、ひとりごちたものだ。

 社会人として責任を果たした、自分なりの成人式だったと思う。いや、そのずっと前から、私は社会の一員としての責任を果たしていた。だから、既に成人だったのだと思う。何ぞ我を他人が祝うことやある、と言うぐらいの内心を私は抱いていたようにも思う。

 親の金で高校や大学を出てぬるく生きている者には、成人の日における私の行動など、知能の低い者が自業自得によって仕方なくとった愚かさの代償に見えることだろう。2ちゃんねる流の言い回しなら「ドキュソ」である。「そうなる前になんで勉強して大学出るなりしないわけ?バカじゃねぇの?」とでも言い捨てることだろう。

 自分のことや当時のことをわかってもらおうと他人に説明する気など私にはない。親兄弟、妻や子供にすらわかってもらおうと思わない。理解などできまい。こんな話をすれば、「大げさだ、ウソだ」と言う。言わば言え、なんとでも。哀れまれたいと思っているわけではさらにない。

 自分のことをどうこうではない。ただ私は、高等教育を受ける機会を与えられておきながら、モラトリアムだのニートだのフリーターだのと称して怠け、寧日をむさぼっているスネ齧りの馬鹿者たちを腹の底から軽蔑し抜いているだけだ。

 手放しで誉められ、甘やかされてきた若者たちは、祝福されるにふさわしい人間となれるよう、自分たちを責め抜き、鍛え上げ、懺悔しなければならない。そうしなければ、今日という日は永久に、誰からも本当の本心からは祝ってもらえない、ゴミか痰唾のような蔑まれるべき成人式のままである。