最近の練習要領

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 ピアノをたくさん弾ける日があれば、逃さず専ら練習に励む。そんな日の最近の練習要領は次の如くである。

 「エリーゼのために」 → 「半音階のポルカ」 → 「エリーゼのために」 → バイエル106番 → 「エリーゼのために」 → バイエル102番 → 「エリーゼのために」 → バイエル104番 → 「エリーゼのために」 → 「聖夜」 → バイエル88番 → 「エリーゼのために」 → バイエル100番 → バイエル80番 → 「エリーゼのために」 → バイエル103番(ハ長調) → バイエル103番(変イ長調) → 「エリーゼのために」 → 「ロマンス」 → バイエル82番 → 「エリーゼのために」 → 「春の予感」 → バイエル85番(変ホ長調) → バイエル92番 → 「エリーゼのために」 → バイエル81番 → 「エリーゼのために」 → バイエル79番 → バイエル99番 → 「エリーゼのために」 → バイエル75番 → バイエル98番 → バイエル89番 → 「エリーゼのために」 → バイエル90番 → バイエル67番 → バイエル78番 → 「エリーゼのために」 → バイエル95番 → バイエル76番 → バイエル97番 → 「エリーゼのために」 → バイエル96番 → 「エリーゼのために」 → バイエル74番 → 「エリーゼのために」 → バイエル93番 → バイエル91番 → 「エリーゼのために」 → バイエル83番 → 「エリーゼのために」 → バイエル65番 → バイエル73番 → バイエル77番 → 「エリーゼのために」 → バイエル66番 → 「エリーゼのために」 → バイエル59番 → 「エリーゼのために」 → バイエル55番 → 「エリーゼのために」 → バイエル37番 → 「エリーゼのために」 → バイエル16番 → 「エリーゼのために」 → ショパン・プレリュード Op.28-No.7

 都合、25回くらい「エリーゼのために」が弾けるコースである。

 だが、さすがに土日でないとこれはムリで、平日にやる場合は、朝5時25分から40分まで朝練習、仕事が終わって定時に帰って家に着くのが19時半、晩御飯までの15分間練習、晩御飯を食べ終わるのが20時すぎ、ものも言わずにピアノに向かい、21時から入浴、全部終わって汗が引くのが21時45分、それから22時半までただただひたすらピアノを弾く、そしてすぐに寝る。こうすれば、やっとこさ「平日エリーゼ25回コース」を消化できるのだが、恥ずかしながらそんなことを毎日やるのはさすがの私にもムリである。

 なので、平日はせいぜいがバイエル100番を弾くところまで、つまり「エリーゼ」を5回か6回弾くところまでで力尽きてしまう。

おさらい ショパン プレリュード Op.28-No.7

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 しょっちゅうおさらいをしているショパンのプレリュードだ。

 気分転換に録音してみた。短い曲なのに、なんでこんな難しく思うんだろう。

応援の一票代わりに貧者の一灯ならぬ一曲

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 先日来話題の世界的ピアニスト、辻井伸行氏演奏の曲をダウンロード販売で買った。ショパン作曲のポロネーズ第6番変イ長調オーパス53、通称「英雄ポロネーズ」である。

 かの辻井氏の演奏にして200円は安い買い物だ。辻井氏に一票代わりの一曲購入である。

 恥ずかしながら、ニュースになるまで辻井氏の名前も知らなかった私である。

 インターネット時代は便利なものだ。辻井氏の名前を知るや、レコードショップが開いていない時間でもすぐに購入して聞くことができる。私はUSENのダウンロードサイト「OnGen」を愛用しているが、クラシックの名演もけっこう揃っている。

 私のように正当なクラシックファンでない者は、どうしても知っている曲や有名な曲、通俗の曲を聴きたくなるものだ。反面、クラシックのCDは、クラシックにはままありがちなことだが、ショパンならショパン、ベートーベンならベートーベン、バッハならバッハ、全部が網羅されておって、粛然、襟を正して全曲に聴き入らざるを得ない。だがしかし、ある演奏家のある曲、たとえば今度のように、辻井伸行氏のショパンの英雄ポロネーズを聞きたい、という時に、辻井氏の全曲CDを買うのまではちょっとなあ・・・というような私のような不埒な輩には、クラシックの名曲でも一曲単位で買うことのできる、こうしたダウンロード販売はまことにありがたいものだ。

 私は携帯電話とブルートゥースレシーバーをヘッドホンステレオがわりにして毎日通勤しているが、そんなわけで、ショパンの英雄ポロネーズについてはアルゲリッチ、アシュケナージ、仲道郁代、それから今度買った辻井伸行氏のもの、あわせて4曲のデータを買って持っており、立て続けに聴いたりしている。どれもすばらしい演奏だ。

 辻井伸行氏の「英雄」は、かなり男前の英雄だ。古い例えだが、油の壷から抜け出してきた俳優のような印象だ。反面、たとえばアルゲリッチのは、「これが荒武者英雄ぢゃあああ!わかったかあ!!」みたいな勇ましい力強さがあふれんばかりである。

ショパン プレリュード Op.28-No.7 指づかい寸感

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 「ショパン プレリュード Op.28-No.7」は、バイエル以外で私が弾くことのできる、少ないレパートリーのひとつなので、よくおさらい練習をしている。

 ゆっくりしていて美しい和音で大好きだし、めちゃくちゃに難しい曲というわけでもないし、知っている人が多いから(『ショパンのプレリュード』と言ってわからなければ、『太田胃散』と言えば1億人の日本人のすべてが首を縦に振るという(半嘘)有名曲)、弾いて楽しい。

 だが、この曲で、私が一番難しいなあと思うところは、ココである。

Chopin_prelude_hardwork_2 

 とりわけ、赤い矢印のところは難しい。太田胃酸のコマーシャルでも、ここのところはアルペジオで「ちゃらららららん~♩」と弾いており、市販のレコードでも多くがそうである。

 さもあろう、女性の手だと、これを弾くことはおそらく困難だ。

 幸い、というか、美しいアルペジオを練習してみるのも一興という観点からは残念、というか、私はオッサンとしては普通の大きさの手なので、この和音を押さえることができる。

 だが、そうはいうものの、非常に難しいことは事実である。なぜというに、赤矢印で示した部分、右手の「 [1 」という怪しい記号は、「親指で2鍵、一挙に弾け」と書いてあるのである。

 図示すればすなわちかくのごとしである。

Chopin_prelude_hardworkfinger  下の段の右手の親指に赤矢印を付してある。

 私はバイエル60番~70番あたりでこれを寄り道して練習したのだったが、今思うに、この和音だけに限って言えば、もう少しバイエルを進めてから練習してもよかったような気もする。

 でも、この曲はいい曲だ。どこかで読んだ文章には、ショパンは二度と戻ることのなかったポーランドの家の、休みの一日の家族の団欒を思ってこの曲を弾いたと書いてあったように記憶する。

レコード2枚のこと

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 昨日、川口駅前「そごう」の中の楽器店をうろついていて、ワゴン積みのなかにウラジミール・アシュケナージ演奏のショパンがあるのを見つけた。デッカのレーベルで吹き込まれたもので、値段はたった千何百円である。当然買いである。

別れの曲~ショパン名曲集 別れの曲~ショパン名曲集
価格:¥ 1,800(税込)
発売日:2003-06-25

 更に店の中をうろつくと、グールドのゴールドベルグ変奏曲のCDがあった。なぜか2種類ある。よく確かめてみて驚いた。

 グレン・グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」は、バッハ演奏の不滅の金字塔として有名だが、グールド自身は今私たちが入手可能な新しい録音に不満を持っていたらしく、昭和30年(1955年)に出したモノラル録音のもののほうを気に入っていたらしい。

 このモノラルのものは今はもう入手できないと聞いていたが、どうやら再び発売されたようだ。昭和56年(1981年)の新しいほうの録音と一緒に、たった1600円でそれが置いてあった。もちろん買いである。

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(55年モノラル盤) バッハ:ゴールドベルク変奏曲(55年モノラル盤)
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2008-11-19

 さっそく携帯電話に入れ、ピアノにつないで聞いてみる。どちらのCDもうっとりするようなすばらしいものだ。自分が最近ピアノなど弾き出したものだから、よけいにそう感じる。

NTTドコモ携帯電話 Primeシリーズ「SH-03A」のこと

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 暮れに、訳あって大金を投じ、携帯電話をNTTドコモの最新シリーズ「Prime」の、「SH-03A」に換えた。快適であり、おおむね満足している。だが、2~3の不満足な点もある。良し悪しを綯い混ぜて、ここに書き留めておきたい。

  •  電子メールを書いている最中に、写真を撮って添付したくなることがままある。前の「D901is」だと、添付ファイルをつけるときに「新規に写真を撮って添付する」という選択肢が出て、手軽にこれができた。だが、今度のSH-03Aはそのへんは簡単ではない。マルチタスク機能を使ってやることになり、少々煩雑だ。×。(よく見るとできることがあとでわかったので訂正。2008年2月7日)今度のSH-03Aもそれはできるのだが、選択肢がサブメニューの後ろのほうにあるため、メニューを1ページ送らなければならない。ともすれば「その機能がないのではないか?」と勘違いしてしまう。サブメニューのよく使う機能は前のほうに送られてくるなどの工夫はなかったものか。
  •  ブルートゥースが組み込まれており、ワイヤレスヘッドフォンとの相性は抜群である。満員電車で通勤していると、不快を紛らわすのに音楽は卓効があるが、ヘッドフォンのコードがあっちこっちにひっかかったりしてややこしい。私はソニーのBRC-BT15というハンズフリー通話機能つきのブルートゥースレシーバーを秋葉原のヨドバシカメラで8900円ほどで買った。
    SONY ワイヤレスオーディオレシーバー BT15 ブラック DRC-BT15 B SONY ワイヤレスオーディオレシーバー BT15 ブラック DRC-BT15 B
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    発売日:

    これは実に快適なもので、この小さく軽いレシーバーのスイッチを入れると、携帯電話の音楽プレーヤーが連動して立ち上がり、前回スイッチを切ったところから続きの音楽再生が始まる。電話がかかってくれば、側面にある小さなボタンを押せば良い。内蔵マイクで快適な通話ができる。人ごみで突然、ポケットに手を突っ込んだままハンズフリー通話をすると、さすがに周りの人が引きますがね(笑)。

 普通、ヘッドフォンを携帯に接続するにはいわゆる「平形」のコネクタでつなぐものだが、平形コネクタは繊細なつくりで、強度はあまりない。ポケットなどに無造作に入れておくと、ともすれば折れてしまう。その点でも、このブルートゥースレシーバーは実にオススメで、ワイヤレスであるから、脆弱なコネクタ類が出っ張るということもなく、携帯を壊すことがない。

 また、どうしたわけか、FOMAの以前の「平形ヘッドフォンコネクタ」はなくなってしまっており、以前に買ったコネクタは使えなくなっている。このシリーズでは、ヘッドフォンをつなぐところは、充電のコネクタと一緒になってしまっているのだ。したがって、別売りの「充電スタンド」を使わないと、充電しながら音楽を聴くことはできない。だが、このブルートゥースレシーバーを使えば、充電しながら支障なく音楽が聴ける。充電スタンドにセットした状態でも、ブルートゥースは5メートルや6メートルはまったく問題なく飛ぶから、同じ部屋の中であれば大丈夫である。

  • Img_0668_3 この機種の音楽機能はピアノとベストマッチである。 前述のブルートゥースレシーバーを愛用のデジタルピアノ「Roland FP-7」のヘッドフォンステレオ用端子にステレオミニプラグで接続し、携帯でアシュケナージのショパンなどを再生して聞けば、FP-7とSH-03Aは実に文句なしのステレオ装置に早変わりする。色を黒で統一したのは意識したわけではなかったのだが、こうして組み合わせてみると実に良い。
  •  音楽機能はWindows Media Playerと非常によくリンクし、音楽データの転送も簡単である。
  •  音楽機能の不満点がひとつある。8GBのmicroSDを入れれば、我が家にある全てのCDを飲み込んでまだ余りあるほどの容量があるのだが、残念ながら曲の数は1000曲が上限である。説明書には1000曲とあるが、999曲でエラーが出る。1000曲というのは意外とすぐにいっぱいになってしまうものなのだが、上限が1000曲までという説明もわかりにくいところにある。しかも、1000曲を超えたときに表示されるエラーは「1000曲でいっぱいです」という意味のものではなく、ただ「失敗しました」とだけパソコン側に表示されるので、なぜ失敗したのかがわからない。少々改善の余地が感じられる。
  •  タダで地図アプリが最初からついており、ナビゲーション機能もある。徒歩や電車移動時の道案内は、「次の交差点を右へ曲がれ」等と音声で教えてくれ、実に快適だ。地図はネットの向こうから最新のものをそのつど持ってきて表示してくれる。だが、「パケホーダイ」等の契約をしないで、ナビゲーションしながら電車などに乗ってしまうと、大変な量の地図をスクロールしつつネットの向こうから持ってくるので、莫大なパケット代がかかる。要注意である。私はそんなことにならないよう、しっかりと「パケホーダイダブル」を契約しておいた。
  •  カメラは高機能だが、反応はデジカメほどには速くないので、それほど期待はしないほうがいいと思う。
  •  標準でついているフルブラウザは、一度使うとやめられませんというくらいのすばらしい出来である。だが、これでYouTubeなど見るとき、ブルートゥースに音が出力されないのはメーカーの千慮の一失といえ、残念である。 

次女の「悲しい」

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 ショパンの「別れの曲」をイ短調に移調したやつが次女(小1)のキーボード付属の楽譜集の中にあり、それを拾い読みしつつド~ファーミファソ~♪と爪弾いて遊んでいた。

 そばに次女がいたので、「オイ智香、この曲、どんな風な感じがする?面白い?暗い?悲しい?気持ちじゃなかったら、色とか味とかでもいいぞ?」と聞いてみた。それは先日、ピアノの先生がショスタコービッチのワルツの稽古を次女につけつつ聞いていたことだ。芸術の才能の優れた者には、「共感覚」とて、色彩や音階から味を感じたり、音階から色が見えたりするそうで、そういう者は知能が高いということをどこかで読んだことがあるのを思い出した。

 さておき、私のこのブログには今まで書かなかったが、次女はわが子ながらたいへん面白い子である。時折その突拍子もない感性に爆笑してしまうことがある。私の質問に少し思案してから出した答えが、

「転校生だと思う」

 というのである。

「・・・?転校生?この曲が?・・・転校生がどんなふうなんだ?」

「転校生が悲しいの。その転校生はブスだから。ブスで友達がいなくて、悲しい。」

 次女がわりと真剣な顔でそう言っているのにもかかわらず、思わず吹き出しそうになった。

 が、改めてそういう気持ちで「別れの曲」を聴くと、沈鬱に悲しんでいるブスの転校生の心みたいな感じもしなくもない。だが、悲しむブスの映像を思い描きながら、そのビジュアルのBGMに「別れの曲」を脳内で流してみると、なんだかメッチャ笑えるのであった。

ショパン プレリュード Op.28-No.7@YouTube

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 ビデオカメラにピアノをつなぎ、演奏をビデオ撮りして遊ぶ。

 YouTubeにアップロードして楽しんでみた。

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その1.0

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 なんとか自分のパートは間違わずに弾けるようになったトルコ行進曲である。

 次女を前回のピアノのレッスンに連れて行った折、先生が「次回あたり、二人の連弾を拝見しましょう」とおっしゃった。

 2度か3度くらいはなんとか次女と二人、通して演奏できるようになっていたので、意気込んで練習していた。

 私は暮れ29日から元日まで、職場に泊り込みで仕事をしていたので、今日と明日(8日と9日)は休みである。そして、運良く、今日は次女のレッスン日で、私が連れて行けることになった。

 教室にお邪魔して、まず次女のほかの曲のレッスンをしていただく。それからトルコ行進曲を見ていただく。一度次女が通して弾いて指導していただき、それからいよいよ「どうぞ、お父様との連弾を見せていただきます」となった。

 生まれてはじめて弾くグランドピアノである。

 タッチや音の違いに驚愕する。

 間違わずに弾けるようになっていたものの、タッチや音の違い、反応の違いにおもわず心を奪われ、また柄にもなく緊張してしまったこともあって、2度3度と間違えてしまった。

 教室のレッスンで緊張により間違うということは、発表会の場では、もっと緊張し、もっと間違うということである。緊張による間違いをなくす唯一かつ最良の行動方針は、ただただ反復演練、これあるのみである。

 実に意義のあるご指導をいくつかいただいた。次女のパートが前に出るところでは、演奏記号の強弱よりもやや弱い目に、ウラにまわって弾く。また「左手単音・右手重音」でリズムを刻むところでは、右手が轟音になってしまうので、左手を強く、右手は抜いて弾く。アクセントの記号に気をつける、・・・等々である。

 最後に、2~3分ではあったが、ピアノを少し触らせていただいた。バイエルの100番、80番、それからショパンのプレリュード7番を弾いてみた。ショパンのプレリュードでガコンガコンと乱暴にペダルを踏んでいたら、思いがけず先生から懇切なペダルワークの指導をいただいた。

 それから、今まで、家のピアノの表示ランプやつまみ、譜面台の位置などを知らず知らずのうちに目印にしてしまっていたことに気がついた。「いつもあるモノ」の位置が違うために、オクターブを飛ぶようなところで不意に間違えてしまうのだ。「こんなに弾き馴染んだ曲で、どうして間違えるんだろう?」と考えて、すぐに気づいた。よそのピアノを弾くというのは、実に意味があることだと思った。

 次のレッスンは12日(成人の日)の月曜である。祝日であるから、また私が連れて行くことができる。それまでに少しは進歩してのぞみたいものだ。

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その0.81

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 今日は次女のピアノのレッスンである。そして、私は仕事が休みである。土・日、飛んで天皇誕生日の飛び石連休である。そのなか日、月曜に休みを取ったのだ。だから4連休だ。

 当然私がレッスンに連れて行く。そばで待っているのだが、先生が次女につける稽古に耳をそばだたせ、私の肥やしにする。

 連弾用のトルコ行進曲、先生は稽古をつけながら、次女の様子を見い見い、「ここんところは5432、でいこっか!?」などと、次女が弾きやすいように随時指づかいを変えていく。・・・ふうむ。

 レッスンが終わってから、少し先生に尋ねてみる。

「あのう、先ほどのお話ですが、指づかいっていうのは、変えていっていいものなんですか?」

 先生のお話によると、変えていい場合といけない場合があるそうである。

 基本的にハノンなどの練習曲は、その指で弾くことを練習させていたりするので、変えてはいけない。楽譜の指示のとおりに弾くことが練習曲の目的にかなう。反面、今回の連弾の曲のように、演奏を楽しむような場合には、楽しめるように変えていってかまわない。ただし、楽譜の指示の指づかいが、もっとも弾きやすいやりかたの提案であったり、一見難しい指づかいが、実はその次の音符を弾きやすくするためだったりするから、その目的を失わないようにすることが大事である。

 しかし、演奏を堪能する曲だからといって、どの曲も変えていいわけではない。作曲家によっては、例えばショパンなどは、指の一つ一つに個性を見出していた。ショパンは、薬指にはえもいわれぬ嫋嫋たる響きを、小指には繊細でしかも強固な意志を期待したのである。3度4度と飛んでいくようなメロディに、「これらの音は全部薬指で弾くように」というような指示がショパンの楽譜にはあるそうだ。こうした場合は、ショパンの心を弾くためにも、指づかいを変えるべきではないそうだ。

 私はトルコ行進曲の一箇所にどうしてもなじめない指づかいがあり、どうしたものかと思っていたのだが、先生によると、この場合は変えていいそうだ

 ほかにも面白い話を伺うことができた。次女と連弾の練習をすると、どうにも手がぶつかりそうになるので、「ぶつからないように練習しような」と次女に向かってつぶやいてみたところ、先生が「ああ、ぶつかってみたりするところが連弾の楽しいところなんですよ」とおっしゃるではないか。

 先生によると、その昔、ヨーロッパの紳士淑女のお付き合いがまだまだ奥ゆかしかった頃、男女がともに連弾曲を練習して、少しばかり手や体が触れ合ったりすることは実にうれし恥ずかしいものであって、作曲家もそうした作用を期待して、ことさらに手が触れ合ったり交差したりする曲を書いたものだそうである。時にはそれがお見合いであったり、隠微な求愛であったりしたかも知れぬ。モーツァルトなど、いかにもそんな作曲や、弟子へのレッスンをしていそうだ。

「ですので、ちかちゃん(次女)と、ぜひ触れ合って、楽しく工夫して練習してみてください」とは先生のいわれたことである。実に肯うところ大である。