Twitter で「平成33年」がトレンド入りしているという。
令和3年と平成33年がイコールとなっていることで、両者は誠に換算しやすく、生活や仕事の上でも実に便利である。
しかし、この際同時に、令和3年は昭和96年であり、大正110年であり、明治154年であって、そして、
その昔、大人たちが「明治100年祭」ということを懐かしそうに話していたのを、ふと思い出した。
オッサンは生きている。
Twitter で「平成33年」がトレンド入りしているという。
令和3年と平成33年がイコールとなっていることで、両者は誠に換算しやすく、生活や仕事の上でも実に便利である。
しかし、この際同時に、令和3年は昭和96年であり、大正110年であり、明治154年であって、そして、
その昔、大人たちが「明治100年祭」ということを懐かしそうに話していたのを、ふと思い出した。
舌の右下の裏側の付け根の柔らかいところに、プツッ、と痛いものができた。何かの腫瘍だったりしたら嫌だな、と思う。
正月前頃から、左足の甲の内側寄り、親指の筋の上あたりに
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
さえずり季題【528】は「どんど焼き」。正月15日の夜に正月飾りや御札などを炊き上げる平安時代の宮中行事、左義長が民間に伝わったという説があります。地域によって呼び名が違うことも。今年は群れず騒がずですね。「どんど焼きすだまは人の手のかたち」寺田京子 #saezuriha_odai #saezuriha
— June,born in Apr. (@no_ra_co) January 15, 2021
最近の私の読書傾向からすると、まるで写実に異を唱える印象派のような表題になってしまっているが、そうではない。ゲームとか、映像の話である。
さて。
長女(大人)や次女(大学生)は家でよくゲームを楽しんでいる。任天堂の「Wii」だ。
「スプラトゥーン」や、いわゆる「あつ森」もしょっちゅうプレイしているようだが、「カップヘッド Cuphead」というのをプレイしているのもよく見かける。
初老のオッサンで、それでなくてもウイスキーで脳が溶けつつある私である。
Cuphead は、カップやマグの形の主人公たちが冒険する2Dアクションゲームで、昭和初期(1930)頃のアメリカのスラップスティック・アニメーションの世界観が中心に据えられている。映像はカラーではあるが、ところどころセピア色のモノクロで、カラーのところもポスタリゼーションを施して彩色バリエーションや彩度を下げたようなレトロな感じにしてあり、何よりも常時縦方向にリアルなフィルムノイズが入る。音声は非電気蓄音機で音楽を聴くような帯域制限がわざとかけられて
私などが感じるところ、ゲームには、「ファイナル・ファンタジー」シリーズの映像のように、写実的リアルを追求する方向が一つあり、それは行きつけるところまでは既に行きついている。その一方で、この「Cuphead」のように、写実的ではないリアルを追求し、そこに
もう15~16年も前のことだと思うが、イタリアの鬼才、マルコ・スピトーニ Marco Spitoni 氏の名作「C.O.D.E Guardian」の冒頭の凝った描写に、これは、と思ったことがあった。ナチス・ドイツのプロパガンダ映像であればこうであったろうというようなリアルな仕上がりになっている。ああいうリアリティの方向もあるということを、この「Cuphead」を見ていて思い出した。
私としては、戦前~戦後にかけての「日本ニュース」のような表現になった戦闘ゲームなどがあれば、やってみたいと思う。陸戦であったり海戦であったり空戦であったり、あの不鮮明なノイズと音声でその世界の中の人になれたら、きっと面白いに違いない。
誰か開発してください。
私は自分の金融資産管理の範囲内で多少株式の売買もする。だが、社会勉強程度のもので、
さて、去る1月8日の金曜日、日経平均は30年ぶりの高値、2万8千139円をつけた。バブル崩壊直後、平成2年(1990)8月16日の寄り付き2万8千97円以来の値段である。その後、日経平均は絶えて久しく2万8千円の声を聞かなかった。それが30年経ってこの高騰だ。
日本の株式市場は、新年の大発会直後は御祝儀相場などという日本らしい相場習慣が根強く残っているため、
そればかりか、昨年(令和2年(2020))の春から日経平均は実に堅調に推移している。昨年の春から今日までというと、まったくのところ、新型コロナウイルスの蔓延が世界を支配した時期である。この期間、日本人のセンチメントが日本株にじゃんじゃんお金を注ぎ込みましょう、なんていうような攻めの状況にあったとはとても思えない。
ましてこの新年は、新型コロナウイルス感染症急拡大を受けての1都3県緊急事態宣言、加えて関西・中京地域もこれに
では、どこから資金が流入しているのか。
古い言い方だが、株式市場に、外国人の体臭が
そうなってくると、単に「残った一番マシな市場」として、日本が浮上してくるわけである。そりゃあ、外国人臭い海外の資金も流入するだろう。
上記に根拠はなく、私の妄想に過ぎない。しかし、さしずめこんなところでそう
私の妄想通り、こんな理由での資金の集中であるなら、欧米が持ち直せば外国人はさっさとお金を引き上げてしまうだろう。
山高ければ谷また深し、とはなかなか味わいのある警句である。多少余剰資金のある向きもあるだろうが、今から買いに出動するようでは、この資本主義社会、ひいては民主主義ってものを理解しているとは、言えんでしょうなァ。
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
さえずり季題【527】風花。
雪、雪、雪の毎日。雪すかしの合間に垣間見る日を受けて、光りながら落ちてくる雪に慰められる日々です。「風花は凡てのものを圖案化す」 高浜虚子 #saezuriha_odai #saezuriha— Suiseiclub 彗星倶楽部 (@akanesuiseiclub) January 8, 2021
新型コロナウイルス感染症の拡大は、のっぴきならないところにまで来ている。
もうこうなってくると、運を天に
だが、私がそんな無責任な落想を
そういうわけであるから、もし私が今日の今日、しかもたった今急死したとしても、妻と2人の娘には、なんとか口を
これまではそれでよかった。だが、今般の新型コロナウイルス感染症拡大の状況は、そんな小市民的な
一般に、保険と言うものは最も困っているときに何の役にも立たないものなのだ。すなわち、「戦争や天変地異など、保険会社が負い切れない急変があった場合は、保険金は支払いいたしかねる」と言う意味の条項が、薄~い紙で「無視していいですよ」とのアピール全開で作られているらしい約款の、しかも最も後ろの方のわかりづらいところに、誰も読まないであろう6ポイント以下の活字で、「読むな」とでも言わぬばかりに刷り込まれているものなのである。
今般、新型コロナウイルス感染症の拡大により、二度目の緊急事態宣言が出された。
緊急事態宣言というのは、いうならば、戒厳令みたいなものである。つまり戦争と同じだ。戒厳令と緊急事態宣言の違いは、大雑把に言うと、国家の主権を軍事力が代行するか、通常の政治のままにするか、その違いにすぎない。日本は憲法上、軍事力が国家の主権を代行するということは不可能になっているから、緊急事態宣言はもはやこれ以上の状況はありえないということを意味している。
そうすると、極端な話、私が今新型コロナウイルス感染症で死ぬとする。で、妻子が私の死亡保険金を請求すると、「今回は未曽有の天変地異ですので、保険金はお支払いできません」という無情な返答が保険会社から返ってくる恐れがあるのだ。
こんな心配を保険会社にまともに問い合わせたって、納得のいく返答は多分、ない。保険屋の窓口の営業担当なんてものは、保険料を取れば取るだけ、保険金を払わなければ払わないだけ、優秀な社員として
つまり、「安心してコロナ自殺する」というわけにもいかないのである。