手毬(てまり)

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読書

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 引き続き読み進む。

 主人公高田屋嘉兵衛は着々と力を蓄える。ついに新造の持ち船、巨大な弁財船「辰悦丸」も手に入れ、いよいよ念願の北前航路、松前交易に乗り出す。恩義のある堺屋を不義理にもせず、新たな屋号の高田屋で徐々に「オーバーライド」していく。

 大成していく主人公が生き生きと描かれ、読んで楽しい。しかし、幕府と松前藩の因縁深い関係の狭間に足を踏み入れてしまいそうな予感が少しづつ出てくる。

言葉
サンピン
新装版 菜の花の沖 (3) (文春文庫)、ISBN978-4167105884、64ページより引用

 この時代、一両の値打ちの大きさは非常なもので、江戸の旗本が臨時に雇い入れる最下級の侍の給金が年三両一分で、町人たちはかれらをサンピンと呼んだ。

 「サンピン」というとやくざ者をからかってそう呼ぶような気がするが、それは違うということを上記で再認識する。むしろ、例えばやくざ者が下っ端刑事をからかって「サンピン」と言ったり、役所への出入りの業者が公務員を愚弄して「サンピン」というような使い方が本来だろう。逆に、官吏がやくざ者をからかう場合は例えば「おい、三下(サンシタ)」と言うのである。「サンピン」と「サンシタ」は、語感は似ているが全く意味と向きが違う。「三下」というのは、客の履物を出し入れする下足番、表の戸に立っている表番、雑用に追い使われる使番などの「三人下っ端」のことを言うのである。

蕎麦屋の梯子(ハシゴ)

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 旧友にして畏友のF君と、蕎麦屋の梯子(ハシゴ)をした。

 F君は関西へ単身赴任中であり、(たま)さか東京の自宅へ帰る際には、どうも東京らしいものを食べたくなるようで、いきおい「佐藤、蕎麦屋に行こう」ということになるのである。

 実のところ、いい蕎麦屋は年明けの初店(はつみせ)が遅く、多くの蕎麦屋が今年はだいたい1月6日土曜日からの営業だ。今日(1月4日)と言う日に開いている蕎麦屋はなさそうである。また、空いているかいないかも、座していては実のところはっきりしない。電話して確かめるにしても夜間となれば詮ないことで、またWebで見るにしても、老舗(しにせ)の、いい蕎麦屋に限ってWebサイトの更新がどうもいい加減なので仕様(しょう)がない。

 東京の藪・砂場・更科の御三家で、すぐにわかるところでは更科堀井がFacebookページの更新に熱心で、1月4日から開店しますとはっきり書いてある。そこでとりあえずF君とは麻布十番で待ち合わせということになった。

 晴れ上がる。青い空、良い天気、寒いことは寒いが、まことにいい日である。

 私は自宅の埼玉・越谷から、東武線・日比谷線・大江戸線と乗り継いで、エッチラオッチラ「総本家・更科堀井」へ向かったのだが、F君と落ち合う前、ついでに「永坂更科・布屋太兵衛」の方も覗いてみた。そうしたら、開店準備をしており、今日は店が開くことがわかった。それで、まず布屋太兵衛へ入ることにした。

 F君を待つ間、漫然と付近を歩いていたら、麻布十番に野口雨情の「赤い靴」(『♪赤い靴履いてた女の子』の歌い出し)のモデルになった女の子の記念像があることを知り、そこへなど行った。

 像の近くに記されている由来記などによると、この「きみちゃん」という女の子は、貧しい家から米国人宣教師の養女として貰われていき、その実母は娘が米国で幸せに暮らしているものとばかり思っていたという。ところがその実、女の子は麻布の孤児院で病死してしまっていたのである。悲しい物語である。

 うろつくうち、すぐ近所に、幕末の日米修好通商条約当時、最初の米国公使館となった寺があると知り、そこへ参詣してみた。善福寺と言い、遠く弘法大師空海の開山と伝わる。

 写真は往時の「勅使門」の再建であるという。

 F君と麻布十番駅で落ち合い、布屋太兵衛へ。

 布屋太兵衛ではぬる燗でお銚子を1本、名代(なだい)の御前蕎麦を1枚。

 それから更科堀井へ。

 焼き海苔、焼き味噌で「名倉山」のぬる燗を1本、2本。

 蕎麦は「太打ち」と「変わり打ち」をとって、これを二人で分ける。変わり打ちは「桜海老打ち」で、ほんのりと海老の香りがして旨い。

 更科堀井を出て、一応「麻布永坂・更科本店」の方にも足を延ばしてみたが、やはり営業は1月6日からで、開いてなかった。店の前で「梯子(ハシゴ)蕎麦記念写真」を撮った。

 F君と相談し、新橋まで行って見る。これはまあ、何か別の物でも飲み食いしよう、その前にチラッと日本橋近辺まで足をのばし、「虎ノ門・大坂屋砂場」の店構えでも見てからにしよう、というくらいの気持ちである。

 ところが、店の前まで行って見たら、1月4日でまだ17時前なのに、大坂屋砂場が開いていた。以前、ここは確か夜までの「通し営業」をしていなかったと思うのだが、どうやら変わったようで、おおっ、この機を()がすべからず、というわけで、すかさず入る。

 まずぬる燗を1本、それから「もり」を1枚。

 帰り、烏森(からすもり)神社に寄ってみたりなどする。

 その後、新橋駅周辺をうろつく。居酒屋1軒、焼き鳥屋1軒、ガード下の居酒屋にもう1軒入って、そろそろ二人とも呂律(ろれつ)が怪しくなり、22時ごろだったか、F君と別れた。

 明日は仕事だが、千鳥足で帰宅し、入浴、就寝。いやはや、手繰りも手繰ったり、飲みも飲んだり、というところである。

Facebookタイムラインの「OGPイメージ」の採り方がちょっと変わったようだ

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 Facebookは月々日々夜々仕様が変わる。最近何となく気づいていたのは、ブログに画像を置いて、その記事へのURLをシェアした時の「OGP(Open Graph protocol)画像」の扱いが変わったことだ。いつの間にか、ブログの画像が採用されなくなった。

 大した話ではないので「まあいいや」で放っておいたのだが、今度は「FBページ」のほうの画像の扱いが少し変わったように思う。たくさん画像を貼ったブログ記事へのURLをポストすると、「どの画像をどの順番で出すか」ということを選択させるインターフェイスが表示され、画像の順序、表示の有無等を選べるようになった。右がそれを使ってポストした記事だ。

 ブログのエントリは、Jetpackを使ってFacebookとTwitterにクロスポストしている。Facebookのクロスポスト先はFacebookページに向けることも可能だが、ページは誰も見ちゃいない(笑)ので、タイムラインに向けている。

 これまで「人に見せたい写真」などをブログ側で一元管理できていたわけだが、タイムラインに写真が載らないとなるとこれが期待できないので、うーん、どうしたものかな、と思案が()るところだ。

 今確かめてみると、Jetpackによる自動クロスポストを使わず、手動でFacebookのタイムラインにブログ記事のURLを貼ると、ブログ内画像を選ぶインターフェイスが表示されることが判った。しかし、いちいち手動で記事の共有など、面倒臭くてやってられない。

 Instagramも楽しんでいるが、TwitterのタイムラインにはInstagramからのクロスポストでは写真が載らなくなった。これはつまらない。ところが、ブログからのクロスポストだと、Twitterには載る。

 この辺のところ、引き続き観測が必要だ。

新発明反差別用語

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 「婦人(ふじん)」という言葉がある。訓読みすれば「婦人(おんなのひと)」だ。これは本来ゆかしい言葉で、良い言葉である。「女性」などという事務的、物理的、即物的な言葉より、よほど女性を尊敬した柔らかな言い方だ。従って「婦人警官」や「婦人自衛官」といった言葉を排撃し、廃止してしまったのは残念なことであった。

 この言葉が用いられなくなった当時の、どこかの役所の政策審議録を見ていたら、

「『婦人警官』などとは何事か、女性の警察官でも、まだ婦人ではない人も中にはいるかも知れないではないか、女性たる者すべて(とつ)いでいて(しか)るべしというような意識が底流に見え、著しく不快である。こんな差別的な言葉の使用など廃止すべきだ」

などと言う発言が見え、これは完全に「夫人」と「婦人」をはきちがえており、どこの誰かは知らないが、審議員たる自称有識者の低劣ぶりを表している。所詮(しょせん)有識者を僭称(せんしょう)して(はばか)らぬようなこの如き手合いなど、学校で習った漢字の読み方しか知るはずもなく、「婦」と書いて「おんな」「をんな」「をみな」等と()むなどとは、そしてこれらの発音が全て違うなどとは、到底知り()つ使う(あた)わざるものと見える。

 ……と、上記のようなことをブツブツと言ってみていたところ、

「『婦』という漢字は『女』が『(ほうき)』を持って掃除をしているという意味を合成した会意文字で、その根底には『女如き、清掃などの補助的・屈辱的な仕事のみをしておればよい』という男性側の差別意識がある。差別許すまじ」

などという黄色い反駁(はんばく)を浴びた。

 ならば、「男」なんて漢字はどうなのか。「田」に「(ちから)」と書いて(おとこ)()む。こんな漢字など、「田に出て力をふるってこそ男、そうでないような者は男ではない」とでも言いたげではないか。これは差別ではなかろうか。

 「男」という字には、「男性如き、肉体労働、農業労働のような仕事ばかりして奴隷的屈辱に甘んじておればよいのだ」とする差別意識が込められているとすら言えるのではないか。

 「婦人」が駄目だと言うなら、「男」なんて、これほど一方的で差別的な字が他にあるか。昔の王権が「庶民の男如き、農業的労働のみを重んじ、田に出て泥まみれになってメシも食わずに働き続け、只管(ひたすら)年貢のみ納めておればよいのだ」というような封建的価値観を押し付けようとして、ステレオタイプを称揚した結果の、呪わしい文字と言っても過言ではないのではないか。

 そこで、である。

 もう「男」とか「男性」という書き方など廃止してしまえばよい。「男」が廃止になるのなら、「女」も廃止してよかろう。「女」という漢字は美しくしんなりとした女の座り姿を描き写した象形文字で、「男」のような会意文字ではないから、そこに差別的意図が含まれているとも思えないが、いっそのことスッキリと両方廃止してしまえ。

 では、どう書くのか。これはもう、差別の意図の全く含まれない、物理的な差のみを言うといい。つまり、「(びっこ・ちんば)」「(めくら)」「(おし)」「馬鹿(バカ)」「阿呆(アホ)」「禿(ハゲ)」等の言葉を、それぞれ「足の不自由な方」「目の不自由な方」「言葉の不自由な方」「知力の不自由な方」「頭脳の不自由な方」「頭髪の不自由な方」等と言い換えたようにすればよい。

 すなわち、「卵巣及び子宮並びに膣のある方」あるいは「睾丸及び陰茎のある方」と言えばよいのだ。

 「病気でこれらを剔除(てきじょ)した人や先天的にこれらのいずれかを持たぬような人はどうなるのか」という反論があると思う。その場合は「卵巣・子宮・膣を持った方、及びこれらのいずれかを持っているか、あるいはかつて持っていた方」「睾丸・陰茎を持った方、及びこれらのいずれかを持っているか、()しくはかつて持っていた方」という風に言えばよかろう。

 これで万事解決である。

 何?「子供にとって言いにくい」だと!?……そんなもの、「おちんちんのある子」「おちんちんがない子」とでも言わせておけばよい。

 何?恥ずかしい!?だったら、「Y染色体のある方」「X染色体のみの方」と言え!シンプルではないか、男警官は「Y染色体のある警察官」略して「Y警官」だ。女警官も同様に「X警官」だ。

 おお、殺人事件裁判の判例を書き出したようになってきたぞ。「X巡査はY警官であったため、その部屋には入ることができなかったが、Y警視はX警官であったのでドアを開けて部屋に入ることができ、本件現場を視認したものである。」などと、もはや(にわ)かには意味を把握できない。

 だが、面白いじゃないか。混乱こそが改革を(もたら)すというものだ。

 何?いやだ!?……だったら文句を言わず、「男」「女」あるいは「婦人」と言っておけばいいだろう。

 何?「マチズモ」だ?!「ミソジニー」だ??!!そんなもん知るかバカヤロー!!

皇居一般参賀~明治神宮初詣

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 去年の正月、皇居の一般参賀に行ったが、今年も行くことにした。

 9時頃自宅を出、東京駅丸の内南口が10時半頃。

 ゆっくりと行列の尻に取り付いたが、なんと混雑すること。

 後でニュースを見たが、平成最多の13万人近くが訪れたというのだから、さもあるべし。


 そうは言うものの、せいぜい3時間待ちというところで、12時40分頃には長和殿前広場に入ることができた。午後最初の御光臨は13時半で、それに先立つ50分ほど前だから、まあ、丁度良いというところだろう。

 それにしても人、人、人の波である。

 天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下、皇族方が定刻にお出ましになり、巨大な波のように人々がどよもす。

 私も感極まって「天皇陛下万歳!」と、肺腑も破れよとばかり絶叫し続けていたら、すっかり喉が枯れ、ルイ・アームストロングか浪花亭綾太郎ばりのシヴい声になった。

 しかし、去年のように周囲に面白いおじさんや迷惑な男女がいるわけではなく、まあ、至って平静な感じの参賀であった。()いて言うなら私の他にも天皇陛下万歳を叫び続ける人が数列ほど後ろにいたことと、私の万歳につられて左隣にいた年配のご主人が天皇陛下万歳を叫び出したことと、右隣にいた白人の夫婦が異物でも眺めるような視線で私を凝視していたことだろうか。

 今年はたまたま、背伸びなどしなくても長和殿のバルコニーが直視可能なごく近いところに位置することができたのだが、残念ながら逆光で、しかも皇居の豊かな緑がガラスに照り映え、御龍顔(ごりゅうがん)御光顔(ごこうがん)は全然見えなかった。だが、これは「無月、あるいは雨月の月夜」と同じで、「そこに在らせ(たも)う」のが良いのである。

 遠回りして乾門まで散歩する。

 竹橋まで歩く。東西線・竹橋から飯田橋、JRに乗り換えて代々木、代々木から原宿まで行く。

 明治神宮に参拝するのだ。今上天皇を参賀したら、今度は明治大帝を偲び、(おそ)(ぬか)づこうというわけである。

 こっちも大変な混雑。

 ともかく参拝を済ませる。わずかな奉納で聖寿万歳から世界平和から自分の生活までよろしくと神頼みするのだから、そりゃまあ、虫の良すぎる話ではある。

 お守りに鏑矢(破魔矢)を一つ頂き、御神籤をひく。明治神宮の御神籤は吉だの凶だのとは一切書いておらず、明治大帝の「おおみこころ」が書き記された誠にありがたいものである。

 朝から何も食わずに家を出、新越谷のスタバでコーヒー一杯飲んだだけなので、夕方にもなってくるとさすがに腹が減り、北参道(JR代々木駅側)を出たところの露店でお好み焼きなぞ喰う。たまには良い。

 家に帰り、御重のもので一杯。

 酔っ払ってベランダに出てみると、思った通り、今日の月齢は望で、大きな大きな、明るく真ん丸のお月様である。

 今日いただいてきた明治神宮の鏑矢と、多摩陵・多摩東陵両陵墓印(大正天皇・貞明皇后)・武蔵野陵・武蔵野東陵両陵墓印(昭和天皇・香淳皇后)を並べてみて、また今日参賀してきた今上天皇陛下・皇后陛下の聖寿万歳を思い、前世紀と今世紀について深く考えるのである。

 (ちな)みに右が今日のGPSトラックである。

正月は米尽くし

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 「米尽くし」と言ったって、米国(アメリカ)尽くしではない。同じベイコクでも「米穀尽くし」のほうである。

 なにしろ、米の精である日本酒を飲み、酔い醒ましに玄米茶を飲み、小腹が減ったと言っては糯米(もちごめ)を練り上げた餅を食い、またこれを入れた雑煮を啜るわけである。

 まこと、よく豊葦原の瑞穂のうまし国にこそ生まれて生きざらめやも、なぞと思うわけである。

 これで、(ぬか)漬けを御菜(おかず)に白米の飯でも食えば、更に更に、まっこと、まこと、と思わずにはおれまい。何しろ糠は米の胚芽その他を()いて熟成させたものなのである。