千一夜物語(12)~(13)

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 通勤電車の楽しみ、去年末に手に入れたアラビア~イスラムの古譚集「千一夜物語」全13巻。古本ではあるもののどうやら店頭で古びてしまっただけらしい美本だ。思いがけぬ成り行きで、古本でも8千円以上するものが無料で手に入った。

 それからゆっくりゆっくり味わいながら読んでいるので、すでに7か月は楽しめている。今日は第12巻を読み終わった。

 第12巻で最も長い話は「金剛王子の華麗な物語」で、18夜、89ページある。分量的には最初の「のどかな青春の団欒(まどい)」のほうが106ページあって長いのだが、一つ一つの挿話が短く、13夜にわたって語られるものなので、一本の物語としては前者のほうが長い。

 面白い話としては、「滑稽頓智の達人のさまざまな奇行と戦術」という話がある。これはさしずめ、「アラビアの一休さん」か、「イスラムの吉四六(きっちょむ)さん」みたいな話である。どちらかというと後者が近いかもしれない。

 12巻から13巻にかけて、「バイバルス王と警察隊長たちの物語」というのが語られる。12人の警察官が王に自分の知っている事件や他人から聞いた珍しい話を語る、というもので、これをシャハラザードは3夜かけて語る。

 第13巻には、第940夜から最終1001夜までの61夜が収められている。賢いシャハラザードのおとぎ話戦術もいよいよ大団円に向かっていくわけだ。

 もともと、私がこれを読んでいるのは、もちろん物語、昔話として面白いということもあるが、イスラムの人々に心を寄せたい、ということが今回あらためての動機である。

 そんな中、シリア情勢は相変わらず凄惨だし、この前のダッカの事件は心が痛む。

 物語の中のイスラム教徒たちは大らかで、アッラーの掟は厳しいけれど、それはそれ、たまに逸脱もする。それで不信徒として罵られはしても、だからと言って生きることには寛容かつ鷹揚で、優しい。

 また、この「マルドリュス版」は、フランスの東洋学者シャルル・マルドリュス博士がフランス語に翻訳したもので、日本語版は大勢のフランス文学者がフランス語版から再翻訳したものだ。そこから伺えることだが、当然キリスト教徒であるマルドリュス博士はイスラム教の経文や念仏、信仰の傾向に敬意を払い、これにキリスト教的偏向や批判は加えていないのである。欧州文化側からも、かつてはイスラム世界に寛容な傾向が、一部にはあったのではないかと思えるのだ。

千一夜物語(11)~(12)

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 毎日の通勤電車内の楽しみ、「千一夜物語」、第11巻を読み終わる。

 このアラビアの古譚集には、よく知られている物語としてこれまでに「船乗りシンドバードの物語」「アラジンと魔法のランプの物語」がそれぞれ5巻と9巻に収められていた。

 つい先ごろ知ったのだが、この中で「アラジンと魔法のランプの物語」は偽書なのだという。研究の結果明らかになった純正の千一夜物語にはこの話は入っておらず、複雑な経緯で後に紛れ込んだ物語なのだそうな。

 だがしかし、その紛れ込んだ時期というのは数百年も前のことらしく、それくらい昔なら、まあ、紛れ込んだいきさつも含めて、「広義の千一夜物語」とみなしても差し支えないのではあるまいか。


 この11巻には、これも童話や絵本でよく知られる「アリ・ババと四十人の盗賊の物語」が収められている。多くの人の記憶にある話とだいたい同じだと思う。このマルドリュス版の千一夜物語では、隠忍自重な善人アリ・ババの射幸と、その女中(女奴隷)マルジャーナの賢く果断な大活躍の、2部構成とでも言うべきものになっている。

 マルジャーナは38人の盗賊を殺すのみならず、盗賊の頭目をも刺殺し、主人一家を守る。私など、むしろその健気さにいとおしさを覚えるのだが、これが理解できず、不愉快だと言う人には何の物語であるかすらもわからないだろう。

 今もしこの物語を絵本にでもすれば、「盗賊はびっくりして逃げて行ってしまいました」とか、「盗賊の頭目はアリ・ババとマルジャーナに(あやま)って、その後みんなで仲良く暮らしました」などというふうに改変されるだろう、「かちかち山」や「桃太郎」がぬるい仲直り譚に改変されているように。

 だが、婆さんを惨殺した狸は責め苛まれた挙句溺死させられなければならないし、鬼ヶ島の鬼はやはり全て滅ぼされなければならなかった。アリ・ババの身の危険は、賢く可愛いマルジャーナの機転と手によって、38人の盗賊どもを煮えたぎった油で()き殺し、盗賊の頭目を彼女の策略で刺殺してこそ、救い得もしようし、完結もするのである。

 引き続き12巻を読む。

 ふと思い出したことに、自分が持っているCDの中に、「これがフィリップスCDだ」という、おおかた30年ほども前のCDがある。CDというメディアができたばかりの頃の、CDそのもののプロモーションのために作られたもので、確か、ソニーの初代のポータブルCDプレイヤーを買った時、無料でついてきたものだったはずだ。

 その中に、ラリー・コリエルというギタリストが演奏する「シェエラザード」(つまり千一夜物語のシャハラザードのこと)という曲の一楽章が入っている。

 不思議な感じのする味わい深い演奏だ。これを聞きながら岩波文庫特有の細かい字を追うのは、まことに楽しいことである。

千一夜物語(9)~(10)

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 通勤電車の楽しみ、「千一夜物語」、ひきつづきゆっくりゆっくり読み進め、第9巻を読み終わる。

 一千夜にわたって語られるこの長大なアラビアの奇譚、第9巻にはそのうち第622夜から第774夜までが収められているのだが、このうち第731夜から第774夜までは、何を隠そう、この物語集の中で最も知られた物語の一つ、「アラジンと魔法のランプの物語」なのである。

 「アラジンと魔法のランプ」はディズニーのアニメーションなどにもなっているので、知らぬ人のない物語であるが、原作はもう少し素朴で、かつ味わい深い物語になっている。

 他に「目を覚ました永眠の男の物語」「ザイン・アル・マワシフの恋」「不精な若者の物語」「若者ヌールと勇ましいフランク王女の物語」「寛仁大度とは何、世に処する道はいかにと論じ合うこと」「処女の鏡の驚くべき物語」が収載されている。

 この中では、私には「若者ヌールと勇ましいフランク王女の物語」が最も印象に残った。美しいヨーロッパ白人(フランク人)の王女は回教に改宗して主人公ヌールとの愛に生きるのであるが、なぜか美青年ヌールを守るため戦士となって父王が差し向けたフランク軍の一軍団を一人で壊滅させるという支離滅裂な物語である。おいおいヌール、お前が闘うのとは違うんかい!!というようなツッコミどころもさておき、その戦闘シーンの翻訳が「講談」みたいになっているのである。

以下引用・p.225~

 フランク王はこのように将軍(パトリキウス)バルブートが(たお)れてしまったのを見ると、苦しみに我と我が顔を打ち、衣服を引き裂き、同じく軍隊を率いる第二の将軍(バトリキウス)バルトゥスと呼ばれる男を召し出しました。これは一騎討にかけての勇猛果敢をもって、フランク人の間に聞こえた豪傑です。王はこれに言いました、「おお将軍(バトリキウス)バルトゥスよ、いざ、その方の(いくさ)の兄弟バルブートの死の(あだ)を討て。」すると将軍(バトリキウス)バルトゥスは、身を屈めて答えました、「お言葉承り、仰せに従いまする。」そして戦場に馬を走らせて王女に迫りました。

 けれども女丈夫は、同じ姿勢のまま、動きません。駿馬は橋のように、足の上にしっかと身を支えています。見るまに、将軍(バトリキウス)は馬の手綱をゆるめ、姫をめがけて殺到し、穂先は(さそり)の針にも似た槍を擬して駆け寄った。相打つ干戈(かんか)の音は戞々(かつかつ)と鳴る。

 その時、全部の戦士は、彼らの眼がいまだかつてこのようなものを目睹(もくと)したことのないこの戦いの、恐ろしい驚異をよりよく見ようとして、一歩前に進み出ました。そして感嘆の戦慄が、すべての軍列に走りました。

 けれどもすでに、濛々(もうもう)たる砂塵に埋まっていた二人の敵手は、荒々しく相衝突し、空を鳴らす打ち合いを交わしています。かくて両人は永い間、魂荒立ち、凄まじい罵倒を投げ合いながら、戦っていました。そのうち将軍(バトリキウス)は相手の(まさ)るを認めずにはいられず、心中に思った、「救世主(メシア)にかけて、もう我が全力を発揮すべき時だ。」そこで死の使者たる槍をつかんで、振りまわし、敵を狙って、「これを喰らえ!」と叫びながら、投げつけた。

 けれども、マリアム姫といえば、東洋西洋きっての無双の女傑、地と砂漠の騎手、野と山の女武者であることを、彼は知らなかったのです。

 姫は早くも将軍(バトリキウス)の身ごなしを見てとって、その意中を看破してしまいました。されば、敵の槍がこちらに向かって放たれると、それが来たって我が胸もとを(かす)めるのを待って、いきなり宙で受けとめ、肝を潰した将軍(バトリキウス)のほうに向き直って、そのままその槍で腹のただ中を突くと、槍は一閃背骨を貫きました。そして相手は崩れ落ちる塔のように倒れ、その武器の響きは音高く木魂(こだま)しました。彼の魂は永久に戦友の魂の後を追って、至高の審判者の御怒りによって点火(ひとも)された、消し得ざる焔の中に赴いたのでございます……

✦ ……ここまで話した時、シャハラザードは朝の光が射してくるのを見て、慎ましく、口をつぐんだ。

以上引用

「見るまに、将軍(バトリキウス)は馬の手綱をゆるめ、姫をめがけて殺到し、穂先は(さそり)の針にも似た槍を擬して駆け寄った。相打つ干戈(かんか)の音は戞々(かつかつ)と鳴る。」

……て、アンタ(笑)、という感じである。

 驚くべきシャハラザード妃の物語は更に次の巻へと引き継がれる。

千一夜物語(8)~(9)

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 日々殺伐としているが、待ち時間、通勤電車中など、少しの閑暇あらば文庫本を読み耽る。

 イスラムの人々に少しでも心を寄せようとて読み始めた岩波の「千一夜物語」全13巻、実にゆっくりとしたペースで読み進め、第8巻を読み終わる。

 物語の脚色であることは当然だが、それにしても、いやもう、登場人物は何かと言うと情に駆られて気絶するのである。嬉しいと言っちゃあ気絶、悲しいと言っちゃあ気絶である。男も女も年がら年中気絶だ。

 はじめはイスラムの人々は果たしてこんなにも情感豊かなのかと思いもした、しかし、さすがに昔の物語だし、現代のムスリムーンはこんなにも大袈裟ではあるまい。

 この巻も「『柘榴の花』と『月の微笑』の物語」「カリーフと教王(カリーファ)の物語」「ハサン・アル・バスリの冒険」を主軸に、胸躍る話が沢山出てくる。

 引き続き第9巻に入る。

千一夜物語(7)~(8)

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 通勤電車の楽しみ、「千一夜物語」、7巻をゆっくりゆっくり読み終わる。


 こんなに巻数が多いと、単調な話に飽きてきそうなものだが、さにあらず、この巻は今までの巻をますます上回って面白かった。

 「漁師ジゥデルの物語又は魔法の袋」という物語が入っている。いつものめでたしめでたし話で終わるのかと思ったら、もんのっすっごっく、救いのない悲惨なエンディングになっていて、うわっ、なにすんだよ(笑)と、不意打ちをくらったような感じである。

 引き続き第8巻。

千一夜物語(6)~(7)

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 岩波文庫の「完訳 千一夜物語」全13巻。通勤電車内でゆっくりゆっくり読書中である。

 第6巻を読み終わり、第7巻に入った。

 第6巻は短い話が多かった。暴王の嗜虐を思いとどまらせ続けるさすがのシャハラザードであるが、少しばかり王の御感(ぎょかん)を損じかけるところもあって、ハラハラさせられた。

新品の給湯器で

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 風呂釜を更新しようがどうしようが、風呂に入る湯の品質に違いが出るわけではないのだが、しかし、新しい給湯器の湯で入れた風呂は、なんだか新品感が漂っていて、気分がわずかに違う。

 のんびりと風呂に入りながら、今読んでいる「千一夜物語」を反芻する。

 物語には「浴場(ハンマーム)に行ってさっぱりする」という場面が、ほとんど一話ごとに出てくる。苦労した人がまず行くのは風呂、美しい姫がまず行くのも風呂、である。

 トルコの浴場の話は、例の「トルコ風呂」の話とともに聞いたことがあるが、バグダッドやダマスカス、バスラでもこんなに風呂が盛んだとは知らなかった。

千一夜物語(5)

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 ゆっくりと読書中の「千一夜物語」は5巻を読み終わり、6巻に入った。

 5巻の大半はアラビアン・ナイトの中でも最も有名な話の一つに数えられる「船乗りシンドバードの物語」である。

千一夜物語(4)~(5)

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 千一夜物語、少しづつ読む。4巻読了。

 1巻以上にわたる長編「オマル・アル・ネマーン王とそのいみじき二人の王子シャールカーンとダウールマカーンとの物語」、4巻でようやく完結。

 シャハラザードの物語を聴くシャハリヤール王は、この巻で次第に心がうちとけ、感想を漏らすようになる。

 引き続き、5巻を読む。

先週及び今週

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 長丁場であった。大雪の1月18日(月)から1月29日(金)一杯までの足掛け2週間。23日(土)から引き続き今週1週間は缶詰め、しかも木・金には一難去ってまた一難の大事出来(しゅったい)、いやはや。昨日から一応帰宅はでき、忙中閑ありの感。土日を1回流すとこうなるから嫌だが、世の中の人々みんな、これしきの忙しさなんてヘッチャラで、誰でも大体こんなもんだろう。

○ じぶん銀行(かた)りのフィッシングSPAM

 先々週あたりだったか、じぶん銀行を騙るフィッシングSPAMが2通ほど来た。その後、一昨日あたりに今度はりそな銀行を騙る同様のものが1通来た。

 じぶん銀行騙りのほうが来たときの始末たるや、速攻これあるのみ。有無を言わさず、表題とヘッドラインを見ただけで、中身も見ずに削除した。その時には、そのメールに関する噂などは何も聞き込んでいなかったのだが、そうした。

 私のその時の判断基準は「人」であった。じぶん銀行のIT関連部門には日本ITストラテジスト協会で知り合ったSさんという方がいるのだが、「あの人のような立派な方がかかわるIT部署が、こんなフザけたメールを送ることはありえない」ということが判断要素であった。

 その後、SNSなどでその話題が出始め、やはり当節流行のフィッシング詐欺メールであることが分かった。

 りそな銀行騙りのほうはその後10日ほど経ってから来た。最初のじぶん銀行騙りのほうは、「Sさんのところ」ということの他に、「私はじぶん銀行の口座は持っていない」ということも判断基準であった。ところが、りそな銀行のほうには口座がある。株式の取引の入出金に使っているのだ。しかも、知り合いはいない。

 こういうのは、メール内に書いてあるリンクのURLとメールのソース、それからセキュリティソフトの補助表示を見ればたちどころに馬脚があらわれるので、不肖ながらこの佐藤が引っ掛かることはまずないが、それでも、最初に来たのがりそなのほうであったら、ついうっかり引っ掛かっていた恐れもないとは言えない。

 日本ITストラテジスト協会でSさんとお知り合いになっていたのは、まことに縁のあったことだな、と思った。

○ 日本ITストラテジスト協会の定例会が先週の日曜、24日にあったが、また出られなかった。最近こんなこと続きで残念である。一昨年度、昨年度と支部運営の端に加わらせていただいていたが、忙しかったために大して役に立てない体たらくとなってしまった。不本意なことであり、引き続きこういう状態だと迷惑をかけると思ったので、今年は運営には挙手せず遠慮させていただいた。

○ そんなことであったので、先週の「さえずり季題」、まだ見てない。

○ 忙しいので本は少しづつ読む。


IMG_3680 千一夜物語は3巻読了。今読んでいるところは「オマル・アル・ネマーン王とそのいみじき二人の王子シャールカーンとダウールマカーンとの物語」という題だ。題名も長いが、中身も大変長大な物語で、本のカバーの見返しには「平家物語をおもわせる『千一夜物語』中の最長篇」とある。そもそも千一夜物語自体も文庫本で13巻と言う浩瀚な昔話であるが、その中でも最長篇であるわけだ。千一夜特有の、話中話、そのまた話中話の入れ子構造にどっぷりと浸って楽しむ。

 ただ、このほどのように、暇を見つけて切れ切れに読み進めるやり方だと、話中話の最初の始まり、根元(Root)のところがわからなくなってしまいがちである。IT技術者として表現すると、「スタックに不具合があってなぜか一部が消え、復帰アドレスを失う」(謎)というようなことであろうか。

 アズィーズという若者が出てくるのだが、冷静に読むとこいつが結構「ダメな野郎」で、ダメ行動をとり続けた挙句、愛人に陽物(ちんちん)を切り取られてしまい、それなのに泣きながら詩なんか微吟しつつ家出してメソメソ泣いていたりして、ダメ野郎フルスロットルだ。ところが、何か、それが「なんてダメな奴なんだ、このバカっ!!」と、逆に愛すべきところになっているのである。これは、この古い古い物語の話中話ならではこそ、である。今こういう話を書いたり読んだりしたら、女性陣からは憤激の嵐が巻き起こるであろうて。

 次は第4巻である。

 「オマル・アル・ネマーン王とそのいみじき二人の王子シャールカーンとダウールマカーンとの物語」はまだ延々と続いており、面白い。

 本道読書経路とは別に、長女が「この漫画面白いから、お父さん読みなよ」と(すす)めてきたのがある。

 長女がたってと漫画を薦めるのは、只今大学受験の最中であることもこれあり、めったにないことで、珍事だ。そこからすると、恐らく相当面白いのに違いない。楽しみに読むことにする。