ホームドアの運用が始まった

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 私の住まいの最寄り駅、東武スカイツリーライン「新越谷」駅でも、ホームドアの運用が始まった。

 安全で、良いことである。

(じん)(ちょう)()

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白花沈丁花 白花沈丁花が一、二輪綻びた。

赤花沈丁花 赤花沈丁花はほぼ五分咲き、というところだろうか。

 よい香りがする。

(じん)(ちょう)()馬酔木(あせび)

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 赤花の沈丁花が咲き始めた

白花沈丁花赤花馬酔木

 一方、同じく庭に植えた白花の(じん)(ちょう)()と赤花の馬酔木(あせび)は、今日はこんな様子だ。

 春と言うのは、本当に嬉しいものだ。

今日の赤花(じん)(ちょう)()

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 昨日一輪綻びたばかりだった赤花の(じん)(ちょう)()、今朝見てみると更に数輪、次々に咲き始めた。

 近寄って嗅いでみると、あの甘く良い香りがする。

 根元の方に多くの花芽がある他、(こずえ)の方にもまだ若い芽がある。これらも次々に咲くだろう。

 楽しみである。

 白花の方はまだ咲かない。しかし、芽が大きく膨らんでいるから、もうすぐだろう。

庭の(じん)(ちょう)()が咲き始めた

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 昨年の9月頃に庭の花壇に植えた(じん)(ちょう)()(つぼみ)が一輪、(ほころ)びた。赤花の方だ。

 昨日庭に出た時にはまだ咲いていなかったのだ。

 白花の方は、芽は大きく膨らんでいるものの、まだ咲かないようだ。街の植栽の沈丁花も、赤花には咲き始めているのを見かけるが、白花はまだなので、多分沈丁花と言うものは、白花の方が遅く咲くのだろう。

 来週にかけて、次々と咲くと思う。

ナイアシンと夢見

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 数年前から、物忘れが気になったり、どうでもいいようなことにクヨクヨと悩ましかったりするので、ネットで検索して「ナイアシン」のカプセルを購入し、時々それを服用している。

 ナイアシンというのは「ビタミンB3」のことで、ごくありふれたビタミン剤だ。

 まさか向精神薬とか覚醒剤の類ではないから、()んだからといってスカンポーン!……と人生が薔薇(バラ)色に変わるというようなものではない。

 だがしかし、服用した日には思考力や集中力になんとなく好調を覚える。最近減退を覚えるようになった記憶力などにも、やや好転を感じる。偽薬(プラシボ)効果というのもあるのだろうけれども、それだけではないようだ。

 このナイアシンカプセル、必ずしも毎日欠かさず服用しているわけでもないのだが、服用した日とそうでない日とで、ふと気づいた違いがあった。夢見が違うのである。

 ナイアシンを服んで寝た次の明け方には、なんだか、昔の夢や昔の生活や、いろいろな不安や景色が織り交ぜられた面白い夢を見る。必ずしも快適な夢ばかりではなく、その夢の恐怖や不安から逃れようと無理に目を覚ますような夢も多いが、だが、面白くはある。

 ナイアシンは脳内の重要ホルモンであるセロトニンやドーパミンの生成に必要な酵素なのであるという。それで多少夢見に影響があるものなのかもしれない。

 

 

変なマナー作ろうとするな馬鹿

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 何か、「公的な場では布マスクではなく、不織布マスクを着けるのがマナー」みたいな、変な空気が醸成されようとしている。

 まったく馬鹿々々しい。

 左の動画で報告されている、理化学研究所で行われた研究がこの変な風潮の元になっているようだ。

 確かにこの動画では不織布の性能がよい、と指摘されているが、中身をよく見なければならない。動画内では顔にフィットしない不織布マスクの隙間から多くの飛沫が飛散していることも同時に指摘しているのだ。フィルター性能が高ければ高いほど、呼気の通行も妨げられるということもこの研究は指摘しており、それはすなわち、性能が高いとされるマスクでは、かえって呼気が逃げ場を求めてマスクの周囲から通行してしまう、ということをも示唆している。

 だから、この研究の上っ面だけをとらえて「不織布マスクが今後の正しいマナーだ」などと短絡するのは間違いなのだ。坪倉博士は上の動画内でも「経済性や置かれている状況その他を総合的に判断して選択するものであり、一般の人がどのような場合でも必ず不織布マスクを選択すべきだなどと言うことは一概には言えない」という意味のことを付言してもいる。

 したがって、新聞・テレビが「使い捨ての不織布マスクが新たなマナー」みたいなことを言い出すなど、支離滅裂である。さなきだに、昨年来、あれだけマスク不足だなんだと新聞・テレビが煽ったから社会が混乱したのではなかったか。今、ようやく一般人が布マスクなどで自衛することが定着したところなのだ。

 私などは、この悪性コロナウイルス騒ぎの前から自作の布製マスクを使用している。市販の不織布マスクが自分の顔の形に合わず、頬骨や目への無用の圧迫がある上、呼気のほとんどがマスク周囲の隙間から出入りしており、これでは意味がないと感じたからだ。目の間隔や鼻の高さ、顎の幅など、自分の顔の寸法を定規やノギスで測り、立体的に縫製し、顔にピッタリと合わせてあるので、周囲からの空気の漏れはほとんどなく、呼気は布を通る。なおかつ、着けていて変なところが痛むということもない。そのため、昨年のマスク不足騒ぎの時には全く痛痒なく、何の影響も受けなかった。

 これをしも「マナーに違背するから不織布マスクを着けてこい」などとされるのは、不愉快千万である。

(かん)()

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 昨夜思い付いたとおり、朝から庭に出て、花壇の敷砂利と防草シートを上げ、(かん)()を施した。

 躑躅(つつじ)皐月(さつき)(じん)(ちょう)()馬酔木(あせび)の紅白それぞれ、それから枯れたかに見える矮性の百日紅(さるすべり)の根元の周囲にも肥料を()き込み、乾き気味の土にたっぷりと水をやった。

 残念ながら、5株の折鶴蘭(オリヅルラン)は枯れたかに見える。根からまた生えればよいのだが、とわずかに希望を残し、抜かずそのままにする。

 不食(クワズ)(イモ)の葉がすっかり萎れてしまったのを鋏で伐る。これは放っておいても暖かくなるとまたニョキニョキ大きくなることは、多年にわたり実証済みである。

 白花のほうの馬酔木に少し元気がなく、ちょっと心配な感じがする。

 紅白それぞれの沈丁花は、はや、なかなか大きな芽をつけている。春が楽しみだ。

(みぞれ)(ぼう)

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 昨夕の退勤路では(みぞれ)が降った。まだまだ冬はこれから、というのが正直なところだが、気づけば来週ははや立春である。

 通勤経路上にある道路の植栽に紅白の沈丁花があるが、その芽が既に大きく膨らみ、赤や白に色づいている。去年の秋に植えた我が家の庭の沈丁花も、よく見ると芽が膨らんでいる。

 新越谷駅駅ナカの「VARIE」に出店している「澤光青果」の店先には、早いうちから菜の花が並び、昨日(きのう)一昨日(おととい)にはもう(たけのこ)の若いのが出た。

 疲れて帰宅する間の霙にすら、そんな(はる)(どなり)の感が深い。

 今日の退勤路は昨日とは打って変わった澄んだ冬夜で、東から大きな大きな月が昇ってきた。今日の暦は旧暦十二月十七日、月は十七夜なのであるが、天文学上の(ぼう)は今日の早朝、午前4時16分で、したがって望は今日と言うことになるようだ。

 月を眺めながら、明日は庭に植えた草花にそろそろ「(かん)()」を施してやろうかな、と思う。