応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.77

投稿日:

 帰って御飯食べるなり、メリモリバリボリと音が出るほどピアノの稽古。

 それなりに調子は良かったのだが、大していい録音はできず。

 間違えるところもだいたい決まってきた。主題部のオクターブ、第1中間部の左手、第2中間部のオクターブ。最近はそこばかり練習。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.69

投稿日:

 台風一過。

 今日はもともと、沢山溜まった代休のため、仕事は休みだった。これを有意義に過ごさんものと、次女のピアノの先生に「単発レッスン」をお願いしていた私である。

 私はもともと独学にこだわっているわけではない。単に時間やお金がないこと、また、あまり頭が良くないので、レッスンに通って、普通の人のようなカリキュラムに放り込まれたら、溺れ死にそうになってついていけないであろうことがわかっているから一人我流をやっているのであって、事情さえ許せば専門の先生に指導して頂きたいのが本音のところなのだ。今日はその貴重なチャンスだ。

 楽譜と筆記具を持って、約束のとおり、まだ台風の強い10時に教室に伺った。今年の1月、次女の発表会の「トルコ行進曲」の連弾のパートナーをするためにレッスンして頂いたことがある。その時は無料で見て頂いたが、今回は私自身に稽古をつけて頂くためであるので、相応の謝礼をする。

 その「トルコ行進曲」の時も思ったことだが、いやァ、やっぱりプロの先生に教えて頂くというのは、違いますなァ。一人で「通し練習」をする回数で例えると、50~60回は練習したのと同じくらいの手応えがある。

 先生によると、私が使っている全音の「最新バイエル教則本」付録の「エリーゼのために」は、だいぶ「大人向け」の楽譜であるらしい。私は逆に子供向けだとばかり思っていたので、少し驚いた。先生の見解は、「更に言えば、このバイエル教則本自体、世間で思われている『子供向け』というのとは違い、大人向けである」そうな。どちらかというと、音大生など向けであると。知らなかったこととはいえ、思えばえらいモンを買ってしまったものだ。

  •  弾き始め

 アウフタクトの分の、1拍目と2拍目を数えるようにする。それにより、続く曲本体の拍が、本来の拍の感じになる。「(イチ・ニ、)ミ#レミ#レミシ♮レドラ~・・・」という風である。

  •  ペダルをかなり整理

 楽譜が「大人向け」ゆえ、だいぶ弾き手任せなところがあったり、ペダルなどは「踏めるもんなら、これくらいの踏み方も挑戦してみてチョ」と言う位沢山書いてあるのだそうだ。だから、第1中間部で16分音符でペダルを細かく踏む所などは、私の場合なら省略してしまって良いらしい。

 それで、先生は第1中間部のペダルを殆ど整理して下さった。各小節の頭だけ踏んでいく感じだ。その代わり、単にペダルを踏まなくて良いと思ったらダメで、「手でスラーする」ことが大切である。

  •  第1中間部の入り口

 曲の全体像から考えていくと、楽譜どおりをやめ、ペダルせず、軽く弾くとよい。作文で例えて言うなら、段落が改まるところで、「そして、」などという言葉を入れる感じである。

 チナミに、他の楽譜では、ここは「メゾスタッカート」になっている。

 「シ~ララソファミレドシ~ラ~」(25小節目)の、最初の「シ」は一番高い音で、大事だから、気合いを入れて弾く。だが、強く大きく弾けというのとは違う。頑張って大事に弾く。

 また、このあたりの左手は「ファラド・ファbシレ・ファソbシミ」のキレイな和音を分散にしているので、和音を感じながら綺麗にやる。

  •  指使いをかなり修正

 指使いを合理的にして下さった。ただ、なかなか弾き慣れるものではないから、例えるとイビツながらも概ね組みあがっていた機械をもう一度分解したようなもので、通して失敗しないで弾くことは私にはかえって難しくなってしまった。直して頂いた指使いに変えるには、おそらくまだ数ヶ月の練習を要するだろう。

  •  終盤前のオクターブ(ラドミラドミレドシラドミラドミレドシ・・・)

 入り口の、「ド~・ミ」のところの、「ミ」が、私のだと短く弱すぎる。もっと「厚く」してよい。ただ、「イチニィ(サン)・イチ(ニィサン)」の音の長さを守る。

 オクターブを飛んで弾くのに「指くぐり」風の親指の型を指導して下さった。そのコツとして、「肘を使う」ようにするとよい、とも。親指をくぐらせるとき、少しばかり肘を外に張るのである。

  •  曲の最後の「レドシラ~」

 「間」を。「レドシ」と「ラ~」の間のところは最も重要である。

 このような具合で、他にも書ききれないほど多くのことを教わった。一生懸命教わっているうち、ハッと気付いたら、あっという間に2時間が経過してしまっていた。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.59

投稿日:

 休みであるから、朝からせっせと練習に励み、都合31回、ビッチリと練習した。だが録音を残すような成果は得られず。

 月曜は次女のピアノのレッスン日である。今日は月曜、私が休みであるので、レッスンへは私が連れて行った。

 これは幸いと言うものだ。レッスンが終わってから、次女のピアノの先生に聞いてみる。すなわち、

「ワタシは今年の春から徹底、『エリーゼのために』を練習している。もうカレコレ半年はこればっかり弾き続けている。500回か600回は通し練習をしているハズ。だが、どうしても2~3のミスタッチがなくならない。スロースピードで弾いたり、いろいろやってはいるのですが。どうしたらいいでしょうか。何か良い練習方法はないでしょうか。」

 得たりと先生、実によい助言を下さった。

  •  逆から練習

 間違えるところの原因は、間違えるところの前にある。間違えるところから初めて、フレーズごと、あるいは小節ごとに、逆向きに遡って引いてみるのが良い。また、音符を逆から弾いてみるのも研究になる。ただ音符逆向きはいささかむずかしいが・・・。

  •  間違えるところを中心に練習

 間違えるところ1小節を弾き、次にその前後の小節とあわせて3小節ほど弾く。同様に前後の小節を増やしていきながら弾いていく。間違うところが重点になって、この練習は効く。

  •  後ろのページから練習

 後ろのページから曲の区切りごとに逆に弾く。これをやると、曲の後のほうに重点がいき、たとえば本番で弾くときに、後に近づくほど得意なところになってラクになるという効果がある。

  •  音名で歌う

 間違うのは結局正確に記憶していないことが原因の一端にある。そこで、音名で歌うことを繰り返すと間違いは減る。実際、間違うところを音名で歌おうとすると、歌えないことが多い。
 (但し、『ゲッ、私、ほとんど全部、音名なんて覚えてないッス』と言ったら、『あー、大人の人はそうなっちゃうんですよねえ。やむをえないですけどね』とのこと。)

 ・・・なぁ~るっほっどっ・・・さすがはプロの先生ッ。コレだっ。

 帰り際、「近いうち一度、単発で稽古をお願いしたいのですが」と申し出ると、笑って「じゃ、親子割引で」と快諾くださった。

 帰宅して早速、曲の区切りごとに逆に弾いたりなどしてみた。ぬぬぅ、これは効くぞ!!

政府も

投稿日:

 いつぞや、「ゴールデンウィーク」という言葉の起こりを聞いて、ゴールデンウィークをゴールデンウィークと呼ぶことに抵抗を覚えるようになった。

 ゴールデンウィークというのを休日が続いて黄金のように楽しいと言うような意味にとらえてしまう人が多いようだが、実はそうではない。テレビが各家庭に普及していなかった昭和30~40年代、庶民の娯楽は夕時の寄席や休日の映画であった。「ゴールデンウィーク」なる言葉は、その映画業界から出てきたものだそうだ。つまり、映画業界が連休の家族連れでザクザクと書き入れどきになるという意味の「ゴールデンウィーク」である。

 これは、映画業界、すなわち「あっち」にとってのゴールデンであって、「こっち」にとってのゴールデンではない。

 そこからすると、「ゴールデンタイム」というのはテレビ業界にとってのものであって、こちらにとってのものではない。楽しい番組が目白押しの家庭団欒の輝ける中心時間、ということではないのである。テレビ会社のヨダレ塗りたくり系視聴率猟場といったほうがよかろう。「あっち」にとってのゴールデンだ。

 子供を育てていると、夜の19時ごろから21時ごろと言うのは、正しく食事をしたり、勉強をしたり、後片付けをして風呂に入ったりするという極めて重要な時間であるということを日々認識させられる。この時間帯をどのように過ごすかが育児の鍵であると言い切っても差し支えあるまい。

 この時間帯、私自身はできる限りテレビを見ないようにし、勉強したりピアノの稽古に励んだり、活模範を展示しようと努めてはいるのだが、子供たちにとってはそんなことはまったく関係がない。この大切な時間にポカンと口を開いてだらだらテレビを見て過ごし、寝るのが23時にもなってしまっている。それを徹底矯正できない自分の指導力のなさもよく考えると父として恥ずかしい限りだ。だがしかし、テレビにはそれくらい人を毒する魔力があるのだ。

 テレビ屋は、自分たちがどれくらい毒のある手段を持ち、その毒がどれほどの影響力を揮っているかをわきまえるべきだ。もっと慎重自虐に仕事を運ぶべきなのだ。テレビ屋は自分たちでは「『ゆとり教育』はけしからん、バカな文部官僚のくだらん思い付きによって日本はバカになっている」などと好き勝手な言説を垂れ流し、すべてを行政と政府と官僚のせいにしているが、そのくせ自分たちのやっていることは全部デタラメだ。もっと反省するべきだ。

 政府も、「サマータイム」などという毛唐流のおかしな習慣の導入などにムダな時間を使っていないで、この「ゴールデンタイム」と称する腐ったテレビ屋の習俗を法律で禁止してはどうか。そのほうがよっぽど日本の国力は増進するだろう。

 低俗でつい見てしまいたくなるような番組は、すべて朝の4時30分から6時ごろに集中させればよい。国民はみな早寝早起きとなり、ラッシュアワーの緩和などにつながって住宅の問題が軽減されるし、適正な睡眠によってデブが減り、生活習慣病が減少して医療費などの問題解決に幾分か寄与するだろう。

 かわりに、夜の19~21時ごろには、「皇室アルバム」とか「浪曲アワー」、「100歳万歳」「日めくり万葉集」などの、その内容に比して不当な評価をあてられている番組を一斉集中させるのがよろしい。

 仕事が終わった夜のひととき、静謐誠実なおん人柄の天皇陛下のお姿をテレビにて拝し奉れば心気鎮まって自ずと至心起こり、また浪花節の渋声に心を浸せば、人情と武士道が綯い交ぜになって胸に迫り、あるいは100歳の寿を誇る老人の魂をその姿から感じ取れば、高齢化問題に性急な断を求めようとする不孝の罪心を恥じる気持ちが湧くであろうし、他方、夕のひとときを万葉の精神に触れて過ごせば、古の直なる言の葉は都会に荒びきった愚かな迷いの心を開放するに違いない。

 ここに一億の魂が洗われて、沈滞する日本の命運は一挙に挽回されるのであるッ。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.37

投稿日:

 盆も仕事の私である。

 さて、「エリーゼのために」、相変わらず練習中である。

 先週、珍しく家内が「ねえねえ、あの『辻井伸行』さんの『英雄ポロネーズ』、買ったやつ聴かせて」と言うから、ヘッドフォンステレオをピアノのスピーカーにつなぎ、二人で聞いた。すばらしい演奏だ。

 その時、思いつきで、ついでに大導寺錬太郎という人の「エリーゼのために」も聴いた。この人は高名なピアノの先生だ。

 「エリーゼのために」くらいの初心者向けの曲は、有名な奏者の演奏を聴いて参考にしようと思っても、なかなかレコードなどが見当たらない。しかし、「ピティナ」のホームページへ行くと、その中の「ピアノ曲事典」の中に、上の大導寺氏の演奏と、同じく高名なピアノの先生の故園田高弘氏の演奏の二つがあり、無料で聴くことができる。

 通勤時にでも聞いて稽古の足しにしようと思い、ダウンロードしてヘッドフォンステレオに入れてあったのだ。

 そこで、チョイとイタズラをした。

 大導寺氏の「エリーゼのために」を家内と聴いた後、「それじゃあ、ちょっと勉強に、ドイツ音楽の権化と言われている、南米の名ピアニスト、クラウディオ・アラウの『エリーゼ』を聴いてみようよ。これは最近発見された珍しい録音なんだ」とかなんとかテキトーなことを言って、まったく別の演奏を鳴らした。実はそれは、前回の私の演奏である。

 家内と娘たちはフムフムといいながらそれを聴き、「おお、やっぱり音色が違うわねぇ」などともっともらしくうなずいている。

 1~2分ほど聴いて、適当な頃合、

「ええい、愚か者めらが!!これはなァ、昨日のワシの演奏ぢゃッ!!」

 と、暴露してやったのであった。家内は眉間をよせて変な顔をしたが、「ナニよそれもう」と言って笑った。

 しかし、固く信じ込んで聴くと、私の素人演奏も、老いて円熟した往年の名ピアニストの演奏に聞こえなくもないところがなんだか笑える。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.35

投稿日:

 「エリーゼのために」、週日の練習となると、もう、なんだかムリヤリ弾いている感じである。なかなかうまくもならず、苦しい。今日も録音成果はなし。

 夜、帰宅してみると、次女が半ベソかきながらピアノの稽古をしている。家内にピアノの練習しなさいと度々言われても弾かず、ついに叱られたのだ。しぶしぶ弾き出したものの、家内も忙しいから家事などをしはじめてしまい、それで、家内にピアノを聞いてもらえないのが次女の不満らしい。

 しばらく眺めていると、本当に面白くないらしい。顔に「ピアノ嫌、面白くないッ」と太々と書かれている感じである。しぶしぶと弾くル・クーペの練習曲は、間違いだらけで、音にも面白くない気持ちが滲み出している。

 「お前、本当に、ピアノがイヤなんだなァ」と私。

 次女が身構える。以前に「そんなにイヤなのなら、無理に続けなくっていいッ!教室も辞めてしまえ!そして、一生ピアノなんか触るな!!」と怒鳴りつけたことがあるからだ。だが、今日は怒鳴る気は私にはなく、

「いや、別に『イヤならやめてしまえ』なんて、お父さん、今日は言わないよ。ただ、ホントにお前は、ピアノがイヤで、面白くないんだなァ、ってことが、よくわかったってだけだ」

そう言ったら、

「嫌いじゃないモンッ!面白くないとか嫌いとかじゃなくて、好きとかでもなくて、えっと、『普通』だもんッ」

「・・・ナニを言う。顔におっきな字で『面白くない』『嫌い』って、書いてあるわい。」

「書いてないもん。マジックとか鉛筆とかで書いたりしてないもん」

「ハハハ、顔に書いてあるのは『心の字』だから、マジックで書いたわけじゃないぞ」

「じゃあ、消すもんッ」

次女は強情を張り、棚から消しゴムを取ると、本当にそれで顔をこすりだした。

「あー、顔に書いてある字は消しゴムでは消えんぞ。『心の字』だからな。ホンモノの消しゴムじゃなくて、『心の消しゴム』じゃないと消えんワイ」

「えーっ、そんなあ」

「ふむ、心の消しゴム、か・・・(我ながらなかなかイカすことを言ったもんだワイ、と思いつつ)心の消しゴムはどこにあるかナ、と・・・ああ、あった。お前、お母さんの後ろに行ってみ?」

と、台所で汁なんか煮ている家内のほうを指差す。素直に次女は台所へ行き、家内の後ろに回る。

「お母さんのお尻で顔こすってみ?『面白くない』っていう字が消えるから」

次女は家内のお尻で顔をゴシゴシとぬぐい、家内も次女の小さいやわらかい手でお尻を触られて、少々笑う。

「ほんとうだッ!消えた消えた!」と次女が笑い出した。

 家内はというと、小言のホコ先がチャカされたようで、少々面白くない顔つきになったが、まぁ、こういうひとコマもアリかな、と。

 次女があらためてまたピアノに向かい、テレマンのガヴォットを弾き始めたら、楽しげな音色に一変した。

 「じゃあ、かわるがわる練習しよっか?」と、私も練習を始めたが、一度づつ弾いたところで晩御飯が出来上がり、「御飯よ~」と家内の喫食命令が出たので、練習もそこまでとなった。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.15

投稿日:

 たびたび記すところであるが、全音の「全訳バイエル」と「最新バイエル」の巻末には応用曲としてベートーベンの「エリーゼのために」が付録されている。「エリーゼのために」は、バイエル修了の総仕上げ的な位置づけにあるのだ。

 私が使っている「最新バイエル」の巻末の応用曲は、ケーラーの「半音階のポルカ」、「エリーゼのために」、それからバイエルの「アザリア・ポルカ」の3曲であり、今私は「エリーゼのために」を弾いている。

 日々練習に励んでいる。だんだんと弾けるようにはなりつつあるものの、その進度は速くはない。だが、それを引け目ともなんとも思っておらず、毎日楽しく弾いている。なにせ、自分で勝手にやっていること。ピアノを練習する義務もなにもない。いつやめようが誰に文句を言われるわけでもなく、まったく気楽な身分とはこのことであろう。

 練習は毎日一進一退の様相であり、今日はうまく弾けたかなあ、今日はぜんぜんダメだなあ、いや今日ときたら昨日より下手になっている、などということの繰り返しである。

 最近、また朝練習をするようになった。5時に起き、5時20分までに朝食をすませ、トイレから出ると5時半である。5時40分に家を出るのだが、それまでの10分間、ピアノを稽古する。無論ヘッドフォンをつけるのだが。この朝練習が非常にいい。びっくりするくらいうまく弾けることが多い。

 仕事から帰ったあともピアノの練習はするが、殺伐と仕事をして帰ってくると、自分ではそうは思っていなくても疲労は澱のように体と精神を汚しており、朝の10分間以上にうまく弾けることは少ない。

寄り道 「よぞらのパーティ」 その2

投稿日:

 「よぞらのパーティ」という曲がある。 

 次女が今のピアノの先生に替わる前、近所のヤマハの教室に通っていた頃に弾いていた曲で、私も弾いてみたものだ。

 ・ 一昨年の4月の記事

 急に思い出されて懐かしくなったのでまた弾いてみた。

 ・ よぞらのパーティ 佐藤演奏

 耳で聞いて覚える曲だから、調もなんだかわからないし、左手もどうだったか忘れてしまった。だから、こうかなあ・・・?というようなうろ覚え記憶で弾いた。たしか、左手は「いろんな弾き方で弾いてみましょう」というような課題だったと思うので、たぶんこれでいいんだろう。

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その1.7

投稿日:

 いよいよ明日は次女のピアノ発表会である。主役は次女だが、連弾で登壇する私にとっては大げさに言えばステージデビューである。

 今日も土曜日で休みだから、直前の稽古ということで、次女のピアノの先生が見てくださることになっていた。あいにくと東京近辺は朝から嵐だったが、うきうきと教室にお邪魔する。

 今日は直前ということもあってか、たくさんのご指導はいただかなかった。だいぶ自信がついたように思う。

 しかし、より高度な演奏を目指すなら、という意味を込めてか、私にとってはかなり難しい「終盤のピアニッシモの弾き方」をご伝授くださった。その内容は多分に体感的なもので、文字で表すのは非常に難しい。グランドピアノのキーを押し下げていくと、ある点で手ごたえがあり、ピアノのハンマーが、トン、と弦を叩くところがある。デジタルピアノのカタログに見る「エスケープ」のところだが、そこのところで手首を一緒に下げて力をやさしくしながら、ハンマーに弦を叩かせるのである。これはなかなか加減が難しく、一朝一夕にできるものではないと思った。

 また、左手が伴奏的で、右手が「歌う」ような曲のとき、「左手は少し弱く、右手は強く」弾く、ということがあるが、これは初歩の段階で練習することで、またそれほど難しくない。ところが、先生によると、「左手右手のバランスだけではなく、和音を弾いている片手の中でも、『小指を強く、親指を弱く』というような差をつけて弾く」のだそうで、実際に右手のドミソの重音の和音を、ソが強い場合、ミが強い場合、ドが強い場合と弾き分けて聞かせてくださった。それは、音感のない私にも明確な違いの感じられる弾き分け方で、さすがはプロ、ほれぼれと聞き入るような美しい響きである。小指を強くしたものには澄んだ意志のようなものが、中指が強いものには複雑な味付けが、親指が強いものには揺るぎのない安心感が感じられた。

 これは私にとってはかなり難しく、思わず「エエッ、無理ッ」とつぶやくと、「ムリじゃない、ムリじゃない」と先生。ピアノをきちんと習っている人には基礎的な事柄のようである。

 こういったところが、先生に習うことと、独習することとの違いなのであろうな、と感じ入った次第である。

 風邪気味であるが、ひどくならないように心がけ、今日は早く寝て明日に備えたい。

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その1.6

投稿日:

 引き続き連弾用のトルコ行進曲の練習を進めつつある。

 今日の午前中は、特に連弾のレッスンということで、次女のピアノの先生にかねて約束があった。次女と二人、教室に伺って稽古をつけていただいた。

 やはり、専門の先生に稽古をつけていただくということは、独りで弾くのとは次元のまったく違う、刺激の多い、すばらしいことであった。

  •  「p」「pp」などは、この曲の場合、「小さい音」で弾くことではない。「遠くの音」で弾く。頭から?マークの出た私に、「『遠くの音』で弾くには、例えば、実際に遠くを見てみるといいです」と御教示くださった。実際に試してみると、本当に遠くで鳴っているような音になったので驚いた。
  •  「f」や「ff」は強いからといって強く弾いてもだめで、逆に手の力を抜く。教えられたとおり手の力を抜いたら、本当に非常に大きな音になった。また、「『バーン』ではだめです。いわば、『ドンッ』と弾いてみてください」と言われた箇所があり、いわれるままそうしてみたら、これも本当に「ドンッ」とした音が出た。
  •  終盤の弾き方について、「お父様のはレガートで、オーケストラのチェロが低音を滑らかに弾くように。そのときのコツは、手を動かさず、低く抑えるように弾くこと。智香ちゃんのスタッカートは、オーケストラのバイオリンがスタッカートを弾くように」とおっしゃった。うまいこと例えてくださるものだなと思った。

 レッスン後、先生に手の格好はどのように考えるべきかを尋ねてみた。私は手首がどうも下に下がる傾向があるようで、それが前から気になっていたからだ。そうしたら、意外なご教示を下さった。すなわち、「音中心」で考えよ、とおっしゃるのである。

 子供の場合は、基本を身につけさせるため、あくまで、例の「卵を握るように」という手の「型」を重視して教える。(『ちかちゃんにもそう教えています』と先生)だが、それはそれであり、大人の場合は必ずしもその限りではない。つまり、「ある演奏」や「ある音」を追求した結果、「その演奏」「その音」を出すための「ある手の型」になるのであり、逆に「手の型」に拘泥して「要求される音」が出ないのは主客転倒である。

・・・とのことである。なるほどなあ、と非常に納得のいくところ大であった。

 得たところが非常に大きかったので、この先生のピアノのレッスンに通えたらなあ、と思った。だが、仕事をしているとなかなかそうもいかない。ここ一番の緊要な段階で、単発で稽古をつけてもらえないかと考えた。そこで、帰り際に、

「きょうスグ、いまスグ、というわけではありませんが、『単発』で稽古をつけていただくというわけにはいきませんでしょうか。応分の謝礼をいたしますので。仕事をしていますと、なかなか、週1回とか通うのが難しいもので・・・」と言ってみたら、快く「そのつど言ってください、ご相談に応じます」と言ってくださった。

 来週も連弾の稽古をしてくださる。その次の日にはいよいよ発表会である。楽しみだ。

 レッスンに行く前にも帰ってからも、次女ともども、相当気合いを入れて稽古をした。弾いた回数を楽譜に「正」の字で記していたら、エラいことになっている(笑)。

Img_0669