読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第12巻、「美の本体(岸田劉生)/芸術に関する101章(アラン)/ロダンの言葉(A.ロダン)/ゴッホの手紙(V.ゴッホ)/回想のセザンヌ(E.ベルナール)/ベートーヴェンの生涯(ロマン・ロラン)」のうち、「美の本体」(岸田劉生著)を読み終わった。

 岸田劉生といえば、なんと言っても娘を描いた連作「麗子像」が有名である。「麗子像」には43点もの作品があるが、そのうちでも国立博物館蔵の重要文化財「麗子微笑」を知らぬ人はないだろう。

 本書の解説はその娘の岸田麗子氏が書いている。解説の最後に「一九六二・四・一二」(昭和37年)と日付があるのだが、岸田麗子氏はそのたった3か月後の昭和37年(1962)7月26日に急逝している。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第12巻「美の本体」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。
p.14より

 ここに美術家の人類の使徒としての自覚がある。美術家は直接この世界の邪悪と戦ったり、善をすすめたり、真理を説いたりする仕事に(たずさ)わらない。

p.14より

 画家がいくら仕事したって、この世は善くならないかもしれない。しかし画家が一つの仕事をでもすれば、この世はそれだけ美しくなる。「この世が美しくなったって善くならなければしようがない」というものがあれば、その人のいう善というものの貧しきを(あわれ)む。

p.48より

人生や芸術には「事実」以上のことがある。人生の目的にとって、「本当」のことか否か、これが大切である。すなわち、「事実」と「真実」の相違である。「事実」はいたるところにある。否すべてのことは皆事実で、ある人が(くさめ)を一つしてもそれは「事実」の一つである。しかし、「真実」はそうやたらにはない。しかしすべての事実の中にも秘されてあるともいえる。否、もっと確かにいえば「真実」は、真実を持つ人の心の(うち)にひそんでいるといえる。トルストイが死刑囚の首が落ちるのを見て、「これは悪いことだ」と心の底からいったのは、、事実の中に動かせない「真実」を見たのである。その場にいた他の多くの見物人は、ただ首の落ちる事実を見たに過ぎない。

 人生にとっても芸術にとっても大切なのはこの「真実」である。美術における自然はこの「事実」に相当する。そして「真実」はすなわち美である。

p.70より

 今日の画家の審美はあまりに自然的、またはありのままということに囚われている。これはそれ以上のものを見ることができないのが原因である。

 次は同じ巻の「芸術に関する一〇一章 Préliminaires à l’esthétique 」(アラン Alain 著・斎藤正二訳)である。アランはフランスの哲学者で、本名をエミール=オーギュスト・シャルティエ Émile-Auguste Chartier という。パスカルやロシュフコーに連なる、いわゆる「モラリスト」哲学者である。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読み進めている。

 第11巻「芸術の歴史」(H.ヴァン・ルーン著)を読み終わった。

 著者のH.ヴァン・ルーン Hendrik Willem Van Loon と言うと、この全集第8巻で読んだ「聖書物語」の著者である。

 人類有史以来の芸術について平明簡易に語り進めるもので、絵画・建築・彫刻・音楽は言うに及ばず、宗教や思想など、芸術にかかわることのほとんどすべてを論じている。欧州の芸術に軸足を置いて論じてはいるが、その視野は漏れなくインド・中国・日本などのアジア、また南北米大陸にも及んでいる。

 この本を読んで強く感じたのは、芸術というものが技術開発と密接不離に進歩するものだということだ。技術と、それを使用した表現に、貴族・武士と言った一部の階層からの保護が与えられて、芸術が今日の大成を見るに至ったのだということである。もちろん大衆の支持もあるが、本書が芸術として取り扱っているものに関しては、金のない大衆は芸術にはあまり寄与していない。そのことを振り返ると、例えば漫画やゲーム、ネットコンテンツも、将来、一定の助成などが与えられて初めて芸術として認められていくのではなかろうかと思われる。

 ルーンは、個人にあっては、天分よりも、絶えざる錬磨、技術の向上が芸術の大成には必要である、と繰り返し説いている。

 他に、この本には、書かれた時代(昭和12年(1937)、すなわち第2次世界大戦直前のナチス・ドイツ台頭期)が色濃く反映されていると感じられた。作品の随所でヒトラーを批判するのみならず、ヒトラーが崇拝するワグナーなどの芸術をも批判する雰囲気が濃厚である。「坊主憎けりゃ……」なんとやら、というところか。

 翻訳は(たま)()(はじめ)という人で、この人が解説も書いている。玉城氏は自由主義者で多少左傾の(おもむき)もあったのか、戦前、「企画院事件」などというものに関係して逮捕されている。本書の翻訳は戦中、昭和18年に着手されたのであるが、検閲などの苦労があったらしく、解説には本書の見出しの翻訳について、「『インド・中国・日本』という翻訳を、『日本、支那および印度』と書き直させられた。あまりにもばかばかしい」という意味の愚痴を書き連ねている。今となってはむしろ微笑ましくすら感じられる。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第11巻「芸術の歴史」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.96より

 私はアマチュア大賛成である。けれどもよいアマチュアは「アマチュアくさく」なることを注意深く避けている。それはどういう意味なのか。そうだ、ちょっとした才能くらいで気の毒なほどの技術の欠如を克服できると考えるのは生意気というものである。

 どんな男、女、子どもでも自分を独自の方法で表現する権利があるということをこのごろよく聞く。私は一瞬間でもその立派な権利を否定するものではない。ただしその作品はしまっておいてもらいたい。というのは技術をもたない天才は、目にも耳にも、余りにも痛々しいからである。

 二十年前ならばこの点を強調する必要はなかったかもしれない。生活のあらゆる部面で現に進行しつつあるあらゆる古い価値の大きな再評価は、わが音楽家、画家、詩人の卵たちの中にもはっきり現われ、人々はよく尋ねるのである、「どうして相も変わらずこんな技術をくりかえすのか、『古典的方法』とやらにこだわるのか。天才だけで十分ではないか」と。

 いや、天才だけでは十分ではないのだ。

p.181より

 今日レ・ボー(フランスのブーシュ・デュ・ローヌ県の町――訳者)の廃きょ(墟)をたずねると、昔ここがエルサレムを支配した王の都だったとは想像しにくい。そして諸君がたとえぼう大な石の堆積の下に、小さな、悲しくも忘れ去られた庭園を見出したとしても、それがかつては愛の園で、貴族のトルバドゥール(十一世紀から十三世紀末ごろまで、南フランスや北イタリアに起こった抒情詩人――訳者)たちが集まっては、その選んだ貴婦人の完璧な美しさを誰がもっともうまくうたえるかを競い合っていたところだとは、よもや信ぜられないであろう。

 ところがそこはそういう場所であったのだ。まさにその小さな庭園ではじめて、蕃族の卑しめられた土語の一つが、それまであらゆる文学や詩が書かれていた公用のラテン語と対等にはり合う機会を得たのである。まさにここの、今茂っているオリーヴの樹の祖先たちの下で、世界の他の人々が罪深いこの世の快楽に対してかたくなに背を向けていたとき、プロヴァンス人たちは美と笑いと幸福への権利を大胆に主張していたのである。

p.183より

しかし騎士道は、単なる戦士にすぎない連中は相手にしなかった。騎士道は特権よりもむしろ騎士の義務を重んじたのである。騎士道は、騎士が一段と高い地位にあるがゆえに、かれらが群をぬいていんぎんで、礼儀正しく、寛大な態度をとるように要求した。こうしたことは西方世界ではずっと昔から聞いたことのあるものではないのであって、ハルン・アル・ラシッド王時代にしばしばバグダッドの宮廷を訪れるのを常とした騎士たちの尊重した理想と、非常に似たものをもっていた。

p.217より

 諸君も認めるように、ローマ帝国というものはそれだけでも実はたいしたものであった。たとえ廃きょ(墟)となっていても。精神的な観点からいえば、それは西洋文明の中心地としての昔の地位を維持することをけっしてやめなかった。それが今ではまたもや、世界じゅうのあらゆる「近代人」がそれによって家や事務所を建てなければならず、さもなければ救いがたい旧式だと思われるような新しい建築様式を指示することができるようになったのである。というのは、その新様式が流行の対象となったからである。ちょうどゴシックやアン女王時代の様式が、毎日のようにわが国の大学を建てている博愛主義者諸君の流行の対象となっているように。次の二世紀の間にそれは大陸の隅々にまで浸透した。そしてその勝利をおおいに助け、後押ししたのは、芸術の領域への新来者――職業的建築家であった。

p.252より

 さてこの辺でおなじみのウッツェロ、すなわち小鳥飼いのパオロにかえろう。かれの名は透視法の発見と永久に結びついているからである。

p.260より

どんな芸術にも平凡な、普通のきまりきった仕事がどえらく積み重ねられている。近道はないのだ。ピアノを弾いたり、ソナタを作曲したり、彫刻をしたり、いい散文を書いたりすることを諸君が本当に学びたいならば、ただ同じことを何度も何度も、何時間も、何日も、何年もくりかえさなければならない。一生かかっても絶対の完成に達するにはたりないからである。そして趣味というものは鑑賞する能力にすぎないのだから、諸君が本当に一流芸術家になりたければ、見聞きすべきあらゆるものを見たり聞いたりしておかなければならない。そして神様が諸君にも恵みを給うならば、いつの日にかは大芸術家になる望みも出てくるであろう。けれどもそのことは仕事を意味している。さらにもっと多くの仕事、石炭荷揚げ人夫や下水掘り人夫でさえもいやになるほどの仕事を意味するのである。

p.289より

 さて芸術の本を書いているのだから、この人の労作を要約することばを二、三走り書きしておかなければなるまい。この人の作品の前に近づくとき私は妙にひざの力がなくなってゆくような感じがし、誓って私の魂とは全く無縁な謙譲の念が生まれてくる。ともかくも私には一つのことがいえる。その老いた人はそのことを理解していただろうと私には思われる。

 ミケランジェロの偉大さは気高い不満にあったのである。――他人に対してではなくて、自分自身に対する不満に。この世のあらゆる偉大な人々、ベートーヴェンやレンブラントやゴヤやヨハン・セバスティアン・バッハのように、ミケランジェロも「完璧」ということばの意味を知っていた巨人であった。そしてはるかにカナンの地を望見していたモーゼのように、自分の力でかちとることのできないものを手に入れることは、かよわいわれわれ人間にはできるものではないということを悟っていた。だからこそそれは気高い不満なのであり、それはあらゆる知恵の始めであるばかりでなく、すべての偉大な芸術の始めであり、終りでもあるのだ。

p.328より

それはどんなにうまく生き残ったものでも、国王フィリップ二世の即位までに破壊された。

 この君主ほどの権力を一手に握れば、芸術様式全体をつくることも、滅ぼすこともできる。カトリックのジョン・カルヴィンともいうべきこのあわれな狂信者は、一つのばかでっかい、単調きわまる建物――マドリッドの近くにある冷たい灰色の石のばく大なよせ集めで、エスコリアルと呼ばれる建物に自分自身を表現しようとした。

p.329より

 しかしだからといって、スペインがバロック様式の指導者になったといえば誇張であろう。スペイン人は他の人民よりいっそう多くバロック様式をヨーロッパじゅうへ普及することに貢献するはずであったが、かれらの建築時代は終わった。建築には金がかかったのに、スペインは破産したからである。外国人資産の管理についての完全に誤った考え方、非スペイン人全部(ムーア人、ユダヤ人とも、その民族の中でももっともよく働く人々であった)を排除し、経済組織の中での小農民の重要性を全く見落とした人種的うぬぼれ――こういう国は新世界の金山全部をもっていても生き残ることはとうていできなかったのである。

p.330より

 そのもっとも初期の、そして最大の画家の一人は外国人で、クレタ島から来たギリシア人であった。ドミニコス・テオトコプロスといい、ローマ(一五七〇年にかれはそこに到着した)ではドメニコ・テオトコプリとして知られ、ギリシアのこみ入ったつづりをうまく発音できなかったスペイン人たちはかれをエル・グレコと呼んだ。このことばをみても、かれらがこの人を「外国人」と見なすことをやめなかったことがわかる。

p.418より

ロシア人は建築のことになると余り工夫の才を示さなかった。かれらはイヴァン雷帝の奇怪な建物にがまんしていた。こんどはピーター大帝のバロック的ロココ趣味にも文句をいわなかった。今後もかれらはおそらく誰かが与えてくれるどんなものにもしんぼうするであろう。自分たちはまだ若いのだとかれらは弁解する。ほんの始めたばかりだからというのである。それなら一つかれらのすることをしばらく見ていようではないか。それがもっとも愛情深い立場というものである。

p.418より

 イギリスでは奇妙な発展があった。十七世紀の前半のイギリス宮廷は(チャールズ一世とその王妃のほかは)、全く不道徳で救いがたく無能であったことは疑いない。しかし美に対する非常な愛好心をもっていた。

 ……「救いがたく無能」て、いやもう、ボロカスやな(笑)。

p.434より

かれらの作品の一番よい例はアジア最大の遺跡の二つに見られる(アジアはとりわけ遺跡の多い大陸であることを想起せよ)。中部ジャヴァのボロブドウルとカンボジアのアンコール・ワット寺院の二つはともに、上から下までさまざまな彫刻におおわれており、その表現の正確さと観察の明瞭さはわが西洋のどの彫刻家の追随をも許さない。

p.434より

 初期の仏教布教者や改宗者の冒険的な生涯を描いたこれらの無数の浮彫りがいつごろつくられたものか、正確にはわかっていない。けれども回教徒がジャヴァを征服するずっと以前であったにちがいないから、シャルマーニュ王時代に当たるものであろう。この遠い国でつくられたものを見てそれをシャルマーニュ時代の建築家や彫刻家の不器用な作品と比べてみると、われわれの祖先は非常に貧弱なものしか刻んでいないし、その子孫もたいしたものにはみえない。そうでもなければこの仏教のアクロポリスともいうべき建物と、そこから数マイル離れたメンドウトの薄暗い寺院の中に千年以上もじっとすわっていた黙然たる仏陀の像とのちょうど真ん中に、どうして、きたならしいちっぽけなキリスト教の礼拝堂を建てるようなことをしたのであろうか。

p.436より

 それに中国人に特有な徳の一つである――忍耐ということもつけ加えた方がよいであろう。なぜなら、とくに青銅や硬玉細工、うわぐすり(釉)、陶磁器などで、中国人は忍耐力を示していた。それは時間の観念を全くもたないことからのみ生まれることができたものであった。

 同じことはかれらの絵画にも当てはまる。それは一つの絵をかくのに時間が非常に長くかかったということではない。かれらの絵画は書道から発達したもので、字を書くように絵を「書いた」といった方がよいものなのである。何週間も何ヵ月もかかる西洋の油絵とは対照的に、何分かあれば十分かけたにちがいない。しかし西洋の画家が一たるほどの絵の具を使い、無数の明暗の色合いでやっと表現できるものを、わずか数本の線で表現できるほどの運筆の妙を会得するのには一生かかったにちがいないのである。

p.438より

 東洋人は本質的に非科学的な人間(かれらにとっては西洋の科学は安い自動車をつくるときに必要であるほかは全くどうでもよいものなのだ)であるから、そんな抗議をすることこそばかげたことだと思うであろう。その山の精神と言うものがある。その山を見たことのある人なら誰でもすぐそれがわかるであろう。だから右の斜面にはもうひと(かたまr)の雪があるとか、左の斜面には小さな黒い岩が見えないとかを気にかける必要がどこにあろう。

p.439より

 もちろん日本人が長い間他の世界から鎖国していたことが、日本独自の様式を発展させ、中国人の先生から学んだものを忘れさせるのにきわめて有利だったということはある。けれども日本人が中国の教師たちと共通にもっていたものが一つあった。それは自然に対する大きな愛情であった。十八世紀の後半と十九世紀の前半の間に、日本の偉大な画家――歌麿、北斎、広重――は、筆をとり絵の具を混ぜてはかれらの観察した文字どおりあらゆる人や物を描きまくった――無数の風景、鳥、花、橋(かれらは西洋の中世の画家たちと同じように橋が好きだったらしい)、道、滝、波、樹、雲、そして霊峰、白雪をいただく富士山をあらゆる角度から百枚も描き、役者や女形、たこ(紙凧)をあげる少年や人形と遊ぶ少女など――事実神様が想像したものなら、何でもござれで喜んで描いたのである。

p.440より

芸術品を研究する場合にはつねに、できるだけ現物を見ることである。それについて本を読まないこと。それを見、それから比較して見よ。たとえばブリューゲル(兄)か、パティニエかニコラ・プーサンの風景画をもってきて、范寛(四百年前、征服王ウィリアムのころの人〔いわゆる宋初の三大家の一人――訳者〕)の冬景色の絵に並べて見よ。または光琳(尾形光琳、一六六一―一七一六)の花と、オランダ人ドンデケーテルかフランス人ルノアールの花を比較して見給え、そうすれば諸君は、中国と日本の芸術がいかに本質的に暗示の芸術であるかがわかるであろう。そしてペルリ提督が有名な一八五三年七月十四日に、天皇(ミカド)にフィルモア大統領の手紙を送り、西洋諸国民に対して国を開くようにとの大統領の申出に耳を傾けるよう強要したことが、実は人類のためになったかどうかに疑問を感ずるようになるであろう。おそらくペルリ提督は正しかったし、そのような発展は避けられなかったであろう。なぜならわれわれは進歩をもたなければならないからである。

p.446より

 教会が五千万人の野蛮人たちを(なま)(はん)()でもいい、ともかくキリスト教徒といわれるものに変えようというほとんど絶望的な事業にとりかかったとき、すぐわかったことは、人々の耳に訴えるだけではたりないということだった。信ずるためには目で見なければならなかった。そこで教会は、芸術を異教徒の遺産の一部として毛ぎらいしていた態度を改めた。教会は画家、彫刻家、真ちゅう、金、銅、銀、絹、毛織物等の細工師、製作者たちを動員して仕事にかからせ、よき牧者キリストとその地上における流浪の物語を、その意味を誰一人思いちがえないようにわかりやすい絵にするよう命じた。それが出来上がると、音楽が宣伝の方法としてつけ加えられた。十五世紀の末になると、すでに見たように、音楽は教会の束縛をのがれて独自の発展をするようになった。

p.492より

 いつも貴族のまねをしようとしていた世界は、今度は霊感を求めて貧民窟に出かけ、ごろつきのような服装をするようになった。憎むべき旧圧政者たちのズボンを人前ではいていようものなら、ギロチンにかけられても仕方がなかった。おしろいや石けんは、真の愛国者が触れるべきものではなかった。その代わりに汚れた古い長ズボンをはいて仕事に出かけた、それが完全な市民的廉直さを服装で証明するものと見なされていた。これらの長ズボンは元来ガリー船の奴隷が着ていたものである。事実、かれらが()をこぐときはこのズボンしかはいていなかった。後にイギリスの水夫たちもこの幅の広い長いズボンを愛用するようになった。それはぬれた甲板の上を歩かなければならぬときには一番気持ちがよいものだった。というのは十七世紀のぴったりとしたズボンよりはるかに乾きが速かったからである。そのズボンが「パンタルーン」と呼ばれたのは、十六世紀以来イタリアの笑劇にいつも出てくる人物の一人にパンタローネという男がいて、それが長ズボンをはいて登場すると、きまって小屋中を爆笑させたからである。

p.545より

 フランツ・リストは一八八六年に死んだ。かれのような人は今までどこにもいなかった。それに近い人はいたが、本当に同じくらいな人物はいなかった。

言葉
フロレンス

 「フロレンス」というイタリアの街のことが出てきたが、「はて……?」と戸惑った。フロレンス Florence というのはフィレンツェ Firenze の英語名なのだ。

 日本では外国の地名を表音するとき、「北京」を「ほくきょう」とは読まず「ペキン」、「平壌」を「へいじょう」とは読まず「ピョンヤン」と読むとおり、現地の発音で呼ぶことになっているが、米英ではそうでなく、「日本」を「にほん」とは読まず「ジャパン」と勝手な命名で読む。この例のとおり、「フィレンツェ」も「フロレンス」と呼ぶのだそうである。

 全然知らなかった。

 そのため、数十ページも読み進めている間、「フロレンス、……て、何?どこ?」と、ピンと来なくて戸惑った。この本は古いので、そういう表記に多少のブレがあるのである。

下線太字は佐藤俊夫による。p.228より

 「すべての道はローマに通ずる」

 これは中世の人々がいいならわしたことばであるが、それは正しかった。なぜなら、ローマはもはや世界帝国の中心地ではなかったけれども、依然として精神的な首都であって、人々の心を支配していたからである。だから皇帝でも、国王でも、僧正でも、僧侶でも、またもっとも卑しい市民でも、法王に願いがあるか、とりあげてもらいたい苦情があるときは遅かれ早かれ、四世紀から法王の公邸となっていた古いラテランの宮殿に赴くために、遠い危険な旅をしなければならなかった。このことは、フロレンスの町でもしばらくの日時を過ごさなければならないことを意味した。というのは、フロレンスは北や東や西からの道がすべて集まってくるところで、人人はここで旅行の最後の身仕度をととのえ、弁護士や銀行家と必要な最後の打合せをしたからである。

タスカニー

 これも英語の「フロレンス」Florence が伊語の「フィレンツェ」 Firenze のことであるのと同様、英語の「タスカニー」 Tuscany は伊語の「トスカーナ」 Toscana のことなのである。

下線太字は佐藤俊夫による。p.538より

その子の母というのはパガニーニがタスカニーの人里離れた城館で一しょに神秘的な四年間を過ごし、あるとき怒りの発作で絞め殺してしまった貴婦人だったと信じこんでいた。

 ただ、今の日本でタスカニーという時には、どうも、男性用化粧品の大手ブランド「アラミス」が出しているオー・ド・トワレの製品「タスカニー」のことを指しているようだ。Googleで「タスカニー」を検索すると、上位の検索結果は全部、このオー・ド・トワレの広告である。

 次は第12巻「美の本体(岸田劉生)/芸術に関する101章(アラン)/ロダンの言葉(A.ロダン)/ゴッホの手紙(V.ゴッホ)/回想のセザンヌ(E.ベルナール)/ベートーヴェンの生涯(ロマン・ロラン)」である。

 引き続き、主として西洋芸術を中心に編まれた巻だ。

読書

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 引き続き約60年前の古書、平凡社の世界教養全集第10巻「釈尊の生涯/般若心経講義/歎異鈔講話/禅の第一義/生活と一枚の宗教」を読んでいたが、最後の収載作品「生活と一枚の宗教」(倉田百三著)を先ほど読み終わった。

 いつもは通勤電車の中で読み終わるので、今日のように自宅で読み終わるのは珍しい。

 さて、倉田百三の作品は、この全集第3巻に収載されている「愛と認識との出発」を昨年読んだところだ。本作「生活と一枚の宗教」は「愛と認識との出発」を著してから10年後の著作であるという。

 戦前の講演録だそうである。

 表題の「生活と一枚の宗教」の「生活」という言葉を、著者は「宇宙」というような意味で使っている。すなわち、「自」「他」の対立を去り、自分が宇宙の一部として他と渾然一体となっていることに気づいた途端、宇宙全体が如来である以上、自分もまた仏であるということになる。宇宙と自分が一枚になっている、自分の生活は宇宙と一枚になっている、自分が既にそうして仏でありさえすれば、もはや他に何を作為して求める必要があろう……本書で切々と述べられる倉田百三の信仰の大意は、そういう理解で外れていないと思う。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第10巻「釈尊の生涯/般若心経講義/歎異鈔講話/禅の第一義/生活と一枚の宗教」のうち、「生活と一枚の宗教」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.481より

 たとえば如来でありますが、私の信仰ではみなさんはみな如来であります。一人一人が如来であります。それで仏と申しますのは、如来――自分がこのままで如来であるということを気づいたときにそれが仏であります。

言葉
ゾルレン

 ドイツ語の哲学用語で、日本語で言えば「(とう)()」である。わかりづらいが、「こうでなければならない、こうしなければならない、というようなことを意思でもってやる」ということが「当為」だと思えばよい。

 ゾルレンとは(コトバンク)

 このように意味を書くと、我々現代人には「それは立派なことだ」というようなポジティブな言葉であるように感じるが、倉田百三は全然違う意味でこの言葉を用いている。すなわち、単に「ゾルレン」と書かれているのではなく「ゾルレン臭」と、「臭」をつけ、遠ざけるべき、自分の信仰と相容れないものとして使っている。

下線太字は佐藤俊夫による。p.545より

念仏申さるるようにということはやはり一つの当為であります。これがやはり私の一つの当為癖であります。それは自分がすべきだというくせであります。あるいはゾルレン臭。自分と仏との間で言えば一つの水くささ、信仰のうえからいえば、かすであります。

 引き続き世界教養全集を読む。次は第11巻「芸術の歴史」(H.ヴァン・ルーン著)である。著者のH.ヴァン・ルーン Hendrik Willem Van Loon と言うと、この全集第8巻で読んだ「聖書物語」の著者である。

読書訥々(とつとつ)

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 引き続き約60年前の古書、平凡社の世界教養全集第10巻「釈尊の生涯/般若心経講義/歎異鈔講話/禅の第一義/生活と一枚の宗教」を読んでいる。

 この巻の4つ目の収載作品、「禅の第一義」(鈴木大拙著)を帰りの電車の中で読み終わる。

 鈴木大拙師は第3巻の「無心と言うこと」の著者でもあり、昨年の初秋、8月末に読んだところである。

 全部文語体で書かれた古い著作ではあるが、平明に書かれてあり、わかりやすい。ただ、「什麽(そも)」だの「恁麼(いんも)」だのと言った禅語が何の解説もなくポンポン出てきたり、返り点などは打ってあるものの、延々と漢文が引用されたり、「常にこの心がけあらざるべからず」みたいな否定の否定の言い回しが多く、そういうところに限っては(はなは)晦渋(かいじゅう)というか、実にわかりづらい。

 そうはいうものの、私も含め、いまや「ナンチャッテ欧米人」とでもいうべきヘンチクリンなものになってしまっている日本人にとって、遠く明治の頃に十数年以上も欧米に在住して西洋の思想を吸収し、東西宗教の深い理解の上に立って欧米に禅の思想を普及した鈴木大拙師の論は、西洋思想を例にとるなどしながら述べているところなど、かえってわかりやすいかもしれない。

 本論中では、繰り返し繰り返し、「禅は学問ではなく、哲学でもなく、(いわん)や精神修養や健康法などではない」「学問~哲学が目指す『分別(ふんべつ)()』こそ、禅と相容れないものの極北である」「体験こそが禅である」ということを力説している。

 他に、(たん)()(しょう)の記述などにも的確に触れつつ「他力・自力の相違こそあれ、浄土宗ないし真宗と、禅は根本において同じ」と(かっ)()してみたり、キリスト教の教義を()(てき)概括(がいかつ)した上で、「キリスト教にも根本(こんぽん)において禅と同じ部分が多く認められる」という意味のことをも指摘しており、師の(ふところ)の深さ、幅の広さに(きょう)(たん)せざるを得ない。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第10巻「釈尊の生涯/般若心経講義/歎異鈔講話/禅の第一義/生活と一枚の宗教」のうち、「禅の第一義」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.376より

換言すれば、仏陀は仏教の開山、元祖というべく、キリストはキリスト教の本尊となすべし。実際をいえば、今のキリスト教を建立したるはキリストその人にはあらずして、その使徒中の元首ともいうべきパウロなり。これを呼びてキリスト教といえども、あるいはパウロ教というほう適切なるべし。キリストのキリスト教における関係は仏陀の仏教における関係と同一ならざること、これにて知るべし。

 上の喝破から、鈴木大拙師の、他宗派のみならず、他宗教への該博な理解と知識が、あふれんばかりに伝わってくる。実際、引用箇所の周辺の1ページほどで「キリスト教の大意」と一節を起こし、手短(てみじか)にキリスト教について述べているが、これほど端的・適確・至短なキリスト教の解説を、私はこれまでに見たことがない。

言葉
咄、這鈍漢

 読みは「(とつ)這鈍漢(はいどんかん)」で、「咄」というのは漢語で「オイオイ!」というほどの意味である。

 「這鈍漢」というのが、これがサッパリわからない。ネットで検索すると中国語の仏教サイトが出て来る。それも「這鈍漢」ではなくて「這漢」と、微妙に違う字だ。

 意味がわからないながらも、前後の文脈から「これこれ、愚か者め」「オイオイ、このスットコドッコイが」くらいの意味ではないかと思われる。

下線太字は佐藤俊夫による。p.363より

もし釈迦なり、達磨なりを歴史のうちから呼び起こしきたりて、我が所為を見せしめなば「咄、這鈍漢、何を為さんとするか」と一喝を下すは必定なり。

盈つ

 「()つ」と()む。「満つ」「充つ」とだいたい同じと思えばよい。音読みは「ヨウ」「エイ」の二つで、「盈月(えいげつ)」というようなゆかしい単語がある。盈月は満月と同じ意味で、蛇足ながら対語に「()(げつ)」という言葉があり、これは「欠けた月」のことである。

  •  (漢字ペディア)
p.364より

「道は冲なり、而して之を用ゐれば盈たざることあり、淵乎として万物の宗に似たり」

清霄

 「清霄(せいしょう)」と読む。「霄」は空のことで、よって「清霄」とはすがすがしい空のことである。

p.368より

「江月照らし、松風吹く、永夜の清霄何の所為ぞ。」

燬く

 「()く」である。「焼く」と同じ意味であるが、(つくり)が「(こぼ)つ」という字になっている点からわかる通り、「激しく焼いて壊してしまう」ような意味合いが強い。

p.371より

丹霞といえる人は木像を燬きて冬の日に暖をとれりといえど、その心には、尋常ならぬ敬仏の念ありしならん。

剴切

 「剴切(がいせつ)」と読み、形容動詞である。意見などが非常に適切なことを言う。

p.374より

 しかしかくのごとき神を信ずるだけにては、キリスト教徒というを得ず、そはキリスト教の要旨は神のうえにありというよりもキリストのうえにありというがむしろ剴切なればなり。

一踢に踢翻す

 「一踢(いってき)踢翻(てきほん)す」と読む。「踢」という字は訓読みで「()る」と訓み、「蹴る」と大体同じである。

 で、「一踢に踢翻する」というのは「ひと蹴りに蹴っ飛ばしてひっくり返す」が文字通りの意味であるが、使われている文脈には「一気に脱し去って」というくらいの意味で出てくる。

p.378より

何となれば禅の禅とするところは、よろずの葛藤、よろずの説明、よろずの形式、よろずの法門を一踢に踢翻して、蒼竜頷下の明珠を握りきたるにあればなり。

 それにしても、「一踢」「踢翻」などという単語で検索しても、中国語のサイトしか出てこないので、日本語の文章でこんな難しい単語を使うことはほとんどないと言ってよく、一般に出ている書籍では、多分、仏教書を除いては、鈴木大拙師くらいしか使っていないだろう。……あ、そうか、この作品、仏教書か。

倐忽

 「倐忽(しゅっこつ)」と読む。「(しゅく)」も「(こつ)」も「たちまち」という意味があり、よって「倐忽」というのは非常に短い時間、またたくまに、というような意味である。

p.379より

我いずれよりきたりて、いずれに去るか、わがこの生を送るゆえんは何の所にあるか、かくのごときの疑問みな倐忽に解け去る。禅の存在の理由はまったくこの一点にあり。

氛氳

 これもまた、こんな難しい字、見たことがない。「氛氳(ふんうん)」と読み、盛んで勢いが良い様子を表す形容動詞である。

p.380より

また万物の底に深く深く浸みわたれる一物を感じたるごとくにて崇高いうべからず、しかしこの一物は、いまや没し去らんとする太陽の光明と、かぎりなき大海と、生々たる氛氳の気と、蒼々たる天界と、またわが心意とを以ってその安住の所となせり。

乾屎橛

 「(かん)()(けつ)」と読む。禅宗ではよく使う言葉だそうである。意味は、「ウンコ」と、昔ウンコをぬぐい取るのに使った「クソべら」の両方の意味がある。しかも、乾いて下肥(しもごえ)にすらならないようなブツのことを言う。「クソべら」もこびりついたウンコが乾いてカチカチになってしまっていると、尻を拭う用には立たない。「乾」いた、「屎」すなわちクソ(『()尿(にょう)処理車』などという言葉があるが、ここからも『屎』とはクソ、『尿』とはオシッコであることがよくわかる)の、「橛」、これは「棒」というような意味があるが、そういう()(づら)の単語である。

 それにしても、仏教書にして、なんでまたこんな()(ろう)な言葉が出て来るのか。

 それには(わけ)がある。禅寺ではなにかと極端な(たと)えを持ち出して問答し、そこから電光のような霊感を得ようとするのが修行のひとつなのだ。そんな問答、つまり、いわゆる「禅問答」のひとつに、

問 「仏とは何か」
答 「ウンコと同じである」

……というような、非常に深い(笑)極端な問答があるのだ。形の上では文語体の問答で、

問 「如何なるや(これ)、仏。」
答 「乾屎橛。」

……などと短い問答をするわけである。これぞ、知る人ぞ知る「禅問答」というもので、ある意味象徴的、代表的な極端な例と言えるだろう。

p.383より

凡夫と弥陀とを離してみれば、救う力は彼にあり、救わるる機はこれにありとすべからんも、すでに「一つになし給い」たるうえよりみれば、不念弥陀仏、南無乾屎橛、われは禅旨のかえって他力宗にあるを認めんと欲す。

竭くす

 「()くす」と訓む。「あるかぎり振り絞る」ということで、「尽くす」でも同じ意味と思えばよい。

p.386より

 ここに眼を注ぐべきは全体作用の一句子にあり、全体作用とはわが存在の一分をなせる智慧、思量、測度などいうものを働かすの謂いにあらず、全智を尽くし、全心を尽くし、全生命を尽くし、全存在を尽くしての作用なり、一棒一喝はただ手頭唇辺のわざにあらず、その身と心を竭くし、全体の精神を傾注してのうえの働きなり。

卓つる

 ここでは「()つる」と訓む。ネットの漢和辞典にはそんな訓みは出てこないが、私が持っている「大修館新漢和辞典改訂版」(諸橋轍次他著)には「たかい」「とおい」「すぐれている」という意味の他、「たつ。また、立っているさま」との意味があると書かれている。よって「()つる」の訓みに無理がないことがわかる。

 この「卓つる」という言葉は「臨刃偈」という有名な禅句のなかで使われており、本作品中ではそれを引用している。

ルビは佐藤俊夫による。p.389より

 昔、仏光国師の元兵の難に逢うや、「乾坤(けんこん)()(きょう)()つる()なし、(しゃ)()すらくは(ひと)(くう)(ほう)もまた(くう)(ちん)(ちょう)大元(だいげん)(さん)(じゃく)(つるぎ)電光影(でんこうえい)()(しゅん)(ぷう)()る」と唱えられたりと伝う。

 もとの漢文は次のとおりである。

臨刃偈
乾坤無地卓孤笻
且喜人空法亦空
珍重大元三尺劍
電光影裡斬春風

 仏光国師こと無学祖元は鎌倉時代に日本に来た中国僧である。日本に来る前のこと、元軍に取り巻かれ、もはや処刑されるばかりになった。いよいよ危機一髪の時、元兵の剣の前で(臨刃)これを詠じ、刎頸(ふんけい)(まぬが)れたと伝わる。

佐藤俊夫試訳

(そら)(つえ)など 立ちはせぬ
人は(くう) 法も(くう)とは 面白(おもしろ)
さらばぞ(げん)の 鬼武者よ
わしの首なぞ ()ねたとて 稲妻が斬る 春の風
錯って

 「(あやま)って」と訓む。「錯誤」という言葉があることから、「錯」という字にはごちゃごちゃにまじりあうという意味の他に、「まちがえる、あやまる」の意味があることが理解される。

p.393より

這個の公案多少の人錯って会す、直に是れ咬嚼し難し、儞が口を下す処なし。

 「()」と読む。意味は「(いき)」と同じと考えてよい。

 禅における呼吸法について解説しているところに出てくる。

p.403より

 「胎息を得る者は能く鼻口を以て噓吸せず、胞胎の中に在るが如くなれば則ち道成る。初めはを行ふことを学ぶ。鼻中を引いて之を陰に閉ぢ、心を以て数へて一百二十に至る。

跼蹐

 「跼蹐(きょくせき)」と読む。「跼」はちぢこまること、「蹐」は忍び足で恐る恐る歩く様子を言う。そこから、おそれかしこまり、ちぢこまっている様子を「跼蹐」という。

p.454より

しかも性として見らるるものなく、眼として見るものなし、禅はもと分別的対境のなかに跼蹐するものにあらざればなり。

 次はこの巻最後の収載作品「生活と一枚の宗教」(倉田百三著)である。著者の倉田百三については、第3巻の「愛と認識の出発」の著者でもあり、これも昨年の晩夏、8月のはじめに読んだところだ。

読書

投稿日:

 引き続き平凡社世界教養全集第10巻を読んでいる。3つ目の収録作、「(たん)()(しょう)講話」(暁烏(あけがらす)(はや)著)を行きの通勤電車の中で読み終わった。

 歎異鈔講話の前に収録されているほかの二つの著作(『釈尊の生涯』と『般若心経講義』)とはガラリと違う内容である。というよりも、「浄土真宗って、こんなんだったっけ……?」「南無阿弥陀仏って、こんな偏狭な信じ方なんだったっけ……?」と感じてしまうような、よく言えばひたむき、悪く言えば狂信的、もう、ひたすらひたすら、「南無阿弥陀仏」一直線である。「南無阿弥陀仏」と書かずに南無阿弥陀仏を表現しろ、と言われたら、こんな本になるのではないか、と思われる。

 多分、歎異鈔そのものは、それほど徹底的なことはないのではないか。歎異鈔に向き合う著者暁烏敏が、著作当時はたまたまそういう人である時期だったのではないか、と感じられる。

 実際、末尾の「解説」(船山伸一記)によれば、暁烏敏は戦前のこの著作の後、昭和初年頃から讃仰の対象が親鸞から聖徳太子、神武天皇、古事記などに移っていき、戦後は平和主義を経て防衛力強化是認論者となっていったのだという。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第10巻「釈尊の生涯/般若心経講義/歎異鈔講話/禅の第一義/生活と一枚の宗教」のうち、「歎異鈔講話」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.254より

 六 法然聖人が、親鸞聖人に送られた手紙のなかに「餓鬼は水を火と見候、自力根性の他力を知らせ給はぬが憐れに候」という語がある。これはまことにきびしい恐ろしいようないい方であるが、これはもっとも明白に、自己という考えの離れられぬ人が宗教の門にはいることのできぬということを教えられた親切なる教示である。

 七 今法然聖人の言葉をここにひき出したのはほかでもない。『歎異鈔』一巻はもっとも明白にもっとも極端に他力信仰の宗教を鼓吹したる聖典なるがゆえに、自力根性の離れられぬ餓鬼のような人間たちでは、とうていその妙味を味わい知ることができぬのみならず、かえってその思想を危険だとかあぶないとかいうて非難するのもむりでないかもしれぬ。がしかし餓鬼が水を火と見るように、自力根性で他力の妙味を知らず、この広大なる聖典『歎異鈔』を読みながら、これによって感化を受くることもできず、かつまたこの思想をもっとも明瞭に表白しつつある私どもの精神主義に対してかれこれ非難や嘲弄するのは憫然のいたりである。

 しかし、こうまで書くと、非難・嘲弄とまで言うのは被害妄想であり、度し難き衆生を「憫然のいたり」とまでコキ下すのは、「大乗」ということから言って違うのではなかろうか。

p.273より

すべて哲学にしろ、科学にしろ、学問というものは、真と偽とを区別してゆくのがだいたいの趣旨である。宗教はそうではなく、その妙処にゆくと宗教は真即偽、偽即真、真偽一如の天地であるのだから、けっして科学や哲学を以って宗教を律することはできないのである。

 これは鈴木大拙師や高神覚昇師も似たことを書いていたような気がする。そういう点では違和感はない。

p.294より

 善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや、と。この条一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。その故は、自力作善の人は、ひとへに他力をたのむ心欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども自力の心をひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よりて善人だにこそ往生すれ、まして悪人は、と仰せられ候ひき。

 歎異鈔からの引用である。歎異鈔で最も知られた一節は、この節であろう。「いかなる者も摂取不捨の阿弥陀如来であってみれば、悪人の方が救われる度合いは善人よりも多いのである。」ということが前提になっている。善人よりも悪人の方が救われるというのが浄土真宗の芯と言えば芯ではあろう。

p.299より

 三 陛下より勲章を下さるとすれば、功の多い者にはよい勲章があたり、功の少ない者には悪い勲章があたる。ところがこれに反して陛下より救助米が下るとすれば功の多少とか才の有無とかを問わずして、多く困っておる者ほどたくさんの米をいただくことができる。いま仏が私どもを救いくださるのは、私どもの功労に報ゆるためではなくて、私どもの苦悩を憐れみて救うてくださるる恩恵的のであるからして、いちばん困っておる悪人がもっとも如来の正客となる道理である。

 悪人の方が救われる、ということをより噛み砕いた解説である。しかし、卑俗な(たと)えではある(笑)。

言葉
摂め取る

 これで「(おさ)め取る」と()む。「摂取」という言葉があるが、現代語のイメージでは「栄養を摂取する」というような使い方が一般的であろう。

 他方、仏教用語では「摂取不捨」、仏の慈悲によりすべて包摂され捨てられない、というような意味に使い、この「摂取」を訓読みすれば「(おさ)め取る」ということになるわけである。

下線太字は佐藤俊夫による。p.261より

私は仏の本願他力に助けられて広大円満の人格に達し、大安慰をうるにいたるべしと信じ、南無阿弥陀仏と親の御名を称えて力ある生活をしましょうという決定心の起こったとき、そのとき待たず、その場去らず、ただちにこの他力光明のなかに摂め取られて、いかようなことがあろうとも仏力住持して大安尉の境に、すなわち仏の境界に導き給うにまちがいはないというのが、この一段の大意である。

軈て

 「(やが)て」と訓む。

p.329より

其の上人の心は頓機漸機とて二品に候也、頓機はきゝて軈て解る心にて候。

設ひ

 「設ひ」で検索すると「しつらい」というような訓みが出て来るが、ここでは「(たと)()」と訓む。ネットの漢和辞典などにはこの訓みは載っていないが、私の手元にある大修館新漢和辞典(諸橋轍次他著)の「設」の項には、「もし。かりに。たとい。仮定のことば。『仮設・設使・設令・設為』などもみな、「もし・たとい」と読む。」と記されている。

p.340より

 設ひ我仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、悉く咨嗟して我が名を称へずんば正覚を取らじ。

咨嗟

 直前の引用で出てきている。「咨嗟(しさ)」と読み、検索すると「嘆息すること」と出て来るが、仏教用語としては「ため息をつくほど深く感動する」というようなポジティブな意味で使われる。

p.340より

 設ひ我仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、悉く咨嗟して我が名を称へずんば正覚を取らじ。

炳焉

 「炳焉(へいえん)」である。「炳」は「あきらか」とか「いちじるしい」などの意味がある。「焉」は漢文でいう「置き字」で、読まなくてもいいわけではあるが、断定の意味がある。あえて訓めば「あきらかならざらんや」とか「(いずくん)ぞあきらかならんや」とでもなるかもしれないが、「我関せず(えん)」というふうに断定を強めるために「(えん)」と読むこともある。

p.343より

私どもはこの「案じ出したまひて」とある一句のうちに、絶対他力の大道の光輝の炳焉たるを喜ばねばなりません。

牢からざる

 「(ろう)からざる」でも「(かた)からざる」でもどちらでもよいようである。しかし、「(ろう)からざる」と読む時は、音読するとすると「ろう、からざる」と、一呼吸置くような読み方になるだろう。

 「牢」という字は「牢屋」の牢であるが、別に「かたい」という意味がある。よく使われる「堅牢」などという言葉は、「(かた)く、(かた)い」という意味であるから納得がいく。他にも「(ろう)()として」というような言葉もある。

  •  (漢字ペディア)

p.349より

是に知りぬ、雑修の者は執心牢からざるの人とす、故に懈慢国に生ずるなり。

 次は、「禅の第一義」(鈴木大拙著)である。鈴木大拙の著作はこの平凡社世界教養全集では第3巻にも出ていて(『無心ということ』読書記(このブログ))、2作目である。

読書

投稿日:

 引き続き、約60年前の古書、平凡社の「世界教養全集」を読んでいる。第10巻の途中だ。キリスト教一色であった前第9巻から打って変わって、第10巻は仏教一色である。

 昨夕、帰りの電車の中でこの巻二つ目の収載作「般若心経講義」(高神覚昇著)を、解説だけを残して読み終わった。今朝の出勤時の電車の中で、解説も読み終わった。

 著者の高神覚昇師は戦前から戦後にかけて、仏教の普及に最も功績のあった一人として知られ、真言宗智山派の名僧である。真言宗のみならず、大谷大学に国内留学して浄土真宗にも縁を持ち、華厳宗・三論宗をも論じた。そのため、この本のみならず、密教や空海・最澄に関する著書など、多くの著作がある。

 高神師は戦前、ラジオで「般若心経講義」という番組を放送して好評を博した。その後、放送内容をまとめて出版したものが本書である。終戦後再版したようだ。既に著作権が消滅しており、青空文庫にも収められている。

 内容は般若心経の一節一節を逐条的に、かつ、誰にでもわかりやすく、そしてまた、著者の西洋哲学や西洋文学に関する該博な知識と理解をも開陳しつつ講義していくものである。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第10巻「釈尊の生涯/般若心経講義/歎異鈔講話/禅の第一義/生活と一枚の宗教」のうち、「般若心経講義」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.125より

因縁の真理を知らざることが「迷い」であり、因縁の道理を明らめることが「悟り」であるといっていい。

p.150より

何事によらず、いつまでもあると思うのもむろんまちがいですがまた空だと言って何ものもないと思うのももとより誤りです。いかにも「謎」のような話ですが、有るようで、なく、無いようで、ある、これが世間の実相(すがた)です。浮世のほんとうの相です。

p.189より

 草履取りは草履取り、足軽は足軽、侍大将は侍大将、それぞれその「分」に安んじて、その分をりっぱに生かすことによって、とうとう一介の草履取りだった藤吉郎は、天下の太閤秀吉とまでなったのです。あることをあるべきようにする。それ以外には立身出世の秘訣はないのです。五代目菊五郎が、「ぶらずに、らしゅうせよ」といって、つねに六代目を戒めたということですが、俳優であろうがなんであろうが、「らしゅうせよ」という言葉はほんとうに必要です。

言葉
審か

 「(つまびら)か」である。

下線太字は佐藤俊夫による。p.138より

「博く之を学び、審かにこれを問ひ、慎んで之を思ひ、明かに之を弁じ、篤く之を行ふ

熟する

 全然難しい()みではなく、そのまんま「(じゅく)する」であるが、用法が面白かったから挙げた。

p.171より

いうまでもなく惑とは、「迷惑」と熟するその惑で、無明、すなわち無知です。

 「熟する」というと、普通は「この柿はよく熟してるなあ」というように、十分に時期が来て、よくこなれていることなどを言うのに使う。他方、「熟語」という言葉がある。この「熟語」という言葉には、 2字またはそれ以上の漢字で書かれる漢語という意味もあるが、「慣用によって、特定の意味に用いられるようになった語句」のことも言う。

 これを踏まえつつ、「熟する」という単語を調べると、「ある新奇な言葉が多くの人に使われ、一般に通用するようになる。」との意味があることがわかる。

 そうすると、「『迷惑』と熟する」とは、「迷惑、という言い慣わし方があることからも分かる通り」というほどの意味と言ってよかろう。

おもやすめども

 これが、調べてもサッパリわからなかった。Googleで検索すると、この「般若心経講義」のテキストばかりヒットする。

p.178より

娘をなくした母親を慰め顔に、「まあ、極楽へ嫁にやったつもりで……」といったところで、母親にしてみれば、それこそ「おもやすめども、おもやすめども」です。なかなか容易には諦めきれないのです。

 文脈から恐らく「そのように思ってはいても」というような意味ではあるまいか。また、本書の他の部分で、浄瑠璃や義太夫などからの引用と思われる、著者独特の下世話に馴れた、洒落(シャレ)た言い回しもあることから、なにかこういう台詞や歌詞、筋書きの、芸能のひと(ふし)があるのかもしれない。

思いついたシャレ(笑)

 本書を読んでいる最中にフッと思いついたのだが、データモデリングに使うER図の要素を仏教の術語(ターム)に当てはめると、下のようになるのではないか。

DM的仏教術語の理解(笑)

 ……い、いや。冗談なんで、軽く受け流してください(笑)。

 引き続き第10巻を読み進める。次の著作は「歎異鈔講話」(暁烏(あけがらす)(はや)著)である。

読書

投稿日:

 約60年前の古書、平凡社の世界教養全集全38巻のうち、第10巻を読み始めた。第10巻には「釈尊の生涯」(中村元)、「般若心経講義」(高神覚昇)、「歎異鈔講話」(暁烏敏)」、「禅の第一義」(鈴木大拙)、「生活と一枚の宗教」(倉田百三)の5著作が収められている。今度は前の第9巻とは違って、全編これ仏教一色である。

 一つ目の「釈尊の生涯」を行きの通勤電車の中で読み終わった。

 全編キリスト教一色であった前第9巻の中の「キリストの生涯」と似た趣きの著作で、宗教的な超能力や奇跡よりも、歴史上の人物としてのゴータマ・ブッダの生涯を、パーリ語の古典籍などから丹念になぞり、分析して述べたものである。一般的な仏教信者が依拠する「仏伝」をもとにすると、どうしても信仰上の超人譚や奇跡伝説が織り込まれてしまうが、本著作はそれを避け、できうる限り「スッタニパータ」等のインドの古典籍に取材している。

 元々、(たい)()浩瀚(こうかん)の学術研究書「ゴータマ・ブッダ(釈尊伝)」があり、その中の「第1編ゴータマ・ブッダの生涯」から更に一般向けの部分を摘要したのが本著作なのであるという。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第10巻「釈尊の生涯/般若心経講義/歎異鈔講話/禅の第一義/生活と一枚の宗教」のうち、「釈尊の生涯」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.7より

 だからこの書は仏伝でもなければ、仏伝の研究でもない。いわゆる仏伝のうちには神話的な要素が多いし、また釈尊が説いたとされている教えのうちにも、後世の付加仮託になるものが非常に多い。こういう後代の要素を能うかぎり排除して、歴史的人物としての釈尊の生涯を可能な範囲において事実に近いすがたで示そうと努めた。

p.57より

 修行者が木の下で木の陰に蔽われながら坐して修行するということは、印度では古くから行われていて、原始仏教聖典にもしばしば言及されている。とくにアシヴァッタ樹(イチジク)のもとで瞑想したということは、意味が深い。インドでは古来この木はとくに尊敬されていて、アタルヴァ・ヴェーダの古歌においても不死を観察する場所であるとされている。「不死」とは天の不死の甘露を意味するが、また精神的な究極の境地をも意味する語である。この木はウパニシャッドやバガヴァッド・ギーター、その他インドの諸文芸作品において、葉や根が広がるという点でふしぎな霊樹であると考えられた。だからゴータマ・ブッダが特にこの場所を選んだということは、仏教以前からあった民間信仰のこの伝承につながっているのである。そうして釈尊がこの木の下で悟りを開いたから、アシヴァッタ樹は俗に「ボダイジュ(菩提樹)」と呼ばれるようになった。

 上の部分を読んで「アレ?はて……??」と思い、Wikipedia等を検索してみた。「菩提樹って、無花果(いちじく)のことだっけ?」と感じたからだ。

 私が怪訝に思うのもそのはずで、日本ではシナノキ科シナノキ属である菩提樹が寺などに植えられているが、同じ「菩提樹」という呼び名でも、インドの「インドボダイジュ」はクワ科イチジク属の木で、全くの別物だそうである。

p.63より

 このように悟りの内容に関して経典自体の伝えているところが非常に相違している。いったいどれがほんとうなのであろうか。経典作者によって誤り伝えられるほどに、ゴータマのえた悟りは、不安定、曖昧模糊たるものであろうか? 仏教の教えは確立していなかったのであろうか?

 まさにそのとおりである。釈尊の悟りの内容、仏教の出発点が種々に異なって伝えられているという点に、われわれは重大な問題と特性を見出すのである。

 まず第一に、仏教そのものは特定の教義というものがない。ゴータマ自身は自分の悟りの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じて異なった説き方をした。だから彼の悟りの内容を推し量る人々が、いろいろ異なって伝えるにいたったのである。

 第二に、特定の教義がないということは、けっして無思想ということではない。このように悟りの内容が種々異なって伝えられているにもかかわらず、帰するところは同一である。

同じく

 第三に、人間の理法(ダルマ)なるものは固定したものではなくて、具体的な生きた人間に即して展開するものであるということを認める。実践哲学としてのこの立場は、思想的には無限の発展を可能ならしめる。後世になって仏教のうちに多種多様な思想の成立した理由を、われわれはここに見出すのである。過去の人類の思想史において、宗教はしばしば進歩を阻害するものとなった。しかし右の立場は進歩を阻害することがない。仏教諸国において宗教と合理主義、あるいは宗教と科学との対立衝突がほとんど見られなかったのは、最初期の右の立場に由来するのであると考えられる。

言葉
日暹寺

 「暹」という漢字が難しい。「セン」と読むそうで、そうすると「にっせんじ」なのだが、「日暹寺」で検索すると「日泰寺」のホームページが出てくる。

 あれっ……?と思うが、この日泰寺のホームページを見ると、理由がよくわかる。昔、シャム王国から真仏舎利をもらい受けた際にこれを記念して創建されたのがこの寺で、当時はシャムの漢字表記が「暹羅(せんら)」であったので、日暹(にっせん)()を号したものだそうだ。

 しかし、その後シャム王国は太平洋戦争前に国号を「タイ王国」に改めたため、この寺も「日泰(にったい)()」に改号したものなのだそうだ。

下線太字は佐藤俊夫による。p.116より

 右の遺骨は仏教徒であるタイ国の王室に譲りわたされたが、その一部が日本の仏教徒に分与され、現在では、名古屋の覚王山日暹寺に納められ、諸宗交替で輪番する制度になっている。

 (ちな)みに、日泰寺のサイトによれば、上引用の「輪番」は3年交代だそうである。

 たしか「龕燈(がんどう)」という、昔のサーチライトみたいなものがあったが、この「龕」って字、訓読みがあるのかな……?と思って調べてみたが、どうもこれはそのまま「ガン」でいいらしい。仏像などをおさめるもののことである。

p.117より

 「これはシャカ族の仏・世尊の遺骨のであって、名誉ある兄弟並びに姉妹・妻子どもの(奉祀せるもの)である。」

 上サイトでは一応、「ずし」との()みも掲載されているが、「龕」と「厨子」は同じものと考えてよいからだろう。

 次は二つ目の著作、「般若心経講義」(高神覚昇著)である。

読書

投稿日:

 なかなか梅雨が明けず、相変わらずよく降る。しかし、窓外の雨を時折眺めては、安らかに座って読書するのもなかなか楽しい。と言って、私の読書時間のほとんどは通勤電車内なのであるが……(苦笑)。

 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集、全38巻のうち、第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」を読んでいる。

 第9巻最後の「後世への最大遺物」(内村鑑三著)を帰宅後の自宅で読み終わった。朝の通勤電車内でこのひとつ前の「信仰への苦悶」を読み終わった後そのまま続けて読み、帰りの通勤電車内でも読み、帰宅後読み終わった。この「後世への最大遺物」は短い著作であったから、「信仰への苦悶」と(あわ)せ、その日のうちに二つの作品を読み終えた。

 著者内村鑑三は他に、「余は如何にして基督信徒となりし乎」など、キリスト者としての著書が有名である。私も、若い頃「余は如何にして基督信徒となりし乎」を読んだことがある。

 一方、本著作は明治時代に著者内村鑑三が行った講演の講演録であるが、「余は如何にして基督信徒となりし乎」を読んだときにはわからなかった、著者の漢学・国学に対する深い理解がわかって少し驚いた。「余は如何にして基督信徒となりし乎」は著者が英文で著したもので、私の読んだものは岩波の翻訳であったから、そういうことがあまり現れていなかったのである。

 そのことの表れであろう、この本の書き出しは、頼山陽の漢詩の引用から始まる。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」のうち、「後世への最大遺物」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.510より

もし私に金を溜める事が出来ず、又社会は私の事業をする事を許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持つて居ます。何んであるかと云ふと、私の思想(、、)です。

p.510より

文学といふものは我々の心に常に抱いて居るところの思想を後世に伝へる道具に相違ない。それが文学の実用だと思ひます。

p.517より

我々の文学者になれないのは筆が執れないから成れないのでは無い、我々に漢文が書けないから文学者になれないのでも無い。我々の心に鬱勃たる思想が籠つて居つて、我々が心の儘をジヨン・バンヤンがやつた様に綴ることが出来るならば、それが第一等の立派な文学であります。

p.520より

 それならば最大遺物とは何であるか。私が考へて見ますに人間が後世にのこす事の出来る、さうして是は誰にも遺す事の出来るところの遺物で利益ばかりあつて害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思ひます。是が本当の遺物ではないかと思ふ。他の遺物は誰にものこす事の出来る遺物ではないと思ひます。而して高尚なる勇ましい生涯とは何であるかといふと、私がこゝで申す迄もなく、諸君も我々も前から承知して居る生涯であります。即ち此の世の中は是は決して悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であると云ふ事を信ずる事である。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずる事である。此の世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるといふ考を我々の生涯に実行して、其の生涯を世の中の遺物として此の世を去るといふことであります。其の遺物は誰にも遺すことの出来る遺物ではないかと思ふ。

言葉
天地無始終、人生有生死

 訓読みは「天地に始終なく、人生に生死あり」である。

下線太字は佐藤俊夫による。p.496より

天地無始終、人生有生死」であります。然し生死ある人生に無死の生命を得るの途が供へてあります。

 これは本書冒頭の「改版に附する序」で述べられている言葉で、巻末の鈴木敏郎による解説にある通り、頼山陽が13歳の時に作った漢詩、

p.530(鈴木敏郎による解説)より

十有三春秋、逝く者はすでに水の如し、天地始終無し、人生生死有り、いずくんぞ古人に類して、千載青史に列するを得ん

述懐

十有三春秋
逝者已如水
天地無始終
人生有生死
安得類古人
千載列青史

……からの引用である。

 このエントリの最初の方で私が述べた、著者の漢学などへの深い理解がわかった、ということがこのあたりに表れている。

埃及

 「埃及(エジプト)」である。「埃及」という字を音読みすると「あいぎゅう」であるが、一方、ギリシア語では「エジプト」を「アイギュプトス Αἴγυπτος, Aigyptos」、ラテン語では「エージプタス Aegyptus」と(なま)ったらしい。ギリシア語の()(づら)は「エジプトス」とも読めるから、漢語の音写で「埃及(あいぎゅう)」と書いて「エジプト」だというのも納得のいくところだ。

p.499より

丁度埃及の昔の王様が己れの名が万世に伝はる様にと思うて三角塔(ピラミツド)を作つた、即ち世の中の人に彼は国の王であつたと云ふことを知らしむる為に万民の労力を使役して大きな三角塔を作つたと云ふやうなことは、実に基督信者としては持つべからざる考だと思はれます。

迚も

 「(とて)も」と()む。

p.511より

併し山陽はそんな馬鹿ではなかつた。彼は彼の在世中迚も此の事の出来ない事を知つて居たから、自身の志を日本外史に述べた。

匈牙利

 「匈牙利(ハンガリー)」である。日本語表記では「洪牙利」で、一文字で書く場合も「洪」「洪国」なのであるが、中国語では「匈奴の国」というほどの意味合いで「匈牙利」と書くのである。

p.512より

それが為に欧羅巴中が動き出して、此の十九世紀の始に於てもジヨン・ロツクの著書で欧羅巴が動いた。それから合衆国が生れた。それから仏蘭西の共和国が生れて来た。それから匈牙利の改革があつた。それから伊太利の独立があつた。実にジヨン・ロツクが欧羅巴の改革に及ぼした影響は非常であります。

仮令

 そのまま音読みで「けりょう」等とも読むが、ここでは「仮令(たとい)」である。

p.519より

仮令我々が文学者になりたい、学校の先生になりたいといふ望があつても、是れ必ずしも誰にも出来るものでは無いと思ひます。

 第9巻はこれで最後、次は第10巻「釈尊の生涯/般若心経講義/歎異鈔講話/禅の第一義/生活と一枚の宗教」である。第9巻は一巻これすべてキリスト教であったが、第10巻は見た通り仏教がテーマである。

読書

投稿日:

 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集、全38巻のうち、第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」を読んでいる。

 4つ目の「信仰への苦悶」(J・リヴィエール Jacques Rivière 、P・クローデル Paul Claudel 著、木村太郎訳)を行きの通勤電車の中で読み終わった。

 この本は、あるファンレターが詩人ポール・クローデルのもとへ送られてきたことから始まる。

 クローデルはフランスの外交官だが、詩人としての声名が高く、数々の名作を残している。だが、その姉が「分別盛り」などの彫刻作品で知られる天才彫刻家、かのロダンの愛人にして弟子、カミーユ・クローデルであると知ると、この方が知る人は多いかもしれない。

 ファンレターの送り主は、後年評論家として名を成すジャック・リヴィエールであった。彼はこの時若干20歳、一方ファンレターを送り付けられたリヴィエールは38歳の不惑近い年である。そんな酸いも甘いも噛み分けたような、年上の有名詩人に、ずけずけと正直に、しかも取り留めなく、今のTwitterなどでの作者と読者のやり取りで言えば「何この粘着野郎」とでもいうような、グダグダしたファンレターをクローデルに送り付け、多分「勝手に」であろうけれどもクローデル作品の評論を雑誌に書いたり、随分失礼なファンである。

 ところが、クローデルはこの変なファンに真摯に向き合い、敬虔なカトリック信者らしく寛容と落ち着きのある返信を(したた)めた。その書簡往来は何年にもわたって続き、クローデルはリヴィエールの変な苦悩に年上らしい助言を与え、(あまつさ)え就職の面倒まで見てやっている。

 往復書簡の内容は主としてキリスト教、就中(なかんづく)カトリック信仰に関するリヴィエールの苦悩の吐露と、それへのクローデルの励ましや助言から成っているが、それを除いても、上のような両者の関係性、書簡を通じて結ばれる深い付き合い、年齢差を超えた友情がとても興味深いものであった。

言葉
セプティシスム

 Scepticism。懐疑主義・懐疑論のことである。「ドグマ(基本的原理)に対する挑戦」というふうな理解でだいたい合っていると思う。

平凡社世界教養全集第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」のうち、「信仰への苦悶」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。
下線太字とルビは佐藤俊夫による。p.449より

私をルナンやグールモンの方へ追いやることが、どんなに間違っているか知っていただけたら! グールモン、あの憐れむべき生理学者の方へ! おそらく私は、セプティシスムの外見によって、そうした同一視の口実を与えたのでしょう。しかし私のセプティシスムは情熱的で、盲目で、緊張しています。

 

アデステ

 讃美歌中の一曲である。

p.490(訳者木村太郎による解説)より

涙と嗚咽がきた。そしてアデステのあの優しい歌声が私の感動をいやがうえにも深めた。

 次は五つ目、第9巻最後の収載作「後世への最大遺物」(内村鑑三著)である。

読書

投稿日:

 時疫(じえき)の不安に加え相変わらず降ったり止んだり鬱陶(うっとう)しい天候だ。

だが、そうは言うものの、いかにも梅雨らしく豊かに降る、とでも言えば季節を愛でようという気にもなる。ふと気づくと近所の家々の庭の百日紅(さるすべり)が、あるいは赤に、あるいは青紫に、美しく咲き始めている。芙蓉を多く植えているお宅もあり、おおらかで邪気のない明るい花が咲いている。

 盛夏の予感がする。

 引き続き約60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。仕事帰りの通勤電車の中で、第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」のうち、三つ目の「キリスト者の自由」(M・ルター Martin Luther 著、田中(まさ)()訳)を読み終わった。

 マルティン・ルターの名前は誰もが学校で習うので知っている。学校では「ルター、カルビン」などと、フランスのカルビンと一組で習う。しかし、そのルターが何を言ったのかは、学校では少ししか習わないから、その所説を知っている人は少ない。

 もちろん私もそうであったが、この読書によってなるほどと膝を打つこと大であった。

 本書はルターの代表的論説で、誤解を恐れずザックリと内容を要約すると、

「物質的な形から入るのは誤りである。まず初めに精神がなくてはならぬ。精神から形はおのずと現れる。だがしかし、精神が成ったのち、それが物質的形となって慈愛とともに溢れ出さなければ、精神もまた誤りであったということになる。」

……ということとなろうか。ルターはこれを、「免罪符を買う」とか「ひざまずいて祈る」とかいう「形」が、「キリスト教信仰」という精神なしに横行していることを憂えて言っているのである。

 これはしかし、実に考え込まされることだ。キリスト教信仰だけでなく、例えば日本人の日常生活での「礼儀」などにも投げかけるものがあるからだ。つまり、内心では相手を蔑み、馬鹿にしているのに、態度は慇懃丁寧に相手を思いやり、いたわって見せる、というようなことに意味があるか、という問いに通じる。

 その一方で、「形は心を作り、心は形を導く」という説もある。例えば、日本ではその昔、吉田兼好法師が

「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。()を学ぶは驥の類ひ(たぐい)(しゅん)を学ぶは舜の(ともがら)なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。」

……と言っている。形から入って、それを無心になぞるうち、精神も自然に導かれ、導かれた精神は更に形を磨いていく、ということが日本では一般に肯定されていると思う。

 ここで、しかし、ルターの所説を曲解してはならない。ルターは「形など永久に棄却されるべし」などとは少しも言っていないのである。

 すなわち、本書は大きく分けて2部から構成されている。第1部では「まず精神あるべし」、つまり、信仰心のない外面だけの宗教ごっこを徹底的に攻撃する。ところが、第2部では「精神成ったのち、徹底的に物心両面、利他に徹すべし。利他の功による神の救いなど求むべからず」と、一見第一部の真逆に見える事を説いてやまないのである。

 これは、単に、形と心のサイクルの、スタートをどこに持ってきているかという些細な点が違うだけで、やはり形も大事なのである、……ルターは言外にそう言っているように私には感じられる。

 また他に、ルターは非キリスト教徒にはわかりにくい「旧約聖書」と「新約聖書」の違いを誠に明快に一刀両断している。すなわち、「人を絶望させる神の厳しい『掟』、つまり『罪に対する罰』を述べたものが旧約であり、その絶望からすべての人が救われる『(ゆる)しの約束』を述べたものが新約である」という意味のことを説いている。これを言い換えると、旧約は「罰」を述べ、新約は「赦し」を述べるということで、罪の意識に(さいな)まれ、絶望した人間がその頂点に達するや、そこで神の寛大な許しにあって自由となる、と説明しているということになろうか。

 「罪と罰」による悲哀と絶望が極限に達して止揚(アウフヘーベン)され、裏返って赦しによる自由と歓喜に至る、その後は一意専心、神からの恩寵すら求めずに他人に奉仕すべし、これがルターの所説であると私は見た。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」のうち、「キリスト者の自由」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。
p.335より

そしてまた聖書全体は、おきて、すなわち神の戒めと、契約、すなわち約束と言う二つの言葉に分けられるということを知らなければなりません。おきては、私たちにさまざまの善行を教え、規定していますが、それによって善行は生じません。なるほど、おきては指示しますが、助けはしません。おきては人間のなすべきことを教えますが、それを実行するための何らの力をも与えません。したがって、おきてが定められているのは、ただそれによって人間が善をなすのに無力であることを悟り、自分自身に絶望することを学ぶためだけです。ですから、それは『旧約』と呼ばれ、すべてのおきては、『旧約』に属しております。

p.336より

 さて、人間がおきてによってその無力を学び、自覚するようになりますと、どうしておきてを満たすことができるかと不安になってきます。おきては満たされなければならず、さもなければ罪に定められるからです。そのとき、人間は、ほんとうに謙虚になり、自分の目に無となり、自分のうちに義とされる何ものも見出さなくなります。そのときはじめて、ほかの言葉、すなわち神の約束と契約がきたって、次のように語ります。

 「おまえがおきての強要するとおりに、おまえの悪い欲望や罪から解放されたいと思うなら、キリストを信ぜよ、キリストにおいてわたしはおまえにすべての恵みと義と平和と自由を約束する。おまえが信ずるなら得られるが、信じないならえられない。おきてのあらゆる行い――それは当然多くあるが、しかも一つとして役にたたない――をもってしても、おまえにできないことが、信仰によって容易になり、簡単になる。なぜなら、わたしは信仰のうちにすべてを要約しておいたからである。したがって、信仰をもつ者は、すべてをもち、そして救われ、信仰をもたない者は、何ももつことはできない」

 このように神の約束は、おきてが要求するものを与え、おきてが命ずるものを成就します。このようにして、おきても、その成就も、すべてが神のものとなるためです。

 神のみが命じ、神のみが成就されます。したがって神の約束は、『新約』の言葉であり、『新約』に属しています。

 次は四つ目、「信仰への苦悶」(J・リヴィエール Jacques Rivière 、P・クローデル Paul Claudel 著、木村太郎訳)である。