読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読む。第19巻の四つ目、最後は「悪魔の弁護人 The Devil’s Advocate」(J・G・フレーザー著、永橋卓介訳)である。休暇中の夕刻、自宅で読み終わった。

 著者フレーザー卿は江戸時代末期に生まれ、明治時代から戦前にかけて英国で活躍した学者である。英国社会人類学界の総帥と仰がれた大学者だ。特に民俗学に計り知れない影響を持った。

 本書は現代の社会制度の発展に及ぼした太古の迷信の影響を取り扱ったものだ。私には、表題を見ても初めは何の本だか分らなかった。世界教養全集のこの巻は、ほかの3書が考古学に関するものなのでこれも考古学なのかな、と思ったら違っていた。ただ、現在の未開の民族の風習から太古を推定し、そこから現代の社会制度の成り立ちについて考察するというものであるから、必ずしも考古学と無関係ではない。

 アフリカやアジア、太平洋・大西洋の島嶼、米大陸、オーストラリアなど、世界のあらゆる地域の未開民族にみられる迷信の類を、特に「政治」「所有権」「結婚」ないし「性的道徳」「人命尊重」の4つの観点から観察し、逆に現代人の社会を支えるこれら4つの要素の萌芽が、太古の迷信から生み出されたものに相違ないと喝破する。その例証として、世界各地の未開民族の奇怪にも感じられる様々な迷信が、これでもかというほどの徹底ぶりでいくつもいくつも並べられる。

 表題の「悪魔」とは、著者の側から見た「迷信」のことであり、「弁護人」というのは、太古の迷信が現代社会を形作るための基礎となっていることからこれを弁護するという意味である。(ちな)みに、著者は大学者であるが、若い頃に弁護士の資格を取っており、しかし開業せずに学問の道へ進んだ。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第19巻「悪魔の弁護人」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.446より

時代の進歩とともに、道徳はその立場を迷信の砂地から理性の岩盤に、想像から現実に、超自然から自然にと変えてゆくのである。国家は今日でも、死霊の信仰が崩壊したからといって、その平和的な人民の生命保護をやめはしない。国家は「生命の樹」をねらい寄る者を正義の炎の剣をもって防衛するために、老婆の昔話よりもいっそう適切な理由を発見したのである。

p.447より

迷信は民衆に、正しい行為に対する動機を――たしかに誤った動機ではあったが、それを提供した。誤った動機をもって正しい行為をなすことのほうが、最上の意図をもって誤った行為をなすことよりも、はるかに世界のためによいのはいうまでもない。社会の関心事は行為であって意見ではない。行為が正義にかない善でさえあれば、意見が誤っているくらいなことは、社会にとってはべつになにほどのこともないのである。

 上の2か所は本書のだいぶ後の方、既に世界各地の未開民族の奇習をこれでもかと大観詳察したあとに置かれた、結論に近い部分だ。世界の未開民族は、例えば「人命保護」のためには、「人を殺すと、その死霊に呪い殺される」「それを防ぐために、魔法の薬やまじないの祭りをする」などという迷信により、人を殺すことを防いでいる。それが、鬼神や悪霊が、時代に従って、次第次第に法律や刑罰に入れ替わっていったのだ、と著者は指摘する。現代でも、例えば我々日本人なら、小さい子が汚いものを口に入れようとしたり、他人に暴力をふるったりしたとき、「メッ。そんなことしたら、神様のバチがあたるよ」などと脅かすことがあるが、結局のところ、太古は小さい子ばかりではなく、大人までが「バチ」という迷信を信じていたのであり、それが悪事のブレーキになっていた。

言葉
鰥夫

 「鰥」という字はこれで「やもお」と訓み、これはつまり「(やもめ)」が女のそれを指すのに対する、男のそれである。それは2年前、本全集の第4巻、「生活の発見」(林語堂著)を読んだときに出て来ていた言葉である。

 しかし、その時、「やもお」という訓読みは調べてあったが、「寡婦(かふ)と鰥夫」という風に書いた時の音読みは調べていなかった。

 「鰥夫」で「やもお」と()んでも間違いではないが、音読みではこれは「(かん)()」である。

下線太字は佐藤俊夫による。p.439より

 ブリティッシュ・コロンビアのリルウエト・インディアンで、寡婦と鰥夫のために規定せられているものもだいたい同様である。しかしそこでは、鰥夫は食事の時に奇妙なことをする。右足の膝を挙げ、右手をその右膝の下から通して、それでもって食べる。

 次も引き続き世界教養全集を読む。次は第20巻で、1書のみの収録だ。「魔法――その歴史と正体―― The History of Magic」(K・セリグマン Kurt Seligmann 著・平田寛訳)である。

 この全集は私が子供の頃生家の本棚に並べられていたものなので、他のいくつかについては子供の頃に読んでいる。もちろん、この巻の「魔法」という字(づら)はいかにも子供が飛びつきそうなもので、小学生であった私も時々この巻を開いた。読むと魔法の秘密を知ることができ、超能力が使えるようになるのではないか、などと思ったのだ。ところが、「燈火の歴史」や「技術のあけぼの」「微生物を追う人々」といった子供が読んで楽しいものとは違って、難解にして(かい)(じゅう)、とても小学生が1冊読み通せるものではなかったことを覚えている。

 さて、あれから五十数星霜、スイもアマイも嚙み分けた今の私がこの巻を開くわけだ。あらためてどんなことが書かれているのかを理解できるはずで、楽しみである。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読む。第19巻の三つ目、「先史時代への情熱」(H・シュリーマン著、立川洋三訳)を、往きの通勤電車の中、水道橋と飯田橋の間の辺りで読み終わった。

 著者ハインリッヒ・シュリーマンは、トロヤ遺跡発掘で有名なかのシュリーマンその人である。往時は立志伝中の偉人として祭り上げられていたが、最近は批判もかなり大きいようだ。しかし、貧窮から身を起こし、世界的な成果を上げたことには変わりはない。

 本書でシュリーマンは、功成り名遂げてから発掘事業に着手したわけを、幼馴染の恋人への思いに突き動かされて努力し続けたものであると述べており、また、その恋人への思いはかなえられることがなかったことも述べている。なかなかロマンティックである。

 次は「悪魔の弁護人」(J・G・フレーザー著、永橋卓介訳)である。表題から内容は想像しづらく、私にとっては謎の書である。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読む。第19巻の二つ目、「発掘物語」(D・マスターズ著、平田寛・大成莞爾訳)を、帰りの通勤電車の中、日比谷線入谷と三ノ輪の間の辺りで読み終わった。

 著者デビッド・マスターズについては、様々な分野にわたって数多くの著作があるらしいが、日本語で言う意味での「ライター」らしく、著者紹介や解説でも「経歴・学歴等、はっきりわからない」とされている。

 しかし、本作は、エジプト象形文字やメソポタミアの楔形文字の解読の経緯(いきさつ)、エジプト、アッシリアなどの発掘調査についていきいきと描き出しており、読んでいてとても楽しかった。

 次は「先史時代への情熱」(H・シュリーマン著、立川洋三訳)である。シュリーマンと言えば、トロヤ遺跡発掘で有名なあのハインリッヒ・シュリーマンその人である。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第19巻にとりかかった。この巻は「考古学」の巻と言ってよいようだ。

 最初は「過去を掘る」(C.L.ウーリー著・平田寛訳)である。帰りの通勤電車の中、西新井と草加の間の辺りで読み終わった。

 著者チャールズ・レオナード・ウーリー卿はイラクのウル遺跡の発掘で知られる考古学者で、戦前に活躍した人である。本書は考古学者、特に発掘を主とする学者が、どのように土を掘るか、ということに力点を置いて述べている。

 次は「発掘物語」(D・マスターズ著、平田寛・大成莞爾訳)である。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻の最後、「長安の春」(石田幹之助著)を朝の通勤電車の中で読み終わった。

 著者石田幹之助は歴史学者・東洋学者であるが、特に中国の唐代について詳しかったらしい。本書は唐代の文化について徹底的に語りつくすもので、美しく端正な文章で書かれている。作品集なのであるが、表題作の「長安の春」という随筆は、まるで見てきたかのように美しい長安の都を脳裏に展開させる。


言葉
侈る

 「(おご)る」と()む。「(しゃ)()」という言葉があり、「奢」のほうも「る」を送って「(おご)る」と訓むが、「侈」のほうも同じ意味であり、「(おご)る」と訓むわけである。いずれも「贅沢をする」意味である。

平凡社世界教養全集第18巻「長安の春」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。下線太字は佐藤俊夫による。p.391より

文宗の頃も「暮春内殿牡丹の花を賞し」、皇帝が侍臣に「今京邑の人牡丹の花を伝う、誰か首出となす」と問われたことなどが伝わっている。豪の家々もまた侈りを尽くしてこの花を愛玩した。

 そのまま「()」の音読でよい。口先が黒く、体色が黄色い馬のことである。

  •  (漢字辞典オンライン)
p.407より

 南北朝以来、好んで詠まれた楽府「白鼻の」などにも、唐代に至っては句中に胡姫の登場を見ることが珍しくない。

洵に

 「(まこと)に」と訓む。「誠に」と同じと思ってよい。

ルビは佐藤俊夫による。p.426より

新たなる客が倍の資を(きょ)し、また、燭を継げばその価を倍にするという点に興味を覚えますが、肝心のなりなり、貨幣の単位の値打ちが私にはよくわかりませんので、洵に隔靴掻痒の感に堪えません。

 次は第19巻を読む。第19巻は欧米の考古学に関係する著作4編、「過去を掘る」(C・L・ウーリー著、平田寛訳)、「発掘物語」(D・マスターズ著、平田寛・大成莞爾訳)、「先史時代への情熱」(H・シュリーマン著、立川洋三訳)、「悪魔の弁護人」(J・G・フレーザー著、永橋卓介訳)からなる。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻の三つ目、「敦煌物語」(松岡譲著)を朝の通勤往路、JR秋葉原駅の中央線ホームへ上るエスカレーターの上で読み終わった。

 はじめ、題名などから往古の史跡敦煌に関する論説かなにかなのかな、と思ったのだがさにあらず。読んでみると、敦煌遺物の、いわゆる「敦煌経」(『敦煌文献』とも)の流出をめぐる珍妙な物語である。Wikipediaなどで「敦煌文献」を探すと、当時の関係者がほとんどタダ同然の対価で貴重な敦煌文献を売買し、欧州や日本に拡散してしまったことが簡単に書かれているが、その事情に焦点を当てた小説なのである。道士(おう)(えん)(ろく)と、イギリスの学者オーレル・スタイン、フランスの学者ポール・ペリオ、日本の門徒立花らとの珍妙無類の駆け引きが迫真の筆致で描かれている。敦煌文献の流失散逸は歴史的事実であり、登場人物の王円籙やスタイン、ペリオは実在の人物、本書中では「立花」と名前を変えてはあるが、これは実在の日本の僧(たちばな)(ずい)(ちょう)をモデルにしている。だがしかし、本書の面白おかしい場面場面は作者の創作である。つまりこれは、事実を下敷きにした面白い創作小説である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第18巻「敦煌物語」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.358より

 「吉川さん、先年猊下のお供をしてインドを歩き、その時と今度とでシナ・トルキスタン一帯を歩いてみて、今から千何百年も前に、この世界の乾燥地帯を()(ほう)のために命がけで西に向かって渡られた法顕だの玄奘だのというもろもろの三蔵たちのご苦労がわかったが、それにも増して、西域の高僧たち、わけても()(じゅう)だの(じく)(ほう)()だの(どん)()(ざん)だのという方々が、伝道のため訳経のため、東に向かって尽くされた努力にも頭が下がりましたよ。じつに至るところに遺跡があるのですからね。ところがどうです、それが一朝にして回教徒のため根こそぎやられてしまって、やがて千年近くになろうとしている。今、中央アジアのどこを歩いてみたって満足の寺一つはおろか、おそらく完全な仏像一体でさえ、昔日のまま祀られていないんです。自然、念仏の一声だって聞かれやしません。それに引きかえ、回教はどうです。ほとんど全中央アジアを「コーランか剣か」によって征服し、至るところアラーの神がはびこっている。そうしてその宗教戦争で殉死した聖者たちの霊廟(マザール)が各地に散在して、今に香華絶ゆるひまもなく繁昌している。まったく仏教徒の意気地なさを思い悲憤やるかたないわけだが、ここで一つ僕たち考えておかなければならないのは、何故回教がこれら土民の信仰尊信をかち得ているかということだと思いますね。カシュガルでイギリス・ロシア両国が(しのぎ)を削って事ごとに勢力争いをして、一方は福音堂、一方は天主堂というわけで、それぞれ宗教の仮面のもとにそこを侵略基地として帝国主義の魔手を伸ばそうとしているし、ウルムチあたりへ来ては、まさにロシアの勢力が駸々(しんしん)()としてはいってきているのがハッキリ見えた。しかしそれにもかかわらず、新教でも旧教でも大国の背景をもちながらこの(ろう)()たる回教の勢力を如何ともすることができないじゃありませんか。今度の探検旅行の一つの使命は、猊下からこの回教勢力の実際を調査することを命じられたんですが、たしかに東亜将来の根本問題の一つはこの回教問題ですよ。猊下の先見の明にはただただ恐れ入るほかありませんが、吉川さん、これがカシュガルで猊下から頂戴したコーラン経です」

言葉
護照

 難しい漢字ではなく、読んで字の如く「()(しょう)」であるが、意味を知る人は少ないだろう。これは「パスポート」「旅券」のことである。この言葉は現在は中国でだけ使われ、特に「中国のパスポート」を指して言うこともあるようだ。

下線太字は佐藤俊夫による。p.268より

スタインは秘書の蒋孝琬に一足先に一(むち)当てさせて、中国製の紅色の名刺と護照とをもたせて衙門に急がせた。

熱時熱殺

 これも読んで字の如く「(ねつ)()(ねっ)(さつ)」であるが、意味はわかりにくい。これは禅語だそうで、

(かん)()(しゃ)()寒殺(かんさつ)し、(ねつ)()(しゃ)()熱殺(ねっさつ)す(碧巌録)

という一節からの引用らしい。要するに、暑いときに熱い茶を啜ればかえって涼しくなる、暑さを熱で制し、寒さを冷で制する、というような意味である。

p.374より

ところが、その胡姫の代りに、こういう禅月の羅漢めいた老人のサーヴィスじゃお気の毒のいたりですな。しかし理屈をつければ、こんな砂漠地帯の長話も熱時熱殺で、何らかの趣なきにしもあらずというところかもしれんが、ともかく一日中聞いていただいたのに、到来ものの白ブドウ一杯で追っ払っちゃ、こちらの冥利がつきる。

中村()(せつ)

 本書は美術収集家で自らも美術家である老人が、若い来客を相手に、敦煌経散逸流失の一部始終を語って聞かせるという形になっているが、解説によればその老人と言うのは、中村不折という明治~戦前の昭和にかけて活躍した書家をモデルにしたものらしい。

p.378、秋山光和による解説より

さらにこうした種々な主人公を活躍させる共通の舞台として、著者が作り出した語り手(ナレーター)中村不折氏と思われる老画家の扱いは見事である。

 引き続き第18巻を読む。今度は「長安の春」(石田幹之助著)である。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻の二つ目、「史記の世界 ――司馬遷」(武田泰淳著)を帰りの通勤電車の中、草加と新越谷の間の辺りで読み終わった。

 この書は司馬遷とその著書「史記」について徹底的に語るものである。が、しかし、その著述態度たるや、何が著者をしてかく著さしめたのかと推し量るに、それは司馬遷と「史記」への徹底的な愛、それも偏愛ともいうべき熱の如きものであると見てよいのではないか。私など、読んでいて史記や司馬遷の解説に納得するのではなく、(むし)ろ著者自身のことを心配してしまった。昔の本であり、著者は45年前に既に亡くなっているのだが、本書執筆時若かったであろう著者に、「そんなに熱中していると体を壊してしまうよ」と心配してやりたくなったのだ。そういう本である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第18巻「史記の世界 ――司馬遷」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.183より

私は史記的世界の、「世家」並立状態について、瞑想にふける時、星体の運行する宇宙を想い浮かべることが多い。それはE・A・ポウの「ユリイカ」を連想するからであろう。「拡散」「放出」「活動様式」(modusoperandi)みな「ユリイカ」で使用されている言葉である。

p.191より

 陳渉については、誰でも知っている言葉がある。「燕雀、いずくんぞ、鴻鵠(こうこく)の志を知らんや。」 若くして小作人となり、畠を耕しながら、仲間の百姓に向かって彼が言った一句である。

言葉
突兀

 「突兀(とっこつ)」と読む。「(こつ)」と言う字は「い」を送って「(たか)い」と()ませ、故に「突兀」とは高く(そび)え、抜きん出ていることを言う。

  •  突兀(コトバンク)
  •  (モジナビ)
下線太字は佐藤俊夫による。p.175より

「史記」全篇を通じて見ても、女が主体をなした章は、ほとんどない。しかるに、ここに突兀として「呂后本紀」がある。

 画数が多くて見(づら)いが、拡大すれば「讎」である。「(あだ)」と訓む。「仇」とだいたい同じと思ってよい。「復讐」の「讐」と言う字と構成物が大体同じであるところから、この意味が通じる。したがって送り仮名をつけて「(むく)いる」などとも訓む。

  •  (モジナビ)
ルビは佐藤俊夫による。p.182より

()()(しょ)(こう)()の臣となって楚地深く侵入し「平王の(かばね)(むちう)ち、以て父のを報いた」のは前述の通りである。

 引き続き第18巻を読む。今度は「敦煌物語」(松岡譲著)である。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻、「黄河の水 中国小史」(鳥山喜一著)「史記の世界」(武田泰淳著)「敦煌物語」(松岡譲著)「長安の春」(石田幹之助著)を読みはじめた。

 一つ目の「黄河の水 中国小史」(鳥山喜一著)を()きの通勤電車の中、ちょうど通勤先の駅に着いたところで本編を読み終わり、職場についてから始業までのひと時で解説を読み終わった。

 前巻の「おらんだ正月――日本の科学者たち――」も少年向けに書かれたものであったが、この「黄河の水」も元々は少年向けに書かれたものだそうで、なるほど、読みやすく、面白い。大正末に出版され、戦前すでに50版を超し、戦後しばらくの間まで十数版もの改版を重ねたものだそうで、広く読まれたという。

 この書は中国の歴史を、夏王朝よりも前の時代、「三皇五帝」と言われる数千年前のところから語りはじめ、一気に共産党中国まで語りつくすというものだ。テンポよく一気に数千年を経る。興味深いエピソードや教養として知っておくべき有名な話も漏らさず押さえてあり、実に面白い読書であった。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第18巻「黄河の水 中国小史」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.29より

 始皇帝の次にはその末子の()(がい)というのが立って、二世皇帝となりました。この二世皇帝は、父に似もやらぬ愚かな性質で、天下を治める腕もなく、ただ自分の快楽ばかり考える人でした。皇帝は賢くなく、政をまかされた大臣等は、勝手なことをして、政をみだすということになったから、始皇帝のときには、その権力に恐れて、反抗したくも反抗のできなかった不平の民は、これを機会に方々でむほんをはじめました。その最初に事を起こしたのが(ちん)(しょう)という()(やとい)(にん)()。まあニコヨンですね。かれは人夫から兵卒となり一隊の長に出世しましたが、軍規にそむいて死刑になりそうになったので、どうせ殺されるなら一つ大きなことをして見ようと、(なか)()()(こう)と相談して、(しん)政府打倒の兵を挙げたのです。それで物の最初をはじめることを「陳呉となる」という熟語もできました。陳勝につづいた中でも最も有名なのが、(こう)()(りゅう)(ほう)です。

p.30より

 秦についてなお一言しておきたいことは、その名が中国をいう名称として、いまに至るまで世界中に広まっているという事実なのです。皆さんは西洋で、例えばイギリスでは中国のことを、チャイナ(China)ということをご存知でしょう。これは(しん)の名から起こったのです。というわけは、中国語で秦をチン(Chin)と発音します。これがインドに伝わって、チナ(Cina, China)となり、それに国の意味のインド語がつくとチニスターン(Chinistan)となりました。それがローマに入るとシネー(Sinae)となり、これからヨーロッパ諸国の中国をいう語になるので、チャイナなどもその一つ。大体これと同じ音のものです。またインドに巡礼に来た中国の僧侶はインドのこの語を聞いて、それを本国に逆輸入すると、その音を支那・脂那または震旦などの漢字であらわしました。秦は帝国としてたった十五年で亡びましたが、その名はこういうわけでいまもなお不滅に生きているのは、おもしろいではありませんか。

 それからついでに申しておきますと、前にいったように中華民国の名も、中華人民共和国というのも、もとは古い中華・中国の考えから来たものですが、その国名を西洋(ふう)にあらわすときには、決して中華の音をローマであらわさないで、ザ・チャイニーズ・リパブリック(The Chinese Republic)とか、ザ・リパブリック・オブ・ザ・チャイニーズ・ピープル(The Republic of the Chinese People)というように、このシナの名称を使っているのです。

 なお、解説を読んでみると、上の一節には著者・編集者の苦渋が見て取れる。戦前の本書の題は、「支那小史 黄河の水」だったのである。ところが、この平凡社世界教養全集に収められるにあたり、「支那」「シナ」という用語を努めて「中国」その他の用語に改めたのだという。この平凡社世界教養全集は昭和40年代の刊行であるが、その頃すでに中国を支那と呼ばないというような取り決めが、出版界では行われていたのである。

 しかしそれにしても、欧米ではそんなことを全く意に介せず「支那」を語源とする China を用い、また当の中国もまったくそれに異など唱えず、ところが日本で「支那」と書いた途端怒り出すというのは、改めて言うことでもなかろうけれども、変なことである。

p.71より

 学者には程顥(ていこう)(てい)()の兄弟が、儒学に新しい説を立てましたが、それを大成したのが、(しゅ)()(すなわち(しゅ)())であります。朱子は多くの著書を残しましたが、その学説は次の元・明・清に影響したばかりでなく、わが国にも朝鮮にもおよびました。徳川時代などは、漢学といえばすぐこの朱子の学問の別名と思う位でした。文章の名家も多くありましたが、詩文ともにすぐれたのは(おう)(よう)(しゅう)や蘇東坡(名は軾〔しょく〕)です。東坡の「赤壁(せきへき)()」はよく知られています(この人は衛生のことにも注意し、料理法にも通じていました。その発明したというものに、おいしい東坡肉〔とうばにく〕というのがあります。中華料理でご承知の方もありましょう)。

言葉
汴京

 地名であるが、この「汴」という字の読み方が難しい。これで「(べん)(けい)」と読む。宋の都である。「べんきょう」とも読むが、「べんけい」の方が一般的であるようだ。場所はここである。

下線太字は佐藤俊夫による。p.69より

しかしこの戦争の間に、宋の弱いことを見ぬいた金は、その野心(たくま)逞しくして、宋をも併呑(へいどん)しようと、大兵を下して国都汴京を攻めおとし、徽宗とそれについだ欽宗や、皇后をはじめ、大臣以下の官吏や人民を捕虜とし、また宮中や国都の、目ぼしい財宝を(りゃく)(だつ)して、北に帰りました。

 引き続き第18巻から「史記の世界 ――司馬遷」(武田泰淳著)を読む。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第17巻の四つめ、「おらんだ正月――日本の科学者たち――」(森銑三著)を休みの土曜の夜、自宅の居間で読み終わった。

 読みはじめるとすぐにわかることなのであるが、この書は少年向けに書かれたものである。江戸時代以前に活躍した日本の科学者たちについて、驚くべし、五十二人を取り上げ、戦前、雑誌「子供の科学」に連載されたものだ。「子供の科学」は戦前から現在までおよそ100年も続く子供雑誌である。

 子供向けの連載であったにもかかわらず大人の鑑賞に堪える。読んで面白く、一つ一つの伝記が胸に迫る。

 本書の皮切りはそのかみの名医「永田徳本(とくほん)」なのであるが、この人の名はかの湿布薬「トクホン」に使われている。昔から「トクホンって、なんでトクホンっていうんだろう?」と思っていたが、本書を読み、またトクホン製造元のホームページなどを見て、ようやく納得がいった次第である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第17巻「おらんだ正月――日本の科学者たち――」のうち、沼田次郎による「解説」より引用。
p.544より

 森さんは『おらんだ正月』を少年たちのための書物として書かれた。しかしそれはおとなの読物として歓迎される結果となった。森さんはそれが多少ご不満のようである。しかしそれはこの書物が少年向きの書物として不適当なことを意味するものではない。それはこの書物が少年向きに書かれながら、その内容がしっかりしているために、おとなにも歓迎されたことを意味する。私はこの書物が今後ますます少年諸君に読まれると同時に、またいっそうおとなの読者にも読まれることを希望するものである。

 次は第18巻を読む。「黄河の水」(鳥山喜一著)「史記の世界」(武田泰淳著)「敦煌物語」(松岡譲著)「長安の春」(石田幹之助著)の4書だ。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第17巻の三つめ、「蘭学事始」(杉田玄白著・緒方富雄訳)を帰りの通勤電車の中、東武スカイツリーラインの西新井と草加の間の辺りで読み終わった。

 菊池寛の小説「蘭学事始」は読んだことがある。また、本書は同じものをデジタル書店の「グーテンベルク21」がKindleで割合に安く出している。そのサンプルは見たことがあるのだが、購入まではしなかった。それをこの全集で読んでみたわけである。

 著者の杉田玄白は言わずと知れた「解体新書(ターヘル・アナトミア)」の共同翻訳者、杉田玄白その人である。本書はその杉田玄白の著書を現代語訳したものであるが、その訳者・緒方富雄氏というのが、かの緒方洪庵の曾孫だったというから驚く。この人も医学者で、かつ文筆家だったそうだ。平成元年(1989)没というから、30年あまり前まで存命であったということだ。

 本書は杉田玄白自身が老境にあって蘭学の草創期から普及に至るまでを回想したものだ。玄白が壮年の頃、日本では、まだ蘭学は無論、洋学、ことにヨーロッパの国語を解するということ、とりわけ書かれた文章を読んだり、いわんや翻訳などということは、まったく行われていなかった。杉田玄白は知己の前野良沢と協力し合って初めてオランダ語の書物「ターヘル・アナトミア」の翻訳に取り組んで完成させ、それがきっかけとなって日本に蘭学が普及したことは誰しもこれを知る。

 本作は現代語訳で、読みやすく、かつては中学生などにも読み物として大変親しまれたものであるという。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第17巻「蘭学事始」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.336より
一七
明和八年三月四日――(こつ)(はら)のふわけ

 これから、みなうち連れて、(こつ)(はら)のふわけを見る予定の場所へ着いた。この日のお()(おき)の死体は、五十才ばかりの女で、大罪を犯したものだそうである。京都の生まれで、あだ名を青茶婆(あおちゃばば)と呼ばれたという。さてふわけの仕事は虎松(とらまつ)というのが巧みだというので、かねて約束しておいて、この日もこの男にさせることに決めてあったところ、急に病気で、その祖父だという老人で、年は九十才だという男が代わりに出た。丈夫な老人であった。かれは若いときからふわけはたびたび手がけていて、数人はしたことがあると語った。それまでのふわけというのは、こういう人たちまかせで、その連中がこれは肺臓(はいぞう)ですと教え、これは肝臓(かんぞう)、これは腎臓(じんぞう)ですと、切り開いて見せるのであって、それを見に行った人々は、ただ見ただけで帰り、われわれは直接に内臓を見きわめたといっていたまでのことであったようである。もとより内臓にその名が書きしるしてあるわけでないから、彼らがさし示すものを見て「ああそうか」とがてんするというのが、そのころまでのならわしであったそうである。

 この日も、この老人がいろいろあれこれとさし示して、心臓・肝臓・胆嚢(たんのう)()、そのほかに、名のついていないものをさして、これの名は知りませんが、自分が若いときから手がけた数人のどの腹の中を見ても、ここにこんなものがあります。あそこにこんなものがありますといって見せた。図と照らし合わせて考えると、あとではっきりわかったのであったが、動脈と静脈との二本の幹や、副腎などであった。老人はまた、今までふわけのたびごとに医者の方にいろいろ見せたけれども、だれ一人それは何、これは何と疑われたお方もありませんといった。

 これをいちいち、良沢とわたしが二人とも持って行ったオランダの図と照らし合わせてみたところ、ひとつとしてその図とちがっていない。古い医学の本に説いている、肺の六葉(ろくよう)(りょう)()、肝の(ひだり)三葉(さんよう)(みぎ)()(よう)などというような区別もなく、腸や胃の位置も形も、むかしの説とは大いにちがう。

 官医の(おか)()養仙(ようせん)藤本立泉(ふじもとりっせん)のお二人などは、そのころまで七―八度もふわけされたそうであるが、みなむかしの説とちがっているので、そのたびごとに疑問が解けず、異常と思われたものを写しておかれた。そして、シナ人と外国人とでちがいがあるのであろうか、などと書かれたものを見たこともあった。

 さてその日のふわけも終わり、とてものことに骨の形も見ようと、刑場に野ざらしになっている骨などを拾って、たくさん見たが、今までの古い説とはちがっていて、すべてオランダの図とは少しもちがっていない。これにはみなおどろいてしまった。

 次は同じく17巻から、「おらんだ正月――日本の科学者たち――」(森銑三著)を読む。