旧暦2033年問題

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 私は俳句をよく()むので、こと「旧暦」に関する限り普通の人よりも敏感だ。伝統的な俳句は旧暦、旧仮名、文語、定型、これらで詠むのが基本だからである。

 その旧暦、つまり「太陰太陽暦」だが、これは日本の場合は江戸時代に決められた「天保暦」という暦法で編まれており、明治時代までは公的に決められていた。その初めたるや遠く飛鳥(あすか)時代にまで(さかのぼ)る「陰陽寮(おんみょうりょう)」という官署があり、これが(おおやけ)の暦を計算して決める当局であった。

 明治時代に暦は「新暦」つまり今の「太陽暦」に移行したが、明治の終わり頃までは新暦がまだ人々にはピンと来なかったため、公文書の日付などには旧暦が併記されるならわしであった。

 陰陽寮はなくなり、その後旧暦の併記もなくなったので、明治の終わりごろには公的に旧暦が決められることはなくなったが、国民生活や文化の諸所に旧暦が影響しているため、民間では今も旧暦が決められ、カレンダーに書き込まれるなどしているのは周知の事実である。

 ところで、FBのウォール上で、ある人が記事を紹介していたことから知ったのだが、旧暦、特に日本の暦法である「天保暦」には標記の「2033年問題」なるものがあるという。

 この問題、要は「置閏(ちじゅん)法」、すなわち天保暦特有の「閏月(うるうづき)」の置き方のルールを守ると、平成45年(2033)にどうしても一部に(ほころ)びが生じ、すべてのルールを守れないところが出て来てしまう、ということである。天保暦が使われるようになってから初めての事なので、前例もないのだ。

 閏月とは、月の満ち欠けと地球の公転時間のずれを、時々同じ月を2回置くことで吸収するものだ。一昨年(平成26年)、「中秋の名月が2回ある」という話題があったのを覚えている人も多いと思うが、これは旧暦の九月が「閏月」で2回あったことによるものだ。

 上記のようなニュースの中では、公的機関である国立天文台からの「あれこれいう立場ではない」との表明が紹介されている。

 ところが、国立天文台のほうでは平成26年(2014)に早々と「理科年表」の中でこのことに詳しく触れて解説しており、「まったくの知らぬフリ」というでもないらしい。また、民間カレンダー関係者の任意の会同などに人を参加させ、ある程度関与はしているようだ。

 ただ、国としては明治時代に制度として新暦に移行しているので、大っぴらにこの問題に関わるわけにいかない、というところだろう。

 思うに、平成45年は旧十一月を閏月にするのが一番シンプルな解決ではあるまいか。1か所だけ、天保暦のルールの例外を認めるのである。

秋の雲

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 仲秋だというのに昼の間の雲は文字通りの入道雲で、ともすれば下品に、むくむくと無闇矢鱈に大きかった。それが、日暮れてくると脱脂綿を千切ったような絹雲となり、秋の雲そのものである。

 たまたま今年は、新暦9月と旧暦八月の日にちが一致している。今日6日、来週の15日木曜日が旧八月十五日で、「中秋の名月」だ。だが、天文学上の望は、この二日後、17日だという。

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 旧六月廿六日、二十四節気は大暑二候、七十二候は「土潤溽暑(つちうるおいてじょくしょす)」である。

 昨日は雑節「夏土用」、就中(なかんづく)(うし)の日とあって、巷間(こうかん)鰻を食べることはよく行われる。

 このところ毎夜食事を(こしら)えていた長女。昨日は(いわし)を煮る、と言っていたのが午後になって面倒くさくなったらしく、「暑い~」なぞと言って手を付けぬ。IMG_3944

 得たりと妻は買い物に出かけ、このところ随分と高くなったはずの国産鰻を奮発してきた。それで、世間と同じく、例年通り昨夜の我が家は鰻の夕餉(ゆうげ)となった。

そろそろ

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 湿度が高く、光の散る晴れ方の朝だ。このところ、近所の家々の紫陽花(あじさい)はすっかり(しお)れたが、いれかわりに百日紅(さるすべり)の花が鮮やかに咲きはじめた。

 旧暦六月十五日。十五夜だが天文観測上の望月は明後日だという。新暦7月の和名は文月(ふみづき)だが、本来の旧暦なら名前ばかりの水無月(みなづき)である。実際は梅雨の最中で、「水あり月」だ。

 そろそろ梅雨明けかな、という雰囲気もあるが、あらためて天気図を見ると、列島はまだまだ長く伸びた梅雨前線の水蛇にとりまかれており、もう少し我慢というところか。

 関東に住んでいると、今年は(から)梅雨なのかな、という感じがするが、さにあらず、先日は千葉で冠水騒ぎだったし、関西・東北ではむしろよく降っているという。

 梅雨(つゆ)は「ばいう」とも読むが、この音読で「黴雨(ばいう)」の字を当てる場合もある。高い湿度で(カビ)臭くなるというほどの意味だ。

 思いついて手元の歳時記を繰ると、見出し・傍題含めて、雨に関してはたくさんの季語がある。試みに書き出してみよう。

 夏の雨 緑雨 卯の花(くた)し 卯の花くだし 梅雨 黴雨(ばいう) 荒梅雨(あらづゆ) 男梅雨(おとこづゆ) 長梅雨 梅雨湿(じめ)り 走り梅雨 迎へ(むかえ)梅雨 送り梅雨 戻り梅雨 青梅雨 梅雨の月 梅雨の星 梅雨雲 梅雨の(らい) 梅雨曇り 梅雨夕焼け 空梅雨 (ひでり)梅雨 五月雨(さみだれ) 五月雨(さつきあめ) 虎が雨 虎が涙雨 夕立 ゆだち 白雨 驟雨(しゅうう) 夕立雲 夕立風 喜雨(きう) 雨喜(あまよろこ)

 日本は高温多湿、雨が多く、四季のはっきりした風土なのだなあと改めて感じるのである。とりわけ、梅雨に関する言葉の多さときたら。

 また、「雨喜び」などという季語には、本当に農民の心が表れているな、と思う。

 「驟雨」という言葉には品と格があり、心に響く。それに比べて、最近「ゲリラ豪雨」という言葉が報道などで使われるが、これはまったく品もへったくれもない言葉だ。「ゲリラ」で「豪雨」だよ?いや、勿論、人的被害が出ているようなときに驟雨などと言って澄まし返っているわけにはいかないが、場面場面にちょうどよい言葉を使ってもらいたいものだ。

 テレビで美しいアナウンサーが、その美しさとはうらはらに「凄いゲリラ豪雨になる可能性がアリマス!」などと言い放つと、本当にがっかりする。「凄い」もどうかと思う。まあ、被害が出るような場面での「ゲリラ豪雨」は仕方がないが、「可能性」という言葉をここで選んではいけない。せめて「強い雨が降る恐れがあります」と言うべきだ。

 可能という漢語は「(あと)()く…」する時、つまり積極的な方向性があるときに用いるもので、被害が出るような場面で使ってはいけない。しかし、例えばゲストの大学の先生あたりが学術的な語として「梅雨前線の停滞で豪雨被害が出る可能性もある」というふうな使い方をするのは、これは学究の言葉であるから、まず構わないだろう。

 こう書いて来るとまるで爺ィの繰り言だ。オッサンから爺ィになってきた。

 言葉は時と人により変化していくものなのだから、あまり偏屈な繰り言は言うまい。

 何か雨の面白いものは、と検索すると、Youtubeにジーン・ケリーの「雨に唄えば」があった。

 名作だなあ。これでも見て、繰り言は休題にしよう。

節季に、土用に、鰻に、泥鰌

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 夏至も過ぎた。だいぶ暑い。夏至を過ぎれば次の節季は半夏生が7月1日、7月7日が小暑で七夕、その次が土用、ということになろうか。

 今年の夏の土用は7月19日、正確にはこの日の15時3分だという。これは太陽高度で決まるので、このように時間まで出ている。細部は国立天文台の暦要項に詳しい。今年(平成28年(2016))のものはこれだ。

 こう書いて来ると、「じゃ、(ウナギ)食えるのはこの日ですかね」と一直線に短絡(ショート)されてしまうのだが、残念、鰻を食うのはこの日ではない。

 暦を繰ると、7月19日は旧暦六月十六日で、この日は「寅」の日である。この日から寅卯辰巳午未申酉戌亥(とらうたつみうまひつじさるとりいぬい)子丑(ねうし)……とカレンダーを数えていくと、7月30日、旧暦で六月廿七日が「土用の(うし)」だとわかるわけだ。

 鰻を喰うのはこの日、「土用の丑」の日である。

 こう書いて来ると、土用の丑に鰻を喰うのは、まるで古来の由緒正しく(ゆか)しい習俗、みたいに感じられるが、実際全然そうではなく、割合に最近──と言っても江戸時代──、派手屋の才人、平賀源内の広告活動によって広まったことはこのごろよく知られる。

 土用の丑まで待たずとも、今の時季、淡水魚で旨いものというと、やはり泥鰌(どじょう)だろうか。

 浅草の「駒形どぜう」が呼んでいる気がする。アレはうまい。また行きたいなあ。

 泥鰌に舌なめずりしなくても、私の住む大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)元荒川(もとあらかわ)流域の平地では、昔から(なまず)が名物である。白身で、天婦羅などに向く。

 夏は暑さで食欲も減退し、相対的に旨いものが減るが、なに、気の持ちようだ。氷もビールもウィスキーも日本酒もワインも肴も、どうしても旨い。

今日はだいぶ涼しい

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 昨日の埼玉は暑いところでは35度にも達し、病院に担ぎ込まれる人が数十人も出たという。たしかに、昨日、私は自宅で静かにしていたのだが、夕刻外出する頃にはなにやら目が回る心地がした。「なぁに、気のせい、気のせい」くらいのことで済んでしまったが、35度にもなろうという室内に一日もじっとしておれば、そりゃあ、眩暈(めまい)ぐらいするだろう。

 さておき、今日は打って変わってだいぶ涼しい。旧暦五月十五日とはいうものの、望月は明日だ。晴れれば煌々と明るい夜だろうが、この涼しさと引き換えの曇りなら月は見えまい。

 いつも通り氷を砕き、とろとろとウィスキーを()いではあれやこれやと悩ましい。飲もうが飲むまいが悩ましいならいっそ飲むな、と言われそうだが、ここは「いっそ飲む」のほうを選ぼう。黄昏時に乾杯。

旧暦問わず語り

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 節分も立春も過ぎた。歳時記のカバーを掛け換え、角川文庫版の「春」の巻を鞄に入れる。

 さて、次は正月だ。

 ……などと書くと、「ハァ!?正月?アホかお前は」なぞと言われそうだが、今私が触れようとした正月は「本物のほうの正月」、すなわち旧正月のことである。

 今年の旧正月は2月19日の木曜日だ。大晦日はその前日で2月18日。

「へえ!。じゃ、昔の節分とか立春は、もっと先なの?」

……それが、違うんですよ。節分や立春は、たとえ旧暦に直しても全く動かず、昨日、一昨日(今年の場合で2月3日・4日、旧暦十二月十五日・十六日)なんですよ。

「それだったら、昔は年の暮れに節分や立春があったの?」

 ええ、たまに、ね。というか、年によっていろいろと……。

「そんなのおかしいじゃん」

 ええ、おかしいですよ。

「変なの。旧暦とか馬鹿みたい。めんどくさい、アンタだけ勝手にやってれば。旧暦とか言ってるから江戸幕府は倒れたんだし、戦争にも負けたんだし、グローバルなんだし、国際競争に負ける原因なんだし、日本語みたいな非合理な言葉なんか全部やめて英語で会議しようよ(ry」

 ええい、やかましいわこの似非日本人めが!!ゆかしい古来の習慣を全否定しおってからに、貴様らのような輩がいるから日本はダメになるのだ!!消えてしまえ!

……し、しまった興奮してしまった。落ち着け佐藤。いや、消えてしまえなぞという前言はたった1秒で撤回しますですごめんなさいw。

 昔の人は、日にちを月の満ち欠けで知っていた。「なんで最初から太陽にしなかったんだよ」と思う方は、自分が文字も知らず、カレンダーも何もない僻村で農業をしている民衆だと想像しよう。日にちの二三日のずれはともかく、だいたい今日がいつ頃か、ということを知るのに、空を見上げるとおあつらえ向きに毎日形が変わる月がある。月の満ち欠けは日々変わるから、空にカレンダーがかかっているようなものなのであり、人々にとってはこのほうが便利だったのである。太陽の高さは日々少しづつしか変わらないから、精密な測定具でも作れるならともかく、太陽で日にちを知ることは民衆には不便なのだ。

 だがしかし、月の満ち欠けは地球の公転周期とは一致しないから、少しずつずれていってしまう。民衆が日にちを知って何をしたいかと言うと「田植えをいつしようか」「種をいつまこうか」ということだ。これが大きくずれると、農作物の収入に影響が及ぶ。

 そこで、月の満ち欠けで知る暦のほかに、これを補助するために太陽高度をもとにした基準も設けることとなった。節分や立春、雨水・啓蟄・彼岸と言った「二十四節季及び雑節」と言われるものがそれだ。これは中国から輸入した考え方をもとに日本風のアレンジを施したものだ。その定め方は日本でも千年以上前からほとんど変わらないので、今も昔も同じである。また、月の満ち欠けと地球公転周期のズレについては、月の満ち欠けをもとにした暦のほうに「うるう月」を設けて定期的にそのずれを補正した。去年の旧九月が九月と閏九月の2回あり、「後の月」の月見が2回できたことをご記憶の方も多いと思う。

 ただ、これを求めることは無知蒙昧な一般民衆にはむずかしい。そこで、そういうことは、「陰陽寮(おんみょうりょう)」という役所で陰陽師(おんみょうじ)が計算して求め、発表していた。実はこの陰陽寮、遠く飛鳥時代から、なんと明治初年頃まで朝廷にあり、もっとも永続した役所の一つであった。

 陰陽師はそういうれっきとした天文学者集団だったのだが、太陽高度や月の満ち欠けを関連させる計算は昔の人にはチンプンカンプンの難しい作業だから、一般の人が陰陽師のすることを見るとまるで怪しげな魔術か何かに見えたであろうことは想像に難くない。そういうところから陰陽師にまつわるさまざまな怪奇伝説や超能力伝説が生まれたのではないかと私は思っている。

 月食がいつくるかなどということは陰陽師には計算で分かっているわけだが、それをあたかも「見よ!これから私が月を隠してくれる!どりゃああ!」と言って九字を切って印を結んで祈祷したら月が欠けだした、なぞという子供だましなど、いたずらでやって見せたかも知れない。何も知らない庶民はさぞかしびっくりして、「安倍の清明(せいめい)様は超能力者じゃああ」と驚いてひれ伏したことだろう。

 さておき、このように、旧暦と二十四節季は昔から併存しており、かつ、一致しないことは上のとおりだ。では、立春や節分のあとに正月が来る件は、昔の人はどうしていたのだろう。

 これが、「どうもしていない」のである。皆さんも年賀状に「謹んで新春のお慶びを申し上げます」なぞと書くでしょう。私なんか子供の頃、「なんでこのクソ寒いさなかに『新春』なんだよバカじゃねぇのか」なぞと思ったものだが、これは旧暦・旧正月の名残である。昔の正月はもう梅も咲こうかという頃おい、立春の前後の新月の日だったわけだから、実際に早春なのであった。そして、年によっては今年のように立春の後に正月が来るのだ。(ちなみに、去年の旧正月は新1月31日で、節分と立春は今年と同じ2月3日と4日だから、正月の後に立春になっている。)

 豆まきを暮れにやるかどうか、というのは、これは地方にもよるものの、江戸時代以前には古式ばった追儺式も含め、ほぼ歳末ごろの行事と位置づけられていたようだ。

 なんにせよ、今日は旧暦十二月十七日で、月は望から少し欠けたところだ。下弦の半月はちょうど来週の木曜、そこから毎夜、空を見上げておればやがて月が完全に欠けきる。そうして真っ暗になったらそれが(ついたち・さく)で、旧正月だ。

月は忌むべきものではない

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PHM24_0270 さて、毎年毎年、知ったかぶりの同じネタで恐縮だが……。 ‪

 秋の名物と言えば月である。しかし、「中秋の名月」が終わった途端、誰も月を見なくなってしまうのは残念なことだ。人々が三々五々祭りの喧騒から帰ってしまうような感じは、なんとしても惜しい。

 最近は欧米白人の言説に惑わされてか、「月の光を浴びると狂気が生じ、犯罪が多発する」なぞと言いふらす輩が増えているが、古来日本人は四季のはっきりとした日本の風土とともに独自の文化をはぐくみ、月を美しいものとして鑑賞してきたのであって、月を見たからと言っていちいち欲情したり犯罪に走っておっては身が持たぬ。

 一般ピープルは中秋の名月を見終わってサアヤレヤレ、ほなサイナラ、と月から去ってしまうが、私のような玄人(マテ(笑))は、ここからが違う。万事、「人のゆく裏に道あり花の山…」なのである。

 中秋の名月にしても、私なぞ、十五夜で大騒ぎはせぬ。まず、その前日、「十四夜」で騒ぎ始める。十四夜は「待宵(まつよい)」といい、また「小望月(こもちづき)」とも言う。翌日が十五夜であるから、これを明日に控えて待つ夜である。また「望月(もちづき)」に少し欠けているから小望月というわけだ。成長途上の若い果実がことさら愛しいように、少し満たない月の美しさもまた、愛でるべきものである。

便々(もやもや)もあらざる身過(みすぎ)小望月

佐藤俊夫

 さて、そうして十五夜を迎え、人々の喧騒が去った翌夜、また私の出番(笑)となる。

 十五夜の翌夜は、そのまんま「十六夜」と言う。これは()んで「いざよい」である。また、既に満月が終わったところから、「既望(きぼう)」とも言う。これを音読するには、「希望」とは違って、最初の「き」にアクセントを置くことが正しい。いざよいの語源は、満月よりも出が少し遅れるので、ためらうという意味の古語「いざよふ」から付いたものという。

いざよひを母は病むらむ夜は来ぬ

佐藤俊夫

 この次もまだある。中秋の名月の二日後の月を「立待月(たちまちづき)」という。名月を過ぎると月の出がだんだん遅くなってくる。月の姿も痩せ始めるが、これを惜しんで「立って月を待つ…」ことから、立待月と言う。

立待や二人隠るゝやうにして

佐藤俊夫

 これくらいかというと、まだまだ月は終わらない。その翌晩の月を「居待月(ゐまちづき)」と言う。前日の立待月よりもまだ月の出が遅く、今度は座って待つところから居待月と呼ぶそうな。

名も知らぬ(こずえ)より()て居待月

佐藤俊夫

 まだありますよ(笑)。十九夜、つまり四夜後の月、もうこうなってくるとだんだん下弦に近づいてくるのであるが、この月を「寝待月(ねまちづき)」という。立って待ち、座って待って、遂には「寝転んで」待つ、ということで寝待月となるわけだ。同じ意味で「臥待月(ふしまちづき)」、あるいは「ふせまちづき」とも言う。夜の長い感じが段々に強くなる。

寝待月一盞(いっせん)さらに加へけり

佐藤俊夫

 これで終わりかと思ったら、まだまだ引っ張りますとも、ええ。二十夜の月を「更待月(ふけまちづき)」と言う。寝て待って、まだ月が出ず、夜更けまで待って、だが、もうこの頃はかなり月が欠けているから、「ああ、お月さん、終わっちゃう(涙)」という、そういう感懐もあろうか。寂莫たる秋の夜である。単に「二十日(はつか)月」と言ってもよい。

嬰児泣く声よ更待(ふけまち)出はじむる

佐藤俊夫

 で、二十夜も過ぎると、見えるところに月が上がってくるのは、午後九時ほどにもなってしまう。こうなると、月のことを言っているにもかかわらず、月を指して言わずに「宵闇(よいやみ)」なぞと言ってみたりする。

寸鉄を()宵闇(よいやみ)幕営地(ばくえいち)

佐藤俊夫

 さて、中秋の名月に続く夜々はこんな具合だが、まだ秋の月は終わらない。なかなかシツコイ(笑)。そのひと月後、つまり旧暦九月十五日(今年は10月19日(土)にあたる)も、当然満月である。これを「(のち)の月」と言うのだが、正確な満月の十五日ではなく、その二日前、十三日の夜を後の月と呼ぶ。つまり今年は10月17日(木)がその日だ。

 豆や栗を供え、「中秋の名月」のように月見をする。中秋の名月にだけ月見をして、この十三夜に月見をしないと、「片月見」と言って縁起がよくないものだそうな。

ひかり濃くベッドタウンの十三夜

佐藤俊夫

 なんにせよ、月は美しい。カレンダーというもののない昔の、文字の読めない人たちでも、「空にカレンダーがかかっているように」、月の満ち欠けで日にちを知ることができるという実用上の意味も月には大いにあった。妖怪や犯罪、性欲なぞ言う無粋なことはこの際置いて、かぐや姫のおとぎの居所を眺めてしみじみしたいものである。