主要新聞各社の天皇陛下崩御・皇后陛下崩御・皇太后陛下崩御・皇族方薨去等時の用語

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 以前、天皇陛下や皇族方に関する報道の、敬称の用い方がどうも気に入らなかったり、畏れ多きことながら、お隠れ遊ばされた場合の新聞各社の用語が気に入らない、不敬なのではないか、なんてことをこのブログに書いた。

 しかし、ふと思った。確かに、昔はどの新聞も「崩御(ほうぎょ)」「薨御(こうぎょ)」「薨去(こうきょ)」「逝去」「死去」「死亡」などの語はきちんと使い分けられていたように思うのだが、はて、それを見たのか、というと、どうも、なんだか記憶が怪しい。いつどの記事で見たのか、と言われると、見たことがないような気もするのだ。

 そこで、天皇陛下・皇后陛下・皇族方を判る限りリストアップし、その表を携えて図書館へ行った。有名な新聞(朝日・毎日・読売・日経・産経の5紙)について、遡れるだけ遡って、お隠れになった際にどの用語で報道されているかを調べた。

 私が見つけることのできたもののうち、最も古い報道は明治41年の山階宮(やましなのみや)菊麿(きくまろ)王殿下の薨去だ。逆に、最も近いのは、去る10月の三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下の薨去である。この間の、33方の記事を調べることができた。

 その結果は次のとおりである。

(産経は歴史が浅いので、昭和13年より前の記事はない)

 調べた結果から、興味深いことが分かる。

 日本の右翼新聞というと「産経」で間違いないところだ。産経は先日三笠宮殿下が薨去された時も「薨去」と報道した。ところが、実は産経がこう書いたのは、平成26年に薨去された桂宮殿下の時だけなのだ。

 桂宮殿下薨去より前は、産経も他紙と同じように、天皇陛下・皇后陛下を除き、「ご逝去」か「逝去」と報道していたことがわかる。終戦間際の閑院宮(かんいんのみや)殿下の報道がわずかに「薨去」とあるのみで、それ以前の、産経の前身である「日本工業新聞」時代には、皇族方薨去に関する記事そのものがない。それは、機械の生産高や経済指標等のみを報道する専門紙に近い新聞だったからである。

 朝日・毎日・読売・日経はどれもこれも左翼新聞だが、戦後、昭和21年に薨去された伏見宮博恭(ひろやす)王殿下までは全紙が「薨去」と書き、昭和22年に薨去された閑院宮載仁(ことひと)親王妃智恵子殿下の時は毎日が、昭和28年に薨去された秩父宮殿下の時には読売が、それぞれ「薨去」と書いている。

 それ以降は多くのいわゆる旧皇族方が皇籍を離脱され、報道そのものがないか、臣籍降下後の姓名で報道されていることもあって、薨去という用語は見られない。

 戦前は、記事のない産経新聞を除いて、全部が基本的に「薨去」を用いている。天皇陛下・皇太后陛下・皇后陛下については、昭和26年の貞明皇后崩御時に朝日新聞が「御逝去」と報道している他は、言うまでもなくすべての陛下に「崩御」が用いられている。唯一変わっているのは、北白川宮永久王殿下は戦死されているため、各紙の記事も「戦死遊ばさる」等の表現になっていることだろうか。

 ここから言えることは、右翼新聞を()って成る「産経」も、それほど昔から首尾一貫はしていなかった、ということだろう。

 また、昭和41年生まれの私は、新聞記事で「薨去」という言葉を見たことがない、ということも明らかなことだ。

 だがしかし、それなのに、である。私は「薨去」という言葉を見て育ったような気がするのだ。なぜだろう。

 これは、おそらく周りの大人が「薨去」「崩御」という言葉を使っていたこと、また、特に父母などは「昔やったら、天皇陛下が亡くなりはったら『崩御』、皇族方は『薨去』と書いたもんやった」などと普段から言っていたから、それを聞いて育った私は新聞で見たように思い込んでいたのだと思う。

 私は、「薨去」等の言葉を知らない人なんて少数派で、単に「ものを知らんだけだろう」と思っていた。だが、上述の調査の結果、それは実は誤りだ、ということも分かった。

 昭和28年に秩父宮殿下が薨去されてから62年間、「薨去」と言う言葉は、産経が2回使った他は、新聞では使われていないのだ。したがって、今50歳の私は、生まれてからこのかた「薨去」という言葉を新聞で見たことなど、(ほとん)どない(はず)なのだ。

 新聞という大メディアに載らない言葉を、普通の人が知っているわけはないのであり、「薨去」という言葉を知らないからと言って「もの知らず」ということにはならない。反面、だからと言ってもの知りということにもならないことは自明だ。それら諸々(もろもろ)を考慮すると、薨去という言葉を知らない人は「普通の人」だということになるだろう。

 但し、新聞では使われていないが、公的機関の発表等は厳格に「薨去」が使われている。

牡蠣

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こんなこと日本でもマネするよ

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 「トランプ・ショック」なんぞと言って他人事みたいに愛でている場合ではないように思う。

 私は特定分野のITに関係して長年過ごしてきたが、かつては「アメリカから10年遅れ」などと言ったものだ。アメリカの流行やトレンドを、だいたい10年くらいのタイムラグで日本でも真似しはじめるのだ。なぜ真似するかというと、所詮、アメリカ人の言う「猿」だからだ。

 だからかつてはラクなもので、アメリカの事情をウォッチして、あらかじめ準備しておくと日本でもドンピシャと当たりがとれ、予言めいた不気味さを醸し出してカリスマ扱いされることも可能だったのだ。テレビ番組なんて、ほとんどアメリカの番組の真似だったことを思い出すと良い。

 さすがに、ITについては技術の進歩が早いし、企業の追随も切迫感があるからそんな悠長なことはなく、その遅れ方はあるいは5年であったり3年であったりもした。しかし、技術趨勢よりもゆっくりした、制度とか仕組みとか空気感というのが染みわたってくるのには10年くらいかかっていた。「AIDS蔓延の空気感・文化感のタイムラグ」と言うと、お分かりいただけると思う。

 だが、今は違う。何時(いつ)頃からだったか、そんな時間感覚も、10年が7年に縮まり、7年は5年に、5年は3年に縮まった。

 言おう、大方の米メディアの言い分、「トランプ落とせ」キャンペーンにも関わらず、トランプ氏は当選した。だから、数年後、日本でも同じことが起こる。

 朝日、毎日、あるいは各テレビ業者あたりが総力を挙げて「こんなクズが政治家になっていいのか!?」とキャンペーンをするであろう過激政治家が、日本でも選ばれる。なぜって、日本はアメリカの真似をする国だからだ。腹立たしいことに、アイツらの言う猿にすぎないから、我々はそういうふうに行動する。

 新聞屋さんもテレビ屋さんも、その時に焼き捨てられ排撃されないよう、意見を交えず、真実をありのままに伝えるように努めたほうが、「食っていける」と思う。

冬月

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 今年は「名月」も「(のち)の月」も雨で残念だった。だが10月15日、旧九月の十五夜は大きな月が出た。

 昨日は天文学上の「スーパームーン」とて、大きな望月だったそうだが、あいにくと関東地方は天気がすぐれなかった。

 今日は「冬の十六夜(いざよい)」だ。まだ秋のような気がするが、立冬は過ぎたから、暦の上ではきっかりと冬である。

 十六夜とは言っても、まだ月はそれほど欠けない。ほぼ「望」である。だから、昨夜よりかは幾分晴れた今夜、「(ほぼ)望月」が見られますよ、と詳しいサイトが呼びかけている。

 そうは言うものの、良い天気であるとは言いかねる。大きな月はたなびく雲をかつは従え、かつは持て余しつつ、見え隠れにぽっかり浮かんでいる。

 冬の(おぼろ)月である。

 朧月は春のものだが、つい、「叢雲(むらくも)と月」で、厚手の海苔を敷いて卵を割りかけた「月見蕎麦」などを連想してしまうのは、生来の食い気の所以で、恥ずかしい気がする。

学のない者のプロトコル

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 「学のない者のプロトコル」という標題で何か書こうとしたのだが、標題だけ書いて何を書こうとしていたのだったか忘れてしまった。

 多分、「学のない者のプロトコル」について書こうとしていたのだと思うが、思い出せない。いや、この標題から想像できるようなことは文字列化できると思うが、それは最初に思いついたこととは違う。

 うーん、う~ん。ダメだ。思い出せない。脳の中の何かが減っている。

 この調子だと、きっと私は健康そのものの痴呆老人になると思う。

近所と俺の叙景

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img_4920 良い天気の週末だった。近所の植栽の柿が赤い。

 秋晴れ、……と言いたいところだが、既に立冬は過ぎており、暦の上では今は冬である。秋晴れとは言わず、「冬麗(とうれい)」「(ふゆ)うららか」と言うべきものだろう。また、もはや「小春日和(こはるびより)」と言ってもよい。
 

 先週、晩秋のさえずり季題当番が回ってきたので「柚子(ゆず)」を出題した。柚子は秋の季語だが、それでいて、実際に美味しくなってくるのは冬だ。秋とも冬ともつかぬ端境(はざかい)のこのごろには丁度良いと思って出した。

 次をどなたに回そうか、と迷った末、 @boubun さんにお願いした。何を出題なさるかな、と楽しみにしていたところ、「紅葉散る」の見事な出題である。

 この「紅葉」に関する季題を選ぶのは難しい。(わきま)えておかなければならないことがあるからだ。すなわち、「紅葉(もみじ・こうよう)」「黄葉(こうよう)」、また俳句特有の「紅葉(もみじ)()つ散る」は秋の季語だが、「紅葉散る」は冬、就中(なかんづく)初冬の季語なのだ。晩秋から初冬の微妙な季節感がここには横溢している。

 その点、 @boubun さんの選択はまことに良かったと思う。

img_4924 そんなことを考えつつ、陽の高いうちから一杯やる。もはや俳人にもなりきれぬ廃人である。

 飲むうち、ふと違和感を覚える。長年、意味のない文字列なら無限に出力できる特技があったのだが、なんだか、最近文章が変になってきたし、書いていて詰まることが多くなった。喋っていても単語が出てこなかったりする。

 何か、脳に問題があるのだろう。いわゆる「郵便的伝達物質」が減っているのだと思う。

 因みに「俳人」というのはもともと「廃人」の意であるという。

街を歩いてる奴の何パーセントかはヤク中

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 覚醒剤乱用のニュースを見聞することがある。こんな連中が街を闊歩していると思うとおそろしい。おちおち外にも出られない。

 実際、街に出ると、興奮して怒鳴ったり店員に文句をつけて絡んだりする「モンスターなんちゃら」という手合いがいるが、こういうのの内の何パーセントかは間違いなくヤク中だろう。

 芸能人とか公務員などが覚醒剤なんか使うとすぐに新聞記事になるが、そのへんにいくらもいる無名サラリーマンの覚醒剤記事なんか、書いたって面白くも糞もないから新聞には載らない。仮に記事になって誰かが読んでも、そんな下らんシャブ中野郎のことなんかいちいち覚えてないから、全く表に出ないだけだ。だから、外に出るとヤク中がウヨウヨ歩いていると見て差し支えないだろう。

 歩いているだけならまだしも、シャブ中が車なぞ運転していると思うと安心できない。青信号だから大丈夫だと安心して横断歩道を渡っていたらヤク中の車が突っ込んできて()き殺され、挙げ句、ヤク中のほうは「覚醒剤を使用せざるを得ない心身耗弱(こうじゃく)の状況にあった」などとして無罪、なんてことになる。

 まったくやりきれない。

米国選挙ショウで興奮

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 米大統領選で興奮した一週間だった。

 8年前のバラク・オバマの時は、戦勝国だろうが同盟国だろうが、他国の元首が黒人になろうが誰になろうが知ったことか、関係ねぇ……くらいの気分しかなく、本屋の店頭にこれでもかと並んだ就任演説録にもなんの興味もなかった。実際、自分の職務や生活には何の影響もなかった。

 今回は、自分の状況の変化により、仕事上の影響が直接あることと、単純に面白かったことで、非常に興味を持って見ていた。

 また、日本ではまだあまりトランプ氏についての評判が立っていなかった時期に渡米したことも一因である。去年の9月に仕事で渡米したのだ。現地の新聞などから、米国内では大統領選の顔ぶれが大きな話題になっていることを知った。この時に聞きなれない「ドナルド・トランプ」という名が意識に刻まれた。思い起こせば、米国大統領選挙戦のスタートだった去年の6月から10月ごろまでの日本での話題は、まさに「安保法案」一色で、とてものことに大統領選どころの騒ぎではなかったことが反芻できるだろう。

 もう一つ、株を売っていたことで、別の意味の興奮とともに大統領選を見ることになった。「株を売る」ということは、早く言えば「値下がりすると儲かる」ということである。早くから市場では「トランプ・リスク」ということが囁かれ、孤立主義的なトランプ氏の言説とあいまって、

「TPPはダメになり、アメリカ市場も他国に門戸を閉ざしてしまうぞ」

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 結果は天も照覧、知性を標榜するような優等生的な人々にとっては、まったくもって、オッソロシイ結果になった。だが、私など、オイオイ大丈夫かアメリカ人、と思う一方、このアメリカ人のバカさ加減を楽しみたいという気持ちもあり、胸底にはなんとなくトランプ氏が大統領になるのではないかという期待の気持ちもあった。(直前にはこんな感想も持っていた。)

 当選後のトランプ氏のコメントは意外に隠忍自重なもので、あの数々の暴言は選挙戦のためのパフォーマンスだったのだろうと思えなくもない。

 トランプ氏のひどい暴言戦術のためについこんなことをしでかしてしまう有名人もいたりして、いやはや、巻き込まれたデニーロ氏はみじめなものだ。逆に気の毒というほかない。

 他にも有名な歌手や俳優が、「ヒラリーを応援すると頭がよさそうに見える」からだろう、(こぞ)ってヒラリー・クリントンに肩入れし、応援していたのなど、今となってはこのタレント連中、どうするつもりだよオイ(笑)、ってなところである。

 日本政府も、政治家なんてものは所詮「知能の高い人」の集団だから、まさかヒラリー・クリントン氏が落選するなどとは思ってもいなかったらしく、ドナルド・トランプ氏にコネクションを持った者が政治家・官僚等にも皆無で、追っ執り刀(おっとりがたな)でパイプつなぎに奔走しているという。

 8年前はオバマ就任演説が飛ぶように売れたが、今回はどうなんだろうね。「ドナルド・トランプ暴言集」なんてのが本屋に平積みになるんかねえ。