一杯

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 大阪・小倉屋山本の塩昆布が到来とあらば純米大吟醸の一升も用意して、それかあるいは、笹錦の炊き立てと宇治の煎茶の茶漬の用意でもして取り掛からなければならないのだろうが、あいにくと家にあるのは900円足らずのホワイトホースくらいのもである。

 だが、そんな貧しい酒が、なにゆえかくも旨いのであろうか。いとおしく5分ほども頬の裏側に舐めていてもうすれないこの塩昆布の滋味は。

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 今日は盆である。

 日本は夏中「盆の連続」である。そのことは、以前このブログにも書いた。

  •  (このブログ、平成29年(2017)08月13日(日)08時34分)

 いわば、今日が盆のスタートである。今日については、盆・新暦旧盆・旧盆と、いろいろと呼び方もあり、ややこしい。

 もともとの盆は旧暦七月十五日だ。今年の旧暦七月十五日は新暦8月25日の土曜日にあたる。だからまだまだ先のことではある。

 酷暑の一日が暮れかかる。月は三日月。烈日をそっと追いかけてゆく。都会に限らず、低い空を(さえぎ)る建物が込み入った街では、いまや三日月を見ることも難しい。

 盆とはいえ、また、仏教徒を僭称しているのにもかかわらず、自宅に仏壇をしつらえているわけでもない私は、ともかく飲酒に及ぶ。ウィスキー。オンザロック。

 神道ならば清めに酒を用いもしようが、仏教にそれはない。無理やり、神仏習合を強弁して、酔う。

読書

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 庭(いじ)りに念入りな近所の家々では百日紅(さるすべり)が咲き始めた。一昨日は今年初めての蝉の声を家の前で聴いた。

 全国各地では停滞する梅雨前線の影響による豪雨被害のために(おびただ)しい死者が出つつある。気の毒だ。亡くなった方の冥福を祈り、またからくも命を拾った方には、なんとか災害から逃れられるよう祈りたい。

 ところが、一体に関東、特に東京周辺は静かなもので、そのギャップに(しば)呆然(ぼうぜん)とならざるを得ない。テレビをつけると、「ワールドなんとか」とやらで、延々とサッカーの試合を中継している。見て面白いものとも到底思えないような――いや、この折柄(おりがら)に大々的に面白がるなぞ不謹慎の極みなのだが――サッカーの中継しかやらないとは、まったく、テレビ屋の無味蒼白で機械的、ロボット的な無責任さに恐れ入る。

 Twitterなどちょっと覗いてみると、無策の政府を非難する声と、サッカーの中継以外に能のないマスコミを非難する声が交々(こもごも)(ののし)り合っている。

 そんな昨日今日であるが、個人が盲動また妄動してどうなるものでもない。垂れ込めて、引き続き開高健「最後の晩餐」を読む。

言葉
ベデカー

 ベデカー(独: Verlag Karl Baedeker)は、近代的旅行案内書の草分け的存在を出版しているドイツの出版社、および、その会社が出版する旅行案内書。

アウフヘーベン

 止揚(しよう)。一度否定し、さらにその価値を高めて昇華させることである。

手沢(しゅたく)

出典:デジタル大辞泉(小学館)

1 長く使っている間に、手のあぶらがついて自然に出たつや。転じて、故人が身近において愛用したもの。

2 「手沢本」の略。

類語
手垢(てあか)

大谷光瑞

 食通。著書に「食」。

 しかしマァ、ボンボンそのものではあるワナ。そりゃ、世界各地の野食美食のあれこれに精通もできようて。

邱永漢(きゅうえいかん)

 ずぅ~っと、ずっと、「ていえいかん」だとばっかり思っていた。漢字の(へん)が「氐」ではなくて「丘」なので、これは「キュウ」であるはずのものだ。

 しかし、Googleに「ていえいかん」と入れると、検索アシストに「(てい)永漢 (きゅう)永漢」などとたちどころに出てくる上、検索すると「次の検索結果を表示しています: 邸永漢/元の検索キーワード: ていえいかん」などと表示されるから、多分私のように、邱永漢(きゅうえいかん)氏のことを「邸永漢(ていえいかん)」だと思い込んでいる人は多いのではあるまいか。



 郷里では(くや)み事があった。

 小さい頃から可愛がってくれた伯母だ。弔電を打ち、香典を書留で送る。しかし折柄、身動きもならぬ。仕方もなし。

 じっとしているより他ない。夕刻、バタピーなぞで一杯やる。言うなら「乾きて(そうろう)」というところか。黙然。

梅雨半ばの猛暑

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 蝉の声の聞こえぬことが奇異に感じられるほどの猛暑の一日となった。

 去年の梅雨明けも早かったが、今年は果たしてどうだろう。

 早々と帰宅し、ウィスキーを一杯。

なんだか涙まで

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 真昼間ッからウィスキー喰らって酔い()れていたら、なにがなんだかもう、さっぱりワケが分からなくなってきちゃって、朦朧となっちゃって、音楽も映像も一緒くたになって、なんだか涙まで出てきた。

一杯

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 ショットグラスに金平糖を少し入れ、そこにウィスキーを()いで飲むとけっこう旨い。

 この次はこれを江戸切子の気の利いた硝子でやってみたいが、いかんせん金がない。そのうちにやってみよう。

稽古オーバーホール稽古飲酒

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 このブログは「オッサンとバイエル、ピアノ等」と題している割には、一昨年ごろからピアノの記事がほとんど、というか、全然、ない。

 理由は簡単で、単純に「仕事が忙しかったから」である。

 今日は久しぶりにピアノの稽古を少しした。レパートリーは激減し、今弾けるのは「ノクターン」だけだ。それでも、できるだけよい音で弾こうとする。

 愛用のデジピ「Roland FP-7」は、少し前から鍵盤のバランスが狂いはじめ、いくつかの特定の音だけ硬くて大きな音が出るようになってしまってきている。そろそろメーカーに頼んでオーバーホールかなあ、と思いつつも、予約したり出張修理に来てもらったりというのが億劫で、手を出しかねていた。

 しかし、今日のように少し真面目に練習しようとすると、その音が気になって仕方がない。最近稽古をサボっているのをその音のせいにしてしまう。

 今日の何回かのノクターンの稽古で、強く出てしまう音だけソッと弾く、などということをしているうち「ええい、面倒なッ!!」と、ドライバーと工具をつかんで立ち上がる私なのであった(笑)。

 クパアアアアッ!……とピアノをヒンむく。

 分解してみるとFP-7は割合に簡単な構造で、電源やペダルのコネクタを全部抜き、楽譜立てを外し、底面のネジを全部外せば、本体の上蓋が向こうへ外れるようになっていた。

 案の定ピアノの内部は(ほこり)まみれだ。10年以上もリビングに放置したまま、次女ともども弾きまくったんだもんな。

 恐らくはゴミや埃の類が打鍵センサーの表面や鍵盤とセンサーの間などに蓄積し、打鍵圧の検知をおかしくしているのであろう。

 フロンガスのダストブロワーや掃除機、硬く絞った雑巾などを総動員してゴミや埃をきれいに取り除き、元通りにふたを閉め、ネジを締める。

 気を取り直してノクターンを弾く。一部、ひどかった鍵はまだ大きな音が出てしまうが、その他の気になっていた鍵盤はこれでほとんど直ったようだ。

 午後の日が明るく、窓の外の空が青い。ノクターンは文字通り夜の曲だが、美しいメロディは今日のような春昼(しゅんちゅう)にも弾いて楽しい。

 ホッとしてウィスキーを一杯。