語彙と聞く力

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 いつぞや、「止むを得ない」を「やもうえない」と書く人がいる、というのが話題になった。

 ある種の人は言葉を耳でばかり覚える。それを書き言葉にするものだから、聞いたままが文字になってしまうのだ。「雰囲気」を「ふいんき」などと書く(たぐい)である。実際のところ、話し言葉で「やもうえない」とか「ふいんき」と間違って言っていても、受け取り手の耳には「やむをえない」「ふんいき」と聞こえてしまうから、誰にも正されない。

 それをまた、「止む」というNotと、「得ない」というNotの、二重否定が分かりにくいから耳で聞こえたままを使ってしまうんだ、こういう判りにくいところがあるから日本語はダメなんだ、それが国際競争に負ける遠因だ……などと、日本語否定の方向にイッちまう人もあるが、これはまあ、戯論(けろん)だろう。

 まあ、確かに「しなくもない」とか「ありうべからざることとは考え難い」、「見てやらぬでもない」などという表現に嫌悪を覚える向きもある。こういう言い方をされるとそこで少し考えないと飲み込めないので、迷惑だ、と言うのだ。

 逆に、言葉を耳で聞くのには、「聞く力」というものが必要だと思う。上のような言い方をされてすぐに自然に飲み込めるかどうかは、そういう言い方をする人と普段会話をしているかどうかによる。

 「聞く力」には、語彙(ごい)も関係してくる。以前、若い店員さんがレジで領収書を求められ、

店員さん 「宛先はどういたしましょう」

   客 「ああ、『上』でいいです」

……というやりとりの後、宛先に「ウェディ様」と書いた、というネットの笑い話があった。

 これなど、領収証やレジのやりとりにまつわるコンテキストに出てくるべき言葉を知らないから起こった笑い話と言える。「上でいいです」と言ったのが「ウェディです」と耳に聞こえるのは、「上様」という言葉を知らないからだ。いうなれば、語彙というのも「聞く力」の一つだ。まあ、この客の滑舌が悪くてウェディに聞こえたのかもしれないが……。

皇室用語

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 ある人がブログに皇室に関する用語をまとめておられ、立派なことだと思った。

 しかし、ただ一点、誠に惜しいのは、悠仁親王殿下のことを「悠仁内親王殿下」と書き間違えておられることである。

 実に画竜点睛を欠くと思ったので、コメントをしておいてさしあげた。


後刻追記

 後刻見に行ったところ、既に修正して下さっており、「修正しましたよ」と丁寧に添え書きがされていました。ご連絡もいただきました。誠に申し訳ないことでした。メールにお返事さしあげました。

死ぬのも色々

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  •  (はかな)くなる
  •  死歿(ぼつ)
  •  落命
  •  神去(かむさ)
  •  果てる
  •  示寂(じじゃく)
  •  入定
  •  死する
  •  消える
  •  円寂
  •  上天
  •  消えうせる
  •  消入る
  •  神上(かむあ)がる
  •  歿する
  •  (まか)
  •  崩じる
  •  ()()
  •  亡びる
  •  斃死(へいし)
  •  急死
  •  事きれる
  •  死没
  •  絶命
  •  (こう)ずる
  •  世を去る
  •  成仏
  •  長逝(ちょうせい)
  •  ()せる
  •  お隠れになる
  •  (ねむ)
  •  逝く
  •  死去
  •  (むな)しくなる
  •  寂滅
  •  死亡
  •  この世を去る
  •  絶え果てる
  •  天上
  •  往生
  •  亡くなる
  •  絶息
  •  登仙(とせん)
  •  他界
  •  物故
  •  死ぬ
  •  御隠れになる
  •  易簀(えきさく)
  •  失命
  •  事切れる
  •  帰寂
  •  崩御
  •  くたばる
  •  入滅
  •  遠逝
  •  滅する
  •  絶え入る
  •  没する
  •  永逝
  •  身(まか)
  •  消え入る
  •  卒する
  •  神上(かむあが)
  •  崩ずる
  •  卒去
  •  押死(おっち)
  •  (かむ)さる
  •  遷化(せんげ)
  •  薨去(こうきょ)
  •  入寂
  •  旅立つ
  •  絶えいる
  •  消え失せる
  •  絶入る
  •  逝去
  •  往く

今週雑想

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おまいう(笑)

 沖縄県知事は「法治国家ではない」と吐き捨てたそうだが、いや、それなら辺野古の判決を踏みにじるアンタでしょうが。いやほんと、まさに今はやりのネットスラング、「おまいう(お前が言うか)」である。

平和と安全

 だいぶ前からだが、この「平和」「安全」という言葉は、すっかり「危険な言葉」になってしまった。とても良い言葉なのに……。

 これは、政府やマスコミが、この良い言葉を「軍事」「戦争」などの言葉の置き換えに使うようになったからだ。

 最初のうちはよかったが、最近では直接意味が通るようになってしまったため、例えば、元々は「平和・安全」という言葉を聞くと、左のようなほのぼの画像がイメージできていた。

 ところが、最近はもう、「平和ッ!」「安全ッ!」ってメディアに出てくると、こういう画像が脳裏に浮かんでしまうのである。

 これのどこが平和で安全なのだ。

 こういう風になってしまうと、今度は本当の意味で「平和」「安全」ということを言いたいときに、これらの言葉を使ったとたん、相手が「戦争ですかッ!」「軍事ですかっ!」と、違うイメージを持ってしまうから、実に具合が悪い。

 もう、こういう、猥褻な言い換えをやめたほうがよいと思う。「国際協力法制」とかはまだいいけど、たとえ露悪的だろうと、ちゃんと「軍事法制」とか、正直に言った方がいいと思うね。

言葉
鼎立(ていりつ)

 「鼎談(ていだん)」と同じように、三者並び立つような状況を言うそうな。

(ゆるがせ)

 これで「(ゆるがせ)」と()むそうな。「粗忽者(そこつもの)」という漢語から、おのずとその意味は通る。

 この読み方、産経のコラムで見た。

 この中に、夏目漱石の文になる「明治天皇奉悼之辞(ほうとうのじ)」が引用されており、

(以下囲み内は夏目漱石「明治天皇奉悼之辞」、上の記事から引用)

過去四十五年間に発展せる最も光輝ある我が帝国の歴史と終始して忘るべからざる

 大行天皇去月三十日を以て崩ぜらる

 天皇御在位の頃学問を重んじ給ひ明治三十二年以降我が帝国大学の卒業式毎に行幸の事あり日露戦役の折は特に時の文部大臣を召して軍国多事の際と(いえど)も教育の事は(ゆるがせ)にすべからず其局に当る者()く励精せよとの勅諚(ちょくじょう)を賜はる

 御重患後臣民の祈願其効なく遂に崩御の告示に会ふ我等臣民の一部分として籍を学界に置くもの顧みて

 天皇の徳を(おも)

 天皇の恩を(おも)ひ謹んで哀衷を巻首に()

 ……とあり、そこではじめて知った。「せ」と送って「(ゆるが)せ」としてもよいようだ。

 (ちな)みに、この「忽」という字、これで「ち」と送れば「(たちま)ち」、「か」と送れば「(おろそ)か」、となる。

 また、「たちまち」の意味からは非常に小さい数の事も表すのだという。即ち、「1(こつ)」というと「10のマイナス5乗(10^{-5})」を表すのだそうな。

 この漢字の少数単位で私たちが知っているのは、普通は

  •  1()(0.1、10分の1、10^{-1})
  •  1(りん)(0.01、100分の1、10^{-2})

……ぐらいまでだが、その下には更に

  •  1(もう)(0.001、1000分の1、10^{-3})
  •  1()(0.0001、1万分の1、10^{-4})

……というのがある。「(もう)」くらいまではちょっとした大人なら知っているが、「糸」になるとだいぶ物知りの人でないと知らないだろう。

 いよいよその次にこの「(こつ)」があり、これはかなり物知りの人でないと知らない。「1(こつ)」は「10万分の1」「0.00001」「10^{-5}」のことを言う。これは「忽然(こつぜん)として……」という言葉に「非常に速く・急に」という意味があることから(けだ)()に落ちるものがある。

今週雑想

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死者にここまで苛烈だったか?

 土佐清水沖に米海兵隊の戦闘機が墜落した。

 この土佐清水沖と言うのは、言う人に言わせるとこれがまた特別な意味のある区域でもある。

 事件に関する報道などがどうも気に入らない。「再発防止を厳しく申し入れ」というようなことばかりであり、発見されるまでにも不安を煽るようなニュースばかり出て、パイロットの安否を気遣うような報道は一切なかった。

 彼らパイロットは、遊んだり迷惑をかけに来ているのではない。仕事をしている。

 真冬の海で一昼夜、パイロットは死んだ。大尉で、ジェイク・フレデリックという人だそうだ。

 亡くなった合衆国軍人へのいたわりなどまったくなく、「こういうことは二度とやめてもらいたい」と言い放ってしまう私たちが恥ずかしい。いや、無論、軍人中の軍人であるかの大尉は、泉下(せんか)それを潔しとするかもしれないが。だが、もう少し(いたわ)ってやれないものだろうか。私たち日本人は、こんなにも死者に苛烈だったか?

鳥の哀れなる

 皇居の外濠(そとぼり)のあたりを毎日通勤している。今の時分は外濠に鴨が渡ってきていて、好餌場になっている。(かもめ)なのか海猫なのか、実のところ自然の風物に詳しくはない私には確と判らぬが、それらの海鳥が体の塩を洗いに来ていたりすることもあるし、鷺の類もたまに見かける。

 一方では、鳥インフルエンザの大流行で、ついには自衛隊まで出動する騒ぎである。何十万羽と始末し、事によっては百万羽にも達しかねぬという。

 渡り鳥にその原因を求める論調もあるようで、こうなってくると皇居濠端(ほりばた)の風物詩もなにやら哀れめく。

ふところ手帖

 勝新太郎の大ヒット映画シリーズ「座頭市」の原作として知る人ぞ知るのが子母澤(しもざわ)(かん)の「ふところ手帖」だ。

言葉
(ちつ)

 書物の(はこ)のような覆いのことなのだが、普通見慣れた函とは違い、特に和書を仕舞うのに使う、布張りの「四方開き」になったようなものを言うそうな。

 不意に以前読んだ西村賢太の文庫本を読みたくなり、本棚から2~3抜き出して読み耽っていたら、その中の「廃疾かかえて」所収の一篇「瘡瘢(そうはん)旅行」の中に、西村賢太をして一方で有名ならしめた要因、「熱烈なる藤澤淸造ファン」であることを示す描写として、コレクションを「帙に入れて蔵して」ある、と記した箇所があるのだ。それでこの「帙」という言葉を知った。

 しかし、話し言葉ではまず使えない単語である。相手に伝わらないし、にくづきのほうの漢字と間違われてもしまうだろう。

アクチュアリー

 保険数理や年金数理の仕事をする数学者のことで、資格もある。以前私の職場の同僚だったS君は、前の職場ではこのアクチュアリーをしていたという。

 そのことはさておき、この「アクチュアリー」という資格の名前、何べん調べても覚えても忘れてしまうのである。第一、聞き慣れない。

 それを言うと「ITストラテジスト」も似たようなもので、中途半端に情報処理技術者試験の名称を知っているような人にITストラテジストのことを言うと、よりにもよって「ITパスポート」と間違えやがることがあるから安心できない。

 だが、「ITストラテジスト」も「アクチュアリー」も、どちらも「専門的知識等を有する有期雇用労働者等に関する特別措置法の施行について(基発0318第1号・平成27年3月18日)」に厚生労働省お墨付きで専門家として認められているのだからおかしなものだ。

キュレーションメディア

 ネットに「キュレーションメディア」という語が浮きつ沈みつしている。一緒に取り沙汰されているのが「WELQ」「MERY」というそのキュレーションメディアなるサイトで、これは今を時めくかの「DeNA」が運営しているのだという。

 「まとめサイト」だと思えばよいようだ。微妙に違うのが「アンテナサイト」か?

ファクト、レガシー

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 ドナルド・トランプがファクトだレガシーだ、と連呼したものだから、すっかりこの言い方が定着したようだ。

 「レガシー legacy」というと、私にとっては「レガシー・システム」などと言うのは耳に馴染む言葉であって、これはCOBOLで書かれた基幹システムなどをそう呼んでぴったりと来る。まず、誉めてはいない言葉ではある。

 自動車ファンなら往年の名車、スバル「レガシィ」だろう。この方は適訳を探すと、遺産、と言うよりはいい意味での「古風」かも知れない。

 「ファクター factor」は以前からよくカタカナ語として聞く言葉だったが、「ファクト fact」は今まではあまり使わなかった。

 「ファクト fact」「ファクター factor」「ファクトリ factory」は全部同じ語源で、「何かを生み出して、実際にそこにある」ようなことを指す意味だという。なるほど、「工場(ファクトリ)」と「事実(ファクト)」が同じ語源だというのも、何か(うなず)ける。

カタカナザムライ

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 カタカナで書く「サムライ」というのが、どうも嫌いだ。「サムライ」とカタカナ書きされている対象も、カタカナで書きたがるという現象も、ひっくるめて嫌いだ。

 私が嫌いなこの事象を「カタカナザムライ」とでも呼べばいいだろうか。

 武士は実際には硬直した官僚的統治機構の奉仕者だったのだ。むしろ欧米のほうでよく知られる時期の江戸時代末期の武士なんてものは本当にどうしようもないほど腐っていた。そんな「サムライ」を日本の代名詞みたいに使われるとムッとくる。

 新渡戸稲造の著述、その他によって米英に「Samurai」として広まった語が、かの地で理解された意味合いを包含して逆に日本に伝わったのだろうが、それを取り上げて、米英でも日本を代表する意識として「サムライ」が知られているのだ、どうだ!……とでも言いたげな、そんな屈折した、米英での理解と普及をおかずにしないと日本的観念が咀嚼できないという自分たちの自意識が嫌いだ。

 更に、日本は武士の国なんかではなかったのだ。実際には日本は農民の国である。実は武士なんか総人口に占める割合はほとんどなかった。冷静に言って、信頼のおける数字で、武士は総人口の7~8%、農民は76~83%とされている。これはもう、「日本は農民国だ」と言って間違いがない。さらに、武家政治より以前の上古において、農民は皇室側から「おおみたから」として逆に尊ばれていたことは、記紀万葉などにも記されてあるとおりだ。

 但し、江戸の武士の数は一説に50%ほどにも達していたと言われている。それは、幕府の在所であり、各藩の江戸屋敷も集中していたから、当然であろう。商家の奉公人を除いては、江戸の、正真正銘の意味での「サラリーマン」の代表が武士であったことを思うと、たまに長崎から来るオランダ人あたりに「サムライ」が日本の代表のように思われてしまっても仕方がないかもしれない。

 しかし、この頃の日本は鎖国していたから、武士が江戸にウヨウヨしているかどうかなんて米英にはわからないし、しかも「高潔なストイック集団」みたいな、「現代の『サムライ』理解ステレオタイプ」みたいな武士はこの頃の江戸にはいた筈もなく、いたのは江戸期の「サラリーマン武士」ばっかりである。今のサラリーマンと違うのは給料が米だということと、懲戒処分の中に、たまに「切腹」があることくらいである、とまで言うとちょっと極端だが。

 だから、武士が日本を代表する存在や意識であるかどうかなんて、米英に伝わるはずがない。ましてや、私たちの心や気持ちの基本が武士でなど、あるはずがない。

 つまり、カタカナで書く「サムライ」、カタカナザムライなんてものは、虚構であり、虚像である。根拠もない。何かの不始末でもあった時に、米国人に「お前はサムライではないのか!?」なんて諫められたとして、誰がうなずけるものか。「違うよ俺はファーマーだよ!」と胸を張って答えたほうがいいのではないか?

しなやか

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 昨日、更科蕎麦の事を書いていて、「しなやか」という言葉を使った。

 (おの)ずと流れ出てきた言葉で、それが最もよく対象を形容している、と思ったから使ったのだが、ふと考えた。

 「しなやか」には、たしか、「(しなや)か」という字当てもあったはずだ。「強靭(きょうじん)」「(じん)性」という言葉もあるとおり、強く、粘りがあり、例えば(はがね)の板ばね、割竹などの良く(しな)い、元に戻るような、そういう強さがこの「(じん)」だ。

 だから、この字を使った「(しなや)か」では、更科蕎麦の細くスマートですんなりとした感じの形容にはならない。

 一方、同じ「しなやか」でも、「(しなや)か」とする字当てもある。これは、「繊細」の「(せん)」だから、更科蕎麦の形容にはぴったりだ。

 そうすると、「しなやか」という言葉には、互いにかなり離れた二つの意味があることになる。

 昔、山口百恵の歌だったか、「しなやかに歌って」というのがあった。恋人来たらず、寂しい時や悲しい時もある、そんな時はこの歌を「しなやかに」歌おう、というあらすじの歌詞だった。この場合は、これは実にいい言葉選びだと思う。「(しなや)か」「(しなや)か」、どちらの意味を含ませても女性らしく、歌によく合う。

 「しなやかに生きる」と書くと、なにやら恰好(かっこ)いい。しかし、具体的にどういう行動を積み重ねて生きると「しなやか」に生きたことになるのか、こうなってくるとどうも曖昧である。「靭か」だと、どんな圧力にも屈せず、すぐに立ち直る、七転び八起き、根性人生というような感じだが、「繊か」なら、オシャレで軽々と生きる、美しいような感じがする。

 (いず)れにせよ、はっきりとした意味を問われる公文書や論説などには使いにくい言葉で、様々な意味を言外に込める詩や小説、随筆などに向く単語であるということは言えると思う。

秋波(しゅうは)

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  •  秋波(語源由来辞典)

 秋波(しゅうは)、というのはもともと支那語で、秋の澄明(ちょうめい)な水の波を意味する語。

 それが、女の涼しげな目許(めもと)の例えとなり、それが更に男性の気を惹くためにする色っぽい目つきの意味となった。

 この「色目を使う」ことを「秋波を送る」と言うが、現在では性別、また個人・団体を問わず、媚びを売る意味で用いられる。

【皮肉】「正しい日本語」論争に突入する際のワン・ポイント

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 あまり国語が得意でない人を相手に、文法や、漢字、故事成語などをふりかざして「これが正しい日本語だ」論争に入る時には、コツがある。

 大抵、相手は議論の途中で、

「言葉は時代と人により変化し、あらたな意味が生まれ、変化していくものなのであるから、もともとの言葉の意味にこだわりすぎるのは文化の発展を妨げ、良くない。そういうのはこの国の文化の悪い癖だ。例えば『だらしがない』という言葉ひとつとってみても、元々は……」

……と言い出す。これは、相手のとっておきの切り札である。

 この切り札の行使を避けるには、まず議論の初めのほうで、こちらからこの論を強く振りかざしておくのがよい。「最初に言っておくが、言葉と言うのは時代と人により変化するものなのだよ。文法がどうとかということは二の次だ。例えば……」と宣言してしまうのである。

 そうしておいてから、今度は息つく暇も与えず正しい言葉について文法や用例、漢字を中心に浴びせかければ、向うの方で黙ってくれるので、不毛な論争をせずに黙っていてよくなり、お互い不快な思いをそれ以上せずにすむ。