八千草薫氏死去

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 女優の八千草薫氏が死去したそうである。

 昭和の残照がまたひとつ消えた。寂寥を禁じ得ぬ。祈冥福。

みどりの日

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天皇陛下万歳

 祝日「みどりの日」である。国旗を掲揚し、拝礼、祝意を表す。

 みどりの日については、祝日法には「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。」とあるものの、これはもともと、昭和天皇の聖徳を強く偲ぶ日であったことは人ぞ知るところである。

 すなわち、昭和天皇が崩御あらせられたのち、天皇誕生日であった4月29日が改めて「みどりの日」に定められたが、数年を経て同日が「昭和の日」として永久顕彰されることとなったため、もとは祝日法第3条第3項により「国民の休日」とされていた現在の日付に「みどりの日」を移動させたものだ。

残照、昭和は遠く遠くなりにけり

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 誰しも老いれば亡くなるのは当たり前とはいいながら、それでも、あな悲し、である。今日も切なく昭和の残照が遠のいていく。

 祈冥福。

文化の日

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天皇陛下万歳

 祝日「文化の日」である。

 いうまでもなく、明治天皇の生誕記念日、「明治節」が変化した祝日だ。

 祖父母が生まれた明治を思う。曾祖父母は当然のことながら江戸時代に生きていた。

 昭和の戦争の時代も激動の時代であったには違いないが、明治もまた、革命的な男の時代だっただろうと思う。

昭和の日

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天皇陛下万歳

 祝日・昭和の日である。玄関の軒先に国旗を掲揚する。

今週

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 時事がポケモンと殺人狂で塗りつぶされた一週間であった。

ゼプリオンと殺人狂

 殺人狂については、そういえば、先月頃、統合失調症治療薬「ゼプリオン」に関して、納得しづらい変な報道があり、それを書き留めておいたのを思い出した。まあ、この件はたまたま時期が重なっただけかもしれないが、何かの関連があるかもしれないと感じてしまうのも無理のないところだ。

 素人考えだが、ゼプリオンような投薬管理に利便で効き目のある剤の使用について、報道や謎の圧力団体からの圧迫に萎縮せず、適切に処方して管理しておれば、今回のような事故は防げたのではないか。

高校生核融合炉

 ……。核融合炉ってのがどういう難しさで、反応がどれくらい持続するのかとか、いろいろと謎だが、この少年がモノスゲェ少年だと言うのはヒシヒシと感じられる。スゲェ。

ニュースノイズ

 Google ニュース検索を使うと、「Biglobeニュース」がよく出てくるのだが、このBiglobeニュースはどうもテキストなどのセマンティクス付けに問題でもあるのか、キーワードと関係のないニュースがインデックスされてしまっているらしく、変なのばっかり出てきて困る。言うなればニュースノイズ。なんとかしてほしいものだが、所詮無料のサイトなんだし、どうせ苦情なんか言ったって、どうにもならんのだろうねえ。

訃報

 最近、昭和の痕跡がどんどん消えていく。しかも、戦争の頃のことでなしに、むしろ戦後大活躍した人たちだ。

 ピアノファンとしては誠に残念。ショパン・コンクールでイイ線いった日本人てのはこの人が最初でなかったか。かのマルタ・アルゲリッチを相手に勇戦敢闘したのだ。美貌で、料理しながらピアノを弾くなどというケッタイな芸も持っているなど、面白いところもあった。祈冥福(めいふくをいのる)

今週時事色々

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 新聞・テレビ嫌いの私が、やたらと新聞サイトのリンクを貼りまくるのもどうかと言う感じだが、まあ、時代の記録、ってところで……。10年後あたりに読み返すための覚え書き。

eは鋭アクセント付き

 「Pokémon GO」で閉じた週だったなあ、などと思いつつ。帝國大朝日新聞サイトでは文字コードの関係か、

「Pokemon GO」(ポケモンゴー、eは鋭アクセント付き)

……と、強迫神経症気味にこればかり書いているのもいとをかし、である。

 口に出す時など、この読んだ文字列がクセになってしまい、

「ぽけもんごお、いぃはえいあくせんとつき」

などと言ってしまいそうである。

 帝國大朝日サイトでは、多分、欧文を必ず全角で書け、というルールにでもなっているのだろう。

 カッコ内の「ポケモンゴー」というのも、音節が「ポケ」と「モンゴー」の間に入りかねない感じで、これでは「ぽけ紋甲」とかいうよっちゃんいかの新製品か何かのように聞こえ、なかなかキュンッとなる金曜日であった。

癌治療法

 驚いた。ウィルスをさながら家畜の如く馴致(じゅんち)し、がん細胞のみを感染症に(かか)らせて死滅させるという。この療法が進歩するように祈る。

危険地域とトルコの件

 まことに不謹慎で申し訳ないが、思わず吹き出してしまった。上野の西洋美術館が世界文化遺産に決定された、その会議地がイスタンブールで、発表がクーデター騒ぎの最中だった時も正直「へ?」と思ったが、こういうことなのね。

 しっかりやっとくなはれや、外務省はん。

大学

 こんな記事読んで、バカじゃねえかコイツ、だったら大学行くなよ、対価の分を得たんだろ、そこをポンッと徴兵制にすり替えて妙に政治っぽいこと言うんじゃねえよクソガキぁ、……などと思っていたら、今度は……

……なんてことを言ってる爺がいる。あのなあ、給料安いって?かたやは借金地獄だって言ってんだぞ。

 奨学金だ徴兵制だと言い立ててる連中に抜けてるのは、「大学の学費が高い。教員の給料下げろ」なんだよな。大学なんてお公家さんの集まりみたいな贅沢な所はアホみたいに寄付金取るしな。そんで、大学の先生連中は軍事研究絶対反対とかホザいてたくせに、変節もいいところ、カネカネ言って、防衛省あたりの研究費なんかツマみはじめて、何してんだよ、と。

 思うんだけど、「青年の高等教育」と「研究開発」を一緒くたにするから、こういうふうになるんじゃねえの?子供を大学に行かせている親だって、奨学金借りてる大学生だって、「教授の給料を払うことにより、日本の研究開発の経費を負担している」なんて意識、ないよ。よくても「大学の軒庇(のきびさし)のもとで勉強する」ために払うのであって、もっと下司味(ゲスミ)の言い方すれば、ほとんどの連中は「自分の子供を『大卒』にする」「自分が『大卒』になる」という、タイトルが欲しいだけだ。

 お前ら大学屋の商売の面倒見てやってンじゃねえんだよボケ。身の程(わきま)えとけ馬鹿野郎。

ドナルド・トランプ

 安全保障がらみは影響大よの~……。閉じこもるアメリカ、複雑な同盟敵対、イスラム……て、第1次大戦の開戦原因の要素と似てんだもの。

 第1次大戦の開戦原因って、セルビア皇太子云々、てのは引き金に過ぎなくて、第1次大戦当時は、戦ってる各国とも、「なんでオレんとこ、戦争してんだっけ?」ってわかんなくなっちゃってたのよ。単に同盟関係で次々に参戦しただけなんだよ。そして、その結末は結局第2次大戦につながって、ドイツ敗戦の成り行きで余った原爆、日本に叩き込まれたんだからさ。

訃報

 どんどん昭和の跡が消えていくなァ。

 参議院に比例代表で当選したのにすぐやめちまったり、政治的な発言などは大嫌いだったが、亡くなったとなれば話は別で、祈冥福(めいふくをいのる)

万緑

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万緑の中や吾子の歯生え初むる  中村草田男

万緑や死は一弾を以て足る  上田五千石

 これらの句の季語は「万緑」である。二つの対照的な句だが、いずれも生命力にあふれる緑を背景として、またその緑を自分の精神として、あるいは精神の前提として見据えている。

 この「万緑」という言葉は、宋代の詩人、王安石の「石榴の詩」の中に出てくる一節だと言われている。

万緑叢中紅一点、動人春色不須多。
(ばんりょくそうちゅうこういってん 人を動かす 春色 多きを須(もち)いず)

 春というものが人の心を動かし掴むのに、なにほどゴタゴタとした夾雑物を必要としようか、緑また緑の中に花の一輪ほどもあれば足りよう。…そんな意味だと思う。

 言葉としては、この「万緑」よりもむしろ、「紅一点」のほうがかつてはよく使われた。男職場の中にいる庶務係の女性など、「紅一点」と言われたものである。「ゴレンジャー」に登場する「モモレンジャー」も「紅一点」だ。ゆかしい言葉だが、今は男女共同参画とかダイバーシティなどの方面から熾烈な反発を喰らうのを恐れてか、どうも使われなくなったようだ。

 万緑という季語は、出典の漢詩を見てもわかるとおり、本当は春に属するものであった。しかし、掲出の、中村草田男の名句により夏の季語として認められ、定着した。「季語は名句によって生まれる」のである。このことの記念であろう、中村草田男の創始した俳句結社は「萬緑」で、今も存続して同名の俳句誌を発行している。

 中村草田男の生命感にあふれるばかりの「万緑」に比べると、上田五千石の掲句は重く、沈鬱だ。戦時中の作と見れば、緑なす南方戦線を思い浮かべることもできるし、昭和20年の虚脱の夏を思い浮かべることもできる。万緑の中の自己の矮小さが悩ましい。しかし、句の主人公は、決してその矮小を卑下などしていない。不動の自己がそこに固着し、きっぱりと決断している。

 本歌取りが許されるものならば…。

万緑や我が死は何を以て足る  佐藤俊夫
(「俺用句帖β」所載)

年号の表記がわかりにくい

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 先ほどニュースを読んでいたら、
  ↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090929-00000080-mai-bus_all

 ・・・文脈中に

「HVを持たないマツダはガソリンエンジンの燃費性能を追求。「清」をベースにした小型車を10年代前半までに発売する方針だ。」

などと、平気で書いてある。どうも最近こういう記事が増えてきた。ナニがおかしいかって?「10年代」ですよ、10年代。約10年前の平成10年からの10年間のことかと思った。先だってなどは、別の何かの記事で「9年度」とあって、一瞬とまどった。

 もちろん、「ああ、『10年代』と言うのは、おそらく2010年代のことであろう。無論、『9年度』というのは2009年の年度であろう。」と想像はつく。この程度ならまあ、寛容しよう。だが、簡単に想像がつかない記事もたまにある。以前など、昭和30年代の話と、太平洋戦争前の世界恐慌の話がゴッチャ混ぜに書かれた新聞のコラムを読んで、反吐が出そうになった。西暦の30年代と昭和30年代が、なんの断りもなく記事中に混在するのである。

 日本は元号を用いる国だ。新聞やマスコミも、基本は元号で年号を記すべきだ。

 「2010年」に「西暦」を冠せよとまでは言わない。だが、2バイト文字で「10」なんて書くなら、「2010」だって嵩は同じはず。だいたい、4月始まりのいわゆる「会計年度」なるものは、元号を使用するべきではないか?

 結婚式を教会でやるなとか、そんな偏屈なことを言うのではない。西暦は宗教色が強いなどと言えば「そんなことを言うなら、元号だって国家神道の総本家、皇室・皇統がよりどころでしょ」と反駁されることもよくわかっている。いや、でも、キリスト教なんてものは侵略宗教なんですがね。おっと、脱線しちゃいかん。

 ややこしいでしょうと言いたいのだ。

 西暦で書きたいときは、よりわかりやすくするため、4桁で書くべきである。百歩譲って、和暦で書くときは必ず元号を接頭する、としてもよいが、もしそうするなら、西暦で書くときは必ず「西暦」と接頭しなければならない。