読書

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 60年前の古書、平凡社世界教養全集第6巻「日本的性格/大和古寺風物誌/陰翳禮讃/無常といふ事/茶の本」のうち、小林秀雄の「無常といふ事」を夕食後自宅で読み終わる。

 晦渋(かいじゅう)な文章で、面白味はもう一つ少なかった。ひとつ前の収録作、谷崎潤一郎の「陰翳禮讃(いんえいらいさん)」とはまるで違う。だが、著者の、日本古典文学に見る「無常」についての、文字通り晦渋な思いがよく伝わっては来た。西行や源実朝への愛もよくわかった。どちらかと言うと更にひとつ前の、亀井勝一郎「大和古寺風物誌」の、古寺・古佛への讃仰が本作における西行礼讃、実朝礼讃と似ており、近いと思う。

言葉
果敢無い

 「果敢無(はかな)い」と()む。

 「(はかな)い」という言葉とは、訓みは同じでも意味に多少の違いがある。「果敢無い」の「果敢」には、「目標」という意味がある。「結果」という言葉に「果」の字が使われていることからもわかる。「果実がとれない」というほどの意味であり、目標が達成できない、という意味になる。そこから、「どうにもならない」という表現に使われる。一方、「儚い」のほうは、人が見る夢のように希薄に消えてしまうという意味合いがある。にんべんに夢と書いて「儚」であることを思えば納得がいく。

 他のサイトでも取り上げているところがあるが、別に「果敢(かかん)」という言葉もあり、これは「果敢に突進する」という使い方があって、非常に果断に挑むような場合に使うが、この場合の「果敢」も、「遠い目標」という意味があり、それに向かうのであるから、非常に果断に挑むという意味になる。しかし、「はかない」と「かかん」では意味に開きがあり、まるで使うところが違うのである。

下線太字は佐藤俊夫による。
p.376より

滑稽な果敢無い話である。

生食

 「せいしょく」でも「なまぐい」でもない。これは平家物語に出て来る馬の名前で、「生食(いけづき)」である。

p.381より

 「先がけの勳功立てずば生きてあらじと誓へる心生食知るも」これは、平家物語を詠じた子規の歌である。

 次は天心岡倉覚三の「茶の本」である。

読書

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  60年前の古書、平凡社世界教養全集第6巻「日本的性格/大和古寺風物誌/陰翳禮讃/無常といふ事/茶の本」のうち、谷崎潤一郎の「陰翳禮讃(いんえいらいさん)」を朝の通勤電車内で読み終わる。

 ひとつ前の収録作品「大和古寺風物誌」も非常によく私の体質に合い、読んで楽しかったが、こちらも非常に楽しかった。大和古寺風物誌は純粋な古寺古佛への信仰と美への讃仰(さんぎょう)、そして抒情に溢れた真面目な随筆であったが、この「陰翳禮讃(いんえいらいさん)」には少し砕けた、ふざけたところやユーモアが感じられ、さすがは小説家谷崎潤一郎、と思った次第である。評論家は正しい文章を書くが、小説家は楽しい文章を書くのだ。正しさは二の次であるに違いない。

 収録は標記の「陰翳禮讃」の他、「現代口語文の缺點(けってん)について」「半袖ものがたり」「厠のいろ〳〵」「旅のいろ〳〵」「顔のいろ〳〵」「所謂痴呆の藝術について」「雪」の計8作品が収められている。

 非常に多くのボリュームを割いて、昔の日本式便所への懐古と愛着を再度にわたって述べているところなど、それこそ読んでいて昔の旧家の厠のほのかな臭いまで漂ってきそうで、おもわずクスリと笑ってしまった。

気に入った箇所

 本作品には「われわれ」「いろいろ」といった言葉に、かつてよくあった「くの字点」の使用が多い。「くの字点」とは、縦組み活字に見られる次のような「繰り返し記号」のことである。

旅のいろ〳〵

あるいは、

顔のいろ〳〵

 縦組みだと上のようにそれほど違和感はないのだが、横組みにすると「旅のいろ〳〵」「顔のいろ〳〵」となり、どうにも収まりが悪い。しかし、原文にできるだけ忠実に写すため、やむを得ず以下の如くとなった。

平凡社世界教養全集第6巻「日本的性格/大和古寺風物誌/陰翳礼讃/無常という事/茶の本」のうち、「陰翳禮讃」から引用。
一部のルビを佐藤俊夫が補った。
他の<blockquote>タグ同じ。
p.313より

水洗式の場合は、自分で自分の落したものを厭でもハツキリ見ることになる。殊に西洋式の腰掛でなく、跨ぐやうにした日本式のでは、水を流すまでは直ぐ臀の下にとぐろを卷いてゐるのである。これは不消化物を食べた時など容易に發見することが出來て、保健の目的には叶ふけれども、考へて見れば不作法な話で、少くとも雲鬢花顔(うんびんかがん)の東洋式美人などには、かう云ふ便所へ這入つて貰ひたくない。やんごとない上臈などゝ云ふものは、自分のおゐどから出るものがどんな形をしてゐるか知らない方がよく、譃でも知らない振りをしてゐて貰ひたい。

p.314より

料理屋やお茶屋などで、臭氣止めに丁子を焚いてゐる家があるが、矢張厠は在來の樟腦かナフタリンを使つて厠らしい上品な匂をさせる程度に止め、あまり好い薰りのする香料を用ひない方がよい。でないと、白檀が花柳病の藥に用ひられてから一向有難味がなくなつたやうになるからである。丁子と云へば昔はなまめかしい連想を伴ふ香料であつたのに、そいつに厠の連想が結び着いてはおしまひである。丁子風呂などゝ云つたつて、誰も漬かる奴がなくなつてしまふ。私は丁子の香を愛するが故に、特に忠告する次第である。

 長谷川如是閑の文章の引用が出てきた。この巻の最初の収録作品は長谷川如是閑の「日本的性格」であった。

p.331より

「西洋人の顔にはどこか人間以外の(けだもの)臭い感じがある、眞に人間の顔らしい顔をしてゐるのは中國人である」――もとの言葉はわすれましたけれども、嘗てさう云ふ意味のことを長谷川如是閑さんが仰つしやつたことがございました。随分古いことで、ずうつと昔朝日新聞記者時代にお出しになつた「倫敦」と申す著書の中にあつたのではないかと存じますが、あれはまことに名言だと存じましたので、今以て時々思ひ出すことがございますので、何かの機會にもう何囘となく引用させていたゞいたことがございました。
昔は黄色人種の方が世界文明の中心であつた時代もあるやうに承つてをりますが、そのせゐかどうか中國人は勿論のことゝいたしまして、縁に繋がるわれ〳〵日本人たちも、少くとも容貌姿態の點に於て白人に劣つてゐるとは思へませんな。

p.346より

この間或る亞米利加の進駐軍の將校が、何の芝居であつたか歌舞伎の切腹の場面を見て、腹を切つてからあんなに長い間ものを云つてゐるのは可笑しい、と云つたと云ふ話を聞いたが、われ〳〵も幼年の頃、父母につれられて初めて舊劇を見た時分には等しく此のことを異様に感じたものであつた。たゞわれ〳〵はその後たび〳〵さう云ふ場面を、明治以來數々の名優の名演技に依つて繰返し見せられてゐるうちに、次第に歌舞伎とはさう云ふものだと思ひ込ませられ、それを訝しむ神經が麻痺してしまつたので、今日六代目の勘平などを見れば、訝しむどころか大いに感激するのであるが、たま〳〵外國人がさう云ふ感想を洩らすのを聞けば尤も至極に思ふばかりでなく、あの不自然さに氣がつかないで感心して見てゐるわれ〳〵日本人を、外人たちはどう思ふであらうかと、耻しくさへなるのである。

p.355より(地唄『雪』の引用)

花も雪もはらへば淸き袂かな、ほんにむかしのことよ、わが待つ人もわれを待ちけん、鴛鴦(をし)雄鳥(をとり)にもの思ひ()の、凍る(ふすま)に鳴く音はさぞな、さなきだに、心も遠き夜半の金、きくもさびしきひとり寢の、枕にひゞくあられのおとも、もしやといつそせきかねて、おつる涙のつらゝより、つらき命は惜しからねども、戀しき人は罪ふかく、思はぬ、ことの悲しさに、捨てた憂き、捨てた浮世の山かづら

p.356より

「この曲の合の手は一般の三味線に於いて雪とか冬とかを現はす場合必ず用ひられることになつてゐて、義太夫、江戸唄、江戸浄瑠璃の各流までこの手が取り入れられ、芝居や寄席曲藝手品の囃子に至るまで雪の手を使つて雪や冬の氣分を生かしてゐる」

p.356より

近代の人はとかく頭が論理的になつてゐるので、かういふ風な章句と章句とのあひだに幾分の間隔やズレのあるやうな詞章は作りにくく、どうしても理詰めなものになり易いのでそれだけ味のうすいものが出來てしまふ。

p.369より(地唄『殘月』の引用)

前びき磯邊の松に葉がくれて、沖の方へと入る月の、光や夢の世を早う、さめて眞如の明けき月の都にすむやらん手事五段今は()てだにおぼろ夜の、月日ばかりはめぐり來て

p.363より

私が特に聞きたいと思ふやうな曲は大概發賣されてゐない。

p.363より

私の妻はショパンの夜想曲の盤を懸けてはひとり涙を流してゐたが、私は「雪」を聞きながら又と歸らぬ日のことを思ひ、嵯峨や東山あたりの風物を空想しては時間を消した。

言葉
啻に

 これは、第4巻のうち、阿部次郎の「三太郎の日記 第一」を読んだときにも出てきた字で、これで「(ただ)に」と()む。

下線太字は佐藤俊夫による。
p.268より

私は前に、蒔繪と云ふものは暗い所で見て貰ふやうに作られてゐることを云つたが、かうしてみると、啻に蒔繪ばかりではない、織物などでも昔のものに金銀の糸がふんだんに使つてあるのは、同じ理由に基づくことが知れる。

罩める

 これで「()める」と訓む。「込める」と同じであるが、「込」には入り込む、集まる、というような意味があるのに対し、「罩」には鳥籠の「籠」と似たような、「かご」だとか、「入れ包む」というような意味がある。

p.269より

そして彼の手を見ながら、しば〳〵膝の上に置いた自分の手を省みた。そして彼の手がそんなにも美しく見えるのは、手頸から指先に至る微妙な(てのひら)の動かし方、獨特の技巧を罩めた指のさばきにも因るのであらうが、それにしても、その皮膚の色の、内部からぽうつと明りが射してゐるやうな光澤は、何處から來るのかと訝しみに打たれた。

孰方

 「孰方(どちら)」と訓む。古い書き方である。

p.278より

お月見の場合なんかはまあ孰方でもいゝけれども、待合、料理屋、旅館、ホテルなどが、一體に電燈を浪費し過ぎる。

翠巒

 「翠巒(すいらん)」である。「緑の山々」のことだ。「巒」という字は長くつながる山の峰々のことを言う。

p.278より

彼處は北向きの高臺に據つてゐて、比叡山や如意ケ嶽や黑谷の塔や森や東山一帶の翠巒を一眸のうちに集め、見るからすが〳〵しい氣持のする眺めであるが、それだけになほ惜しい。

邊陬

 また見たことも聞いたこともない言葉である。これは「邊陬(へんすう)」である。辺鄙(へんぴ)な片田舎のことだ。

p.284より

今でもよく、たとえば琉球とか、青森とか、邊陬の地から都會へ出て來る人たちは、教育のある者であればある程、「であります口調」や新聞雑誌の文體に近い口語體で、切り口上で物を云ふのはしば〳〵見受けるところである。

 見たこともない漢字で、IMEでは出すこともできなかった。これは音読みは「キョウ」だが、訓読みは「つえ」と訓む。

p.290より

……なほ西の國の歌枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葦がちる難波を經て、須磨明石の浦ふく風を身にしめつも、行く行く讃岐の眞尾坂の林と云ふにしばらくを停む。……

ジニアス

 「genius」は「天才」だが、文脈では「雰囲気や特性、風潮、精神」というような意味で使用している。

p.295より

もと〳〵西洋と日本では言葉のジニアスが違ふのであるから、模倣したところで程度は知れたものである。

漁史

 「漁史(ぎょし)」は敬称で、雅号や文名につけるものだそうである。

 ところが、この「陰翳禮讃」でも「鷗外漁史」と、森鴎外を指してこの語を使っているが、各辞書類の例文なども、ほとんどが「鷗外漁史」を例として挙げており、どうも、森鷗外の他に使うところはないような感じである。

 「漁」には「あさる」の意、「史」には「ふびと」すなわち文筆家の意味がある。文筆に徹底する人、とでもいう意味となろうか。

p.295より

もしわれわれが西洋物を譯するのに直譯體に依らないで純然たる日本風の表現法を取るとしたら、むしろ原文より短((ママ))いくらゐになることは、鷗外漁史の「即興詩人」などを見ても分る。

吝む

 「(おし)む」である。「吝嗇(りんしょく)」と書いて「吝嗇(ケチ)」という訓み方もあるところからわかる通り、ケチることだ。

p.299より

久保田氏の方はそれと反對に、出來るだけ言葉を愼しみ、云はないで濟むことは成るたけ云はないやうにして、守錢奴が錢を吝むやうに一語一語を惜しみつゝ暗示的に使つてゐる。

垂んとする

 「タれんとする」ではない。これで「(なんな)んとする」と訓む。「なんなんとする」というのは音便で変化した言葉で、「なるなんとする」と同じ意味、つまり「まさしくそうなろうとする」というほどの意味になろうか。これに「垂」の字をあてるのは、「垂」には大地の果ての意があるというから、果てしないところにまさしく届こうとする、というような意味から転じてきたものであろうか。

p.315より

爾來二十有餘年に(なんな)んとするけれども、まだ此の英語は實地に應用する機會がない。

寔に

 「()に」である。「実に」と書いても、「じつに」「げに」の両方で訓めるが、「げに」と訓ませたいときは「じつに」との混同を避けるため、この「寔に」を書くべきではあろう。

 この字も、このブログでは、以前読んだ阿部次郎の「三太郎の日記 第一」の読書記録に出てきている。

p.316より

これは寔に矛盾した話で、たまたま泊りあはせた宿が大そう居心地がよかつたり……

慥に

 「(たしか)に」である。「慥」という字にはあわただしいとか急ごしらえとかいう意味があるが、日本に限って、「確実な」という意味があるのだという。

p.324より

成る程、大阪人は此の點に於いて東京人よりも慥にだらしがない。

苟くも

 「(いやし)くも」である。「(いやしく)も」と、「く」を送ったり送らなかったりするが、これは文脈によるだろう。

 「卑しくも」とはまるで意味が異なることは言わずもがなで、「苟」の字には「かりそめ」との訓みがあり、そこから「かりにも」「かりそめにも」といった意味合い、「いやしくも教師たるもの」というような、身分や地位にふさわしい規範が求められるような表現に使うものだ。

p.330より

苟も接客業者たるものはそのくらゐな用意があつて然るべきではないであらうか。

合邦

 読んで字のごとく、国が合併することであるが、ここでは義太夫節の「摂州(せっしゅう)合邦(がっぽうが)(つじ)」のことであるようだ。略して「合邦」というのだそうである。

 Youtubeあたりで演奏が見られないかと探してみたが、どうも見当たらないようだ。

 摂州合邦辻は歌舞伎の演目にもあり、中国のサイトで昭和31年に中村時蔵・芝雀によって演じられたもののモノクロ動画があることはある。歌舞伎の音曲(おんぎょく)方には、「竹本連中」などと称して出演する義太夫節の人たちは勿論のこと、長唄、常磐津、清元の人たちも錚々(そうそう)たる顔ぶれで出演する。とまれ、歌舞伎の動画を見ると、それでだいたい義太夫節「合邦」の雰囲気はわかる。

p.342より

全體的に見て合邦と云ふ義太夫がいかに馬鹿々々しいものであるかは、多分此れを聞いたことのある人は誰でも氣が付いてゐる筈であるが、しかし所謂痴呆の藝術のうちでも此れなぞは最も典型的なものであるから、今試みにその馬鹿々々しさの二三を指摘して見よう。

 それにしても、なんと散々な評し方であること。

最近、スコッチ安いなあ

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 最近、ホワイト・ホースより、ティーチャーズのほうが安い。ホワイト・ホース933円、ティーチャーズ900円である。

 何にせよ、旨い。酒が旨いのは良いことだ。

新型コロナ感染世界マップ

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 日経新聞のビジュアル・マップがなかなか見やすい。

 日本政府の努力ぶりがよくわかると思う。

佛縁(ぶつえん)

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 旧臘(きゅうろう)、ハードディスクレコーダーを買い替えた。妻と娘姉妹の日々の暮らしの慰めを少しでも増強しようと思ってのことだ。

 しかし、目的はそれであっても、テレビ嫌いの私まで、意外に各種テレビ番組を楽しむことができるようになった。なんとなれば、9日間にもわたり、選んだチャンネル4つ分を常時録画しておけるからだ。

 それで、週末には自分が好きな番組を(さかのぼ)って見ることができるようになった。嫌なチャンネルは見なくて済むし、変な宣伝も見なくて済む。また、自動で「録りっぱなし」になっているから、録画機能の排他や独占をめぐって娘姉妹が(いさか)いを起こさずに済む。何より、長大な国会中継の爆笑・失笑・激怒・絶望各場面それぞれを巻き戻して見られるのは、これは実に具合がいい。

 今ほど、そんなささやかな楽しみに興じていたところ、録画リストに今週3月4日水曜日放映のNHK番組があった。「歴史秘話ヒストリア」のシリーズで、「薬師寺 千三百年の祈り 国宝東塔全面解体」という番組であった。

 思わず見入った。

 なぜかと言うに、先々週、私は亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」を読み終わったところだったからである。少しずつ読み進めつつある60年前の古書、平凡社の世界教養全集の第6巻に収められていたのだ。

 全篇を通じて、じいんと染み入る様な日本大乗仏教讃頌(さんしょう)に溢れていた。法隆寺と推古天皇、聖徳太子は無論のこと、薬師寺と天武天皇、皇后鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)こと、後の持統天皇のことなど、いとおしく読み耽った。また、あとがきがかの高田好胤(こういん)師によるものであったことも印象に残る。

 高田好胤師と言えば、誰もが知る、修学旅行の「奈良のおもろい坊さん」だ。もっとも、修学旅行で高田好胤師の話を生で聴いたことがあるのは私よりももっと上の世代であり、私の世代では師があの「おもろい坊さん」であったことを知っている者は少ないと思う。

 大阪生まれの私は、子供の頃奈良に随分連れて行かれた。父の渋い趣味のためで、私にとって奈良への行楽は楽しいものであった。薬師寺や興福寺、東大寺は私には最も懐かしいところである。また、私の両親も薬師寺金堂再建の写経奉納をしていたので、そのことも覚えている。そんなこともあり、私はたまたま高田好胤師の名前や顔を知っている。

 やや成長した10代後半の頃、と言って、それもかれこれ40年近く前になろうか、薬師寺門前を集団で訪れ、「薬師寺のおもろい坊さん」の話を皆で聞き、笑い転げたものだ。その時の引率者が講話に感心し、他日格別にお招きして講話をしていただいた。その導師はたしか、土倉(とくら)賢了師という方で、――記憶のみに頼って書いており、もしお名前など違っていたらお詫びいたしたい――有名な高田好胤師ではなかったが、お弟子様には違いなく、同窓生皆で高田好胤師仕込みの話術に笑い転げ、また聞き惚れたものだ。

 さておき。

 読経前、各宗ともに使う三帰依文(さんきえもん)(いわ)く、

人身(じんしん)受け(がた)し、今(すで)に受く、佛法(ぶっぽう)聞き難し、今(すで)に聞く。

とある。まさしく今日のことは、これに当たろうか。

 読書とテレビ番組がたまたま一致したことは、思うところ実に深いものがある。佛縁(ぶつえん)(くす)しさに、発作的に得度(とくど)出家しそうになってしまうが、いや、それは現実的ではないからやめておこう(笑)。

SOBA満月

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 山梨の銘酒「七賢」の「おりがらみ」という季節限定を出しておられたので、蕎麦前はそれを冷やで一合。今日は日本酒を注文すると、島根の銘酒「玉櫻」の濁り酒を一杯味見サービスしてくれました。

 肴は御新香。彩り、歯応え、味、酒によく合います。

 蕎麦は「花まき」を生粉打ちで。春寒のこの頃、熱い汁掛け蕎麦はこたえられません。

SOBA満月そば(蕎麦) / 新越谷駅南越谷駅蒲生駅

昼総合点★★★★★ 5.0

貝母(ばいも)の花

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諦観(ていかん)貝母(ばいも)の花に(べに)あらず   佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha

今週のさえずり季題

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金正恩(きんしょうおん)死亡説

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 金正恩(きんしょうおん)死亡説やそれに類する推測などがネットにあり、半信半疑ながら、十分あり得ることだとは思う。

 そのうちのあるものは「脂肪吸引していて重体になった」などと言っており、(にわ)かには信じがたい。

 だがしかし、北朝鮮ならそんなこともなくはない、と、受け手の妄想をいやがうえにも刺激するではないか。