「愛は技術ではないが、しかし、愛のために必要な技術はある」……というような
しかし、この句の「愛」を、例えば「誠意」とか、「精神」とか、いろいろに書き換えても通用するように思った。
オッサンは生きている。
「愛は技術ではないが、しかし、愛のために必要な技術はある」……というような
しかし、この句の「愛」を、例えば「誠意」とか、「精神」とか、いろいろに書き換えても通用するように思った。
「ハウ・トゥよりも共感だ」と、最新のメンヘル対応要領は口を揃えて教える。
しかし、まったく解決策のない、「そうだねえ、苦しいねえ、大変だねえ」ばっかりの共感一辺倒というのも、特に理屈っぽくて面倒くさいオッサンやジジイには却って激昂をかってしまい、無意味であるように思う。
極端な例でいうと、共感過多な弁護士のところへ法律相談に行ったら、「それは苦労しましたねえ、大変でしたねえ、お見舞い申し上げます」と共感のみ並べ立て、肝心の賠償金請求や相続問題や訴訟の方法などにはまったく
対応も状況と場合と人によりけり、というところであろうか。慰めが必要であればカウンセラーや宗教家のところへ行くがよろしい。解決が必要であれば医者や弁護士や社労士や税理士や裁判所や警察へ行くがよろしい。逆に言うと医者や弁護士や社労士や税理士や裁判所や警察は、悩みの受け止めや魂の救済を求める場所とは違う。
この際において、「職場の上司に訴える」というのは、最も愚策であると言える。職場の上司はあなたに仕事をさせることを目標としており、あなたを守り慰めることはその手段に過ぎない。その愛は見せかけ、偽物の愛である。
依然、コロナウイルスは
日本人お断りだとか中国人入国禁止だとか、そんなことを言っていても、結局は
事ここに至って、つくづく、人間と言うのは差別を餌に生きる、愚かな存在だと思う。なんとなら、
「人が人に病気をうつす」のだ。「
それでも人々は、何国ではとか、
人間の
「行政が」とか「政府が」とか「アベが」とか「野党が」とか、そんな言い分も結局同じことだ。
私は、差別を好み、誰であれ他人を見下し、責任を
なあに、自分が感染したら、そして、あるいは死ぬようなことがあれば、そうしたら
60年前の古書、平凡社の「世界教養全集」第6巻を読んでいる。
先月22日に第5巻を読み終わり、この第6巻「日本的性格/大和古寺風物誌/陰翳礼讃/無常という事/茶の本」に来た。先週2月4日火曜日の帰り電車の中で「日本的性格」(長谷川
和歌が全国民の文学であったのは、上代の社会のことで、それが貴族社会の形式化によって、国民の手からとりあげられたのは、すでに平安朝時代からのことであった。しかし武門時代においても、歌はあらゆる階級の音律的言葉となっていて、その言葉を語り得ないものは武士としても不名誉とされた。
けれども事実上、歌は近代の町人文化の形態たるにはあまりに貴族的形式に規定されてしまっていた。そこからまず連歌が生まれ、より自由な言語による歌の応酬が回復されたが、それがいわゆる連歌師のギルド的約束によって、複雑にして困難な形式となった時に、それを極端に簡単化した発句となった。連歌の初めの一句を独立させたのであった。そうしてそれはもっとも普及的の町人文学となったのだが、これもむろん、日本文明が全国民のそれでなければならないという伝統の回復であった。
上の部分は俳句がどういう性格の文芸であるかということを、日本全体の性格と関連させてよく言い当てていると思う。
日本文化の外国的起原を高調する人々に対して、「純日本」を高調する人々がある。ことに民族宗教的の信仰や国民道徳の特殊性を指摘するものが多い。それらの
人人 は、往々保守的傾向となり、外国文化の排斥に傾き、進歩主義者と対立することとなる。けれども、彼らの主張にも真理はある。というのは、日本人は、古代においても、近代においても、外国文化に対して非常に敏感で、ただちにそれを採用する進歩主義者であったと同時に、その反面に、自国の伝統的なるものを頑強に固執する一面をもっていたのである。国民的に、同じ時代において、その両面をもっているのみならず、個人的にも、右の両面を一人で備えているものも珍しくないのである。
保守的なのに、新しいことをしたがる、という人は、自らそれと知らず多いように思うが、上引用のようなことなのかな、と感じる。
かなり正しく、しかしやや詩的の表現で、日本人の性格や道徳を外国人に紹介した岡倉覚三は ‘The samurai, like his weapon, was cold, but never forgot the fire in which he was forged.'(“The Awaking of japan”)といったが、我が国中世の武力闘争の支配した時代のサムライでさえ、冷静がその勇気であり、道徳であった。岡倉はその理由として ‘In the feudal days Zen had taught him selfrestraint and made courteousness the mark of bravery.’といったが、しかし我が国のサムライの冷静な一面は、大陸伝来の禅の教養によるというよりは、むしろ日本人固有の心理によるものというべきである。
英文は有名な天心岡倉覚三の著書からの引用である。「The Awaking of japan」は「日本の目覚め」として岩波から出ている。
「The samurai, like his weapon, was cold, but never forgot the fire in which he was forged.」というところは、「武士は彼の刀のように冷たく落ち着いていたが、それが火焔によって鍛えられたものであることを決して忘れなかった。」とでも訳せばよいのだろうか。また、「In the feudal days Zen had taught him selfrestraint and made courteousness the mark of bravery.」というところは、「封建時代、禅は彼に自己抑制を教え、礼儀正しさを勇気の証明にした。」とでもなろうか。
すなわち、日本人は、国民としては歴史のもっとも重大な時期において、自制と自己反省の心理を失わなかったのである。
武家専制の時代が始まっても武家そのものにそうした抑制の心理があった。北条氏は事実上政治上の独裁権を獲得したが、なお将軍家を奉じて、自ら陪臣の資格に止
ど まった。
御所の建築の単純、質素なのは、外国のように帝王の住居を城郭とする必要のない、わが国の皇室だったからであるが、それにしても皇室の威厳を象徴するためにも、今少し外観の壮麗を発揮する筈だが、上代にシナとの対抗上、やや大規模の宮殿の経営を行った例が二、三あるだけで、それも人民の課役が困難なため中止した場合が多い。
引用の通り、皇室は、ことに京都御所など、質素なものである。
古来日本の文学には、シナや西洋のそれに見るように、自然を現実に鑑賞する態度に欠けている。今日の文学においても、自然描写において卓越しているものは、はなはだ多くない。国民文学としての歌においても、『万葉』以来、自然描写がもっとも短所であった。自然に対しても、日本人は抒情的に感覚する。
この部分は「エッ、果たしてそうかなあ」と少し反対が胸に湧くが、続いて
上代の大和朝廷の貴族が憧憬した吉野山の風景の如き、抒情詩の背景としても、何ら現実的の鑑賞は現われていない。『万葉』にある吉野山の歌は、ことごとく概念的の記述に始終している。
富士山に対する山部赤人の有名な歌でも、自然描写でも何でもなく、ただ概念的に、古来語られている富士を語って、「語り継ぎ、云ひ継ぎ行かむ」といっているに過ぎない。「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪はふりける」という反歌には、いかにも日本人の自然に対する態度の素樸さが見えていて、写実的のその態度も面白いが、しかしこれも実際見た現実ではなく、いわゆる「歌人はいながらにして名所を知る」というような格言を生ずることが、日本人の自然に対する感覚の不充分をいい現わしているのである。
と言われてしまうと、そうかも知れないな、と思う。
「山の際ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく」(柿本人麻呂)
「み吉野の山べにさけるさくら花雪かとのみぞあやまたれける」(紀友則)
……というような歌も、自然を読んでいるようでいて、よく読むと自然を写し取ってはいない。読み込まれているのは自然に対する主観であり、読み手の観念である。
「
「れんけつ」だと思ったら、「
三十九年三宅雪嶺らと連袂退社し、「日本及び日本人」に拠る。
文字
「
国民の場合も個人の場合も、時代の必要に応じて、種種なる性質が要求されるもので、したがって性格の涵養は、決して膠柱的ではあり得ない。
これは、故事成語である。
「膠柱」、つまり「膠」と「柱」であるが、それだけではサッパリわからない。この「柱」とは、「
琴の音程は、この琴柱をその都度自在にずらして調えるが、これを立てたままでは弦が伸びて傷んでしまう。だから演奏しないときは外す。演奏するときは改めて琴柱を立て、試し弾きしながら音程を調える。これにはけっこう手間がかかるというので、琴柱を「膠」、つまり接着剤で琴に固定してしまった人がいた。
ところがこれでは、微妙な琴の調整ができず、別の曲を弾くことができないばかりか、琴は温度や湿度、経年変化で音程もその日その日で違ってくるから、まるで使えない楽器になってしまう。
この故事を「
史記・藺相如伝というと、一般によく知られている成語の出典には、「完璧」の故事、「刎頸の交わり」の故事などがあろうか。
ともかく、「膠柱的」というのは、自在に調整もできず、融通がきかない、固着的なことを言う。
「那堪空閣妾。未慰相思情」
その時代の漢詩文を集めた『文華秀麗集』には、大伴氏の女性の作があり、『経国集』にも嵯峨天皇の王女有智子内親王の詩が載っている。それには「那堪空閣妾。未慰相思情」というような句もある。女性教養の自由であったのは、臣下の女性のみではなかったらしい。
この句について、手元に調べる
「
……ではないかと思うのだが、違うかもしれない。
「
「贏」の音読みは「エイ」「ヨウ」、訓読みは「あまり」等であるが、「贏ち得る」と書いて「かちえる」だそうである。
女性が日本文学の創始者たる栄冠を贏ち得たのは当然であろう。
訓み方は分かったが、なんで「勝ち得る」と書かず「贏ち得る」と書くのか、理由はちょっとよくわからない。
「
また実に難しい。「鑒」は音読みにカン・ケン、訓読みで「かんがみる」「かがみ」だそうな。「貽」の音読みは「イ」「タイ」、訓読みは「のこす」「おくる」だそうである。
シナ流の歴史観によって「鑒を将来に貽す」(『
続日本後紀 』)とか「善悪を甄ち、以て懲勧に備ふ」(『三代実録』)とかいうことを序文にいっていたりするが、内容はかならずしも事実を道徳で歪めているわけではない。
「善悪を
「甄」の音読みは「ケン・シン・セン・ケイ・カイ」、訓読みは「すえる」「つくる」「みわける」とある。
ところが、「甄ち」というのがわからない。「
「
これで「すくない」と読む。この文字からは、普通は「
おそらく西洋の近代国家でも、その文明がわが徳川時代のそれのように、下から盛り上がって出来たもので、しかもピラミッド型に下の方が広がったものであるという例は鮮ないと思う。
思うに、「朝鮮」という国号は、「朝」には国とか王権とかいう意味があり、それに「鮮」ということは、「若々しい国」、あるいはそこから、特有の謙譲をもって「中国に比べるとまだおさない国」というようなことなのかも知れない。
「
荒っぽい、雑、というような意味である。
「粗」は「あらい」であることは論を待たないが、「
「スペキュレーション」
投機、思惑などのことであるが、文脈では「思い切った推測」のような意味で使われている。
かくの如く古代中世の歴史には珍しい信仰状態がどうしてわが国に成立したかについては、いささかスペキュレーションに傾くが、おそらくわが国固有の民俗信仰そのものが、わが国民形態成立の人類学的研究に現われている諸民族の混和という事実に伴うところの信仰の混和から成立したものであったからではないかと考えられる。
「
なんと、これで「うったえる」である。
ただ文学はその表現が議論ではなく具体的であるから、われわれに間接に愬えるので、読む者が何とかそれを再現して見なければならぬ。
亀井勝一郎は筋金入りの共産主義者だったと思うのだが、こんなにも上代の日本と皇室に対する
まだ読んでいる途中だが、そんじょそこらの薄っぺらな左翼とはわけが違う、と思った。
「
聖徳太子のことである。
最近、学校では聖徳太子の幼名である「
昔から聖徳太子は「聖徳太子」として呼びならわされてきているが、これは、聖徳太子の生前の名前ではなく、
もしそれがかなわぬ時は、死ぬ直前の名で呼ぶことである。「厩戸皇子」の名は幼名で、推古天皇の摂政として政務をお取りあそばされていた頃の聖徳太子は「上宮太子」と呼ばれていたのである。
この作品中では聖徳太子のことは一貫して「上宮太子」と記されている。
「
すすり泣き、むせび泣くことである。
高貴なる血統に宿った凄惨な悲劇を、御一族は身をもって担い、倒れたのであるが、この重圧からの呻吟と歔欷の声は、わが国史に末長く余韻して尽きない。
ふと、前に読んだ世界教養全集第5巻収録の「現代人のための結婚論」(H.A.ボウマン)の中の、「愛の相互性」というところで思い当たったことがある。
p.438から
そこに相互性のない愛情を私たちは愛情と呼ばないことにしよう。たとえば、私はイヌを愛する、なぜならイヌも私を愛しているから、という場合はよい。けれども、私は着物を愛するという場合には相互性がない。だが、これだけでは愛情の規定としては充分でない。親子間、夫婦間、恋人間の愛情は相互性をもってはいるが、この相互性ということだけで、「私は愛情のために結婚した」という場合の、愛情の性質を説明することはできない。愛情は人間がちがえばちがった事がらを意味する、というのは、その人々の生活の背景や経験や年齢によって愛情の意味がちがってくるからだ。
ここで思い当たったのが、
つまり、こうだ。
1対1の愛については相互性があるといえよう。「私は彼女を好きになった」という場合、彼女は私を好きであったり嫌いであったり、そのどちらでもなかったり、あるいはそれらの中間であったりする。
しかし、「私は湯飲みを愛する」などと言っても、湯飲みから何ほどのものが返って来るでもなく、これは「相互性のない愛」であるとは言える。
だが、工業製品の消費者としての感想は、巡り巡って作り手に届き、ひょっとすると新製品のデザインに反映されるかもしれない。だが、それは相互性と言ってよいほどのレスポンシビリティではないだろう。
同様に、アイドルのファンの熱狂はアイドルを擁するテレビ局やプロダクションの経営に反映され、アイドルの立ち居振る舞いに影響を及ぼすかもしれない。しかし、その影響はごくわずかであって、これも相互性と呼べるようなものではなく、一方的な熱狂に過ぎない。
「漫画の売れ行き」や「アニメの人気ぶり」なども、似たり寄ったりだろう。つまり、1対1ではなく、漫画の出版社と一読者の熱狂とは、10万対1くらいの反映のされにくさの相互性しか持っていない。
だから、オタクの愛は愛ではない、と言えないだろうか。そしてまた逆に、相互性のない、愛とは言えない自称の愛を「オタクの愛」と言い、また相互性のない愛を愛として認めている者を「オタク」と定義づけることはできまいか。
昼下がり、武蔵野線に出没したという盗撮魔に関するFF外ツイートを見て、盗撮魔を憎むあまり、胸糞が悪くなったところである。
標記には「性犯罪の撲滅」と書いた。これは
これらのほとんどが脳と精神の異常による疾病と見てよい。
以前、平成28年の相模原事件の折、狂人の人権を損なうことなく、安全かつ人道的に無害化できないか、と書いたことがある。しかし、その記事にも書いたように、様々な事情から、それは無理というものである。
薬物治療も人格を損なうことが大きく、益少なく害多し、というのが実際のところだ。
思うに、近代の医学は微生物の害を克服することによって長足の進歩を遂げた。のみならず、最新の現代医学は遺伝子に操作を加えることによって、生物としての人間本態に由来する癌や脳卒中などの疾病をも克服しようとしている。
ならば、遺伝子操作によって、脳の個癖に起因する性衝動や加害衝動をコントロールし、犯罪人を鎮静化することはできないものか。
往古は、平和な村で暴れ者として嫌われていた者が、外敵の襲来などの有事において目覚ましく戦って村を救い英雄となった、というようなことが世界中であったろう。また、悪疫によって死に絶えようとしている村において、たまたま生き残り、かつ性欲に満ち満ちた精力絶倫の男女が乱交し、子孫を復活させたということも、あるいはあったかもしれない。また、中世から近代にかけて、支配欲に取りつかれた者が旧来の因習をひっくり返し、社会のシステムをより合理的に変革した、ということも、それはあったかもしれない。
今さら教科書に載っているような歴史を
だが、世界人口70億を越えようとする現代において、暴力や性や支配欲や、そんな動物的衝動はもはや無用である。
女子高生のパンツの写真を撮って喜ぶ如き者のみならず、レイプ魔、盗癖、殺人狂、詐欺師その他、犯罪的性向を遺伝子から取り除き、人間を平和で静謐で神のように真っ白な、平等で平準な永久の存在にすることはできないものか。
結論は出ている。恐らく、それは不可能なのであろう。
不可能である以上は、この憎むべき人間というもの、これを愛し、共存していくより他はないのだろう。憎むべきを愛する、それは逆に、愛すべきものを憎むということと同義でもある。
引き続き約60年前の古書、平凡社世界教養全集第5巻に所載の評論「恋愛論」を読む。
Googleでふと「スタンダール」を検索してみたら、キーワード・サジェスチョンに「症候群」と出る。「スタンダール症候群」というものがあるらしく、何か文学的な偏執症のようなことなのかな、と思いきや、その昔、スタンダールが有名な聖堂のフロアで丸天井の壮大な装飾を見上げて、
恋する技術とは結局そのときどきの陶酔の程度に応じて自分の気持ちを正確にいうことに尽きるようだ。つまり自分の魂に聞くことである。これがあまりたやすく出来ると思ってはならない。真に恋している男は、恋人から嬉しい言葉をかけられると、もう口をきく力がない。
ある有名な女がボナパルト将軍に突然いった。彼がまだ光栄に包まれた若い英雄で自由に対し罪悪を犯していなかったころの話である。「将軍様、女はあなたの妻となるか妹になるほかはありませんのね」英雄はこのお世辞を理解しなかった。相手は巧妙な悪口で仇を
打 った。こういう女は恋人に軽蔑されることを好む。恋人が残酷でなければ気に入らない。
「スペイン人の目的は光栄ではなく独立です。もしスペイン人が名誉のためにのみ戦ったのだったら、戦闘は、トウデラの戦い(一八〇八年十一月)で終わっていたでしょう。名誉心は変わった性質をもっています。一度汚されると動けなくなってしまう。……スペインの前線部隊はやはり名誉の偏見に囚われていたので(つまりヨーロッパ風現代風になったのです)一度敗北すると、全ては名誉とともに失われたと考えて壊滅しました」
ああ、時代の哀れな芸術に当たるやいかに辛き。
子らはいとけなくして、ただ人にもてはやされんことをのみ願う。ティブルス、一、四。
「定年」「停年」というと、老齢による退職の年齢だが、「丁年」は一人前の年齢、ということだそうである。
ついにドンナ・ディアナの丁年が近づいた。彼女は父親に勝手にわが身の始末をする権利を行使するつもりだと告げた。
まだこの評論、半分ほどである。引き続きこれを読む。
あることへの、ある人の感想がやり玉に挙がっている。
「オートバイや航空機などいまの製品につながる技術のルーツがあるとして」なるほど、デュアルユースを強調して武器開発の重要性をアピールか。だがこれは紛れもなく武器、「人殺しの道具」だ。軍事企業が戦時を懐かしみ武器を復刻、本当に気持ち悪い。https://t.co/pxLHRFfYxM
— きむらとも (@kimuratomo) October 13, 2016
戦闘機とか戦艦とか戦車とか、これらの「人殺しの道具」をカッコイイとか、美しいとか、素晴らしいとか喜んでいるミリオタ達の感性。これら「人殺しの道具」を、互いの親子を殺しあう戦場での道具と別物であるとして、分けて考えてしまう感性。これぞ脳内お花畑。血を知らぬ「平和ボケ」。最たる愚だ。
— きむらとも (@kimuratomo) October 14, 2016
上の記事に対する、まあ、どうでもいいような無名の人の、ボソッとしたツイートが右なのだが……
これがもう、えっらい炎上っぷりである。
私は頭の悪い好戦右翼だが、しかし、どうも、この「きむらとも @kimuratomo 」なる炎上元の人を叩く気にはなれない。
この「きむらとも」という人に、何か、未熟で
この人が唾のように吐いて捨てた感情は、「人間は戦争をする。だから人間は気持ち悪い、許せない。人間など滅びてしまえばよい。諸悪の根源だから」というのとかなり近いと思う。
だが人間は、間違ったことをしながら良いことをする。人殺しが慈善活動をする例、篤志家が人を殺す例、そんなものは掃いて捨てるほど世の中に転がっている。
悪事を働きながら、罪を犯しながら、だがその一方でまた人を思いやり、愛する、恋する、それが人間というものだ。人間は両極性を持っている、
そんな多様性を持つ一人の人間が、1億、10億、50億と束になればどうだろう。彼らは、虐殺しながら、戦争をしながら、原爆を開発して炸裂させながら、それにもかかわらず、もう一方の手で人を愛し、神を畏れ、徳を磨き、世界を発展させるのだ。その多様性はもはや評価も批判も拒絶していると言わざるを得ない。
大日本帝国が戦争の末期近くなって開発・投入した、この「三式戦闘機・飛燕」だって、現代の私達から見れば人殺し機械の相貌を持っていながら、実は一方では無辜の民を殺戮する悪魔の重爆撃機・B-29を打ち払ってくれる愛の
言っては何だが、この人のツイートは言葉のアヤみたいなもので、どうやら医者らしいが、このダイバーシティ礼賛の世の中、医者ともあろうものが人間のそうした多様性を深く考えたことがないなどと言うはずはあるまい。きっとそういう思考を深刻に経てきた人であることは間違いない。
むしろ医者として、これから大成するよう祈る。
破産して貧乏人になるのなど簡単なことだ。すなわち、収入より支出を多くするのである。やがて貯えがなくなり、足りない分はどこかから持ってこなければならず、つまりは借金をするはめになり、ついには破産し、貧乏人になってしまう。
逆に、金をためるには収入より支出を少なくすればよい。馬鹿でもわかる理屈だが、これが、できない人にはできないものなのである。
ダイエットもまったく同じである。摂るカロリーより出ていくカロリーを多くすればよい。どんどん痩せる。一点の疑問もない。
これもまた、馬鹿でもわかる簡単な理屈なのであるが、これが、普通の人にはできないのである。
なので、「これこれのことができないから、あいつは馬鹿だ、劣っている」という断定方法は、必ずしもすべての事象に適しているとは言えない。
同様に、「××すれば○○になる」とか「○○は悪い」とか「××は良い」とかという、極めて簡単なことは、世の中に一杯ある。
「勉強をすればテストで良い点が取れる」
「泥棒や人殺しをすると捕まって刑務所いきになる」
「運動しないと体力がなくなる」
「他人を愛すれば自分もまた愛されることにつながる」
「戦争は悪いことだ」
「煙草は体に悪い」
「酒の飲み過ぎは良くない」
「スピード違反をしてはいけない」
「信号を守らないのはよくない」
どれもこれも、あまりにも当然であり、簡単すぎるほど簡単であって、読んでいてバカバカしくなるほどだ。だが、この、バカバカしく簡単で当然のことが、できない人がたくさんいるのが、現実というものなのである。
だから、自分が痩せているからといって、自分が勉強ができるからと言って、自分が酒を飲まないから、煙草をすわないから、おまわりさんに捕まったことがないから、人を愛しているから、戦争をしないから、という理由で、直ちにそれらをできない人を否定すること、あるいはそういう人の存在を否定することは、やめたほうがよい。できない人には、できないのである。
Facebookの広告に、なんだか、「モテ方」みたいなのの指南サイトが出てきて、鬱陶しいので非表示にする。
なにが鬱陶しいと言って、「女性を落とす」という表現に不快感を覚えるのだ。
「落とす」とは何だ、「落とす」とは。まるで女を物のように考えているではないか。
せめて「女性の愛を得る」とか「女に愛される」というふうに書けないものか。
しかし、性欲に餓えたアホ男にとっては、射的の景品を「落とす」ように、女は「落とす」ものなのであろう。どうにも仕方がない。若いって、乱暴だよな。
秋の名物と言えば月である。しかし、「中秋の名月」が終わった途端、誰も月を見なくなってしまうのは残念なことだ。人々が三々五々祭りの喧騒から帰ってしまうような感じは、なんとしても惜しい。
最近は欧米白人の言説に惑わされてか、「月の光を浴びると狂気が生じ、犯罪が多発する」なぞと言いふらす輩が増えているが、古来日本人は四季のはっきりとした日本の風土とともに独自の文化をはぐくみ、月を美しいものとして鑑賞してきたのであって、月を見たからと言っていちいち欲情したり犯罪に走っておっては身が持たぬ。
一般ピープルは中秋の名月を見終わってサアヤレヤレ、ほなサイナラ、と月から去ってしまうが、私のような玄人(マテ(笑))は、ここからが違う。万事、「人のゆく裏に道あり花の山…」なのである。
中秋の名月にしても、私なぞ、十五夜で大騒ぎはせぬ。まず、その前日、「十四夜」で騒ぎ始める。十四夜は「
さて、そうして十五夜を迎え、人々の喧騒が去った翌夜、また私の出番(笑)となる。
十五夜の翌夜は、そのまんま「十六夜」と言う。これは
この次もまだある。中秋の名月の二日後の月を「
これくらいかというと、まだまだ月は終わらない。その翌晩の月を「
まだありますよ(笑)。十九夜、つまり四夜後の月、もうこうなってくるとだんだん下弦に近づいてくるのであるが、この月を「
これで終わりかと思ったら、まだまだ引っ張りますとも、ええ。二十夜の月を「
で、二十夜も過ぎると、見えるところに月が上がってくるのは、午後九時ほどにもなってしまう。こうなると、月のことを言っているにもかかわらず、月を指して言わずに「宵闇(よいやみ)」なぞと言ってみたりする。
さて、中秋の名月に続く夜々はこんな具合だが、まだ秋の月は終わらない。なかなかシツコイ(笑)。そのひと月後、つまり旧暦九月十五日(今年は10月19日(土)にあたる)も、当然満月である。これを「
豆や栗を供え、「中秋の名月」のように月見をする。中秋の名月にだけ月見をして、この十三夜に月見をしないと、「片月見」と言って縁起がよくないものだそうな。
なんにせよ、月は美しい。カレンダーというもののない昔の、文字の読めない人たちでも、「空にカレンダーがかかっているように」、月の満ち欠けで日にちを知ることができるという実用上の意味も月には大いにあった。妖怪や犯罪、性欲なぞ言う無粋なことはこの際置いて、かぐや姫のおとぎの居所を眺めてしみじみしたいものである。